音でつながる橋
魔王という名のセイレーン
第8章 音でつながる橋
ガタンゴトン…
列車特有の揺れと振動による規則的な音。
それに混じって、歌が聞こえる。
列車のこの車両には、ただ一人の歌い手と、ただ一人の観客がいた。
端正な顔立ちの青年は歌の最後のフレーズを丁寧に終わらせた。
まだあどけなさを残した青年が、拍手をする。
「うん、良かった。流石だねシュベルツ」
「ありがとうございますミュージ」
二人は言葉を交わす。
歌い手の体からふわりともやが出る。
「あ、やっぱり、さっきよりこっちの方が色が濃いね」
「そうですね…この列車の運行に、役立てるかもしれません」
その言葉に頷いて、聞き手をしていた青年が窓の外を見た。
「あ、ほら、見えてきた。あそこが終点だよ」
歌い手をしていた青年も、それを聞いて窓の外を見る。
「そうですか…それにしても」
「ん?」
「いい加減、どこに行くのか教えてくれませんか?」
「…秘密!」
あどけない顔の青年は楽しそうに言った。
端正な顔立ちの青年は少しあきれて、だけど、微笑んだ。
ガタンゴトン…
ガタンゴトン…
二人を含む、何人かの乗客を乗せて列車は動いてた――
「そうだ、旅に出よう」
それはあまりにも突然の提案だった。
「…はい?」
私は練習用に写譜をしていた紙から視線をあげてミュ−ジを見た。
「だから、旅行しない?」
「…どこへ?」
「ちょっと行きたいところがあって」
そう言ってミュージは一枚の紙を私に見せた。
そこには、鉄製とおぼしき大きな物体。
「これって…機関車ってやつですか?」
「そう。あ、もしかして、見たことない?」
「はい…ないですね」
「じゃあ当然乗ったこともないよね」
「もちろん」
即答した私にミュージは微笑んで、少し上目遣いで私を見た。
「乗ってみたくない?」
「…まぁそれは当然そうですが…」
「何か心配事でもあるの?」
「…どのくらいの時間乗ってるかにもよりますが」
私は完全にペンを置いてミュージを見た。
「外に出たら私は喋れませんし」
私はセイレーンだ。
この声は、うかつに発すれば人を死に追いやる。
普段はミュージのマフラーを巻いて外に出る。
しかしそれを聞いてミュージはにやりと笑った。
「その点は、大丈夫なんだ。この機関車は」
「大丈夫…って、何を根拠に…?」
「うーん、詳しくは、百聞は一見にしかず、かな」
ミュージが大丈夫というなら大丈夫だとは思うが。
封印をミュージに解かれ、ミュージをマスターとして、だいぶ経つ。
本人の希望とはいえ、人を殺めたこともあった。
小屋を破壊したこともあった。
でも、今のミュージには絶対の自信があるように思えた。
だとしたら…。
「分かりました。行きましょうか」
「やった!そうと決まったら早速申し込んでくるね!」
ミュージはマフラーを巻いて外に出た。
ドアを閉めた瞬間くしゃみをしたのを私は聞き逃さなかった。
こういう点は、音に敏感なセイレーンの特異能力というか。
外はだいぶ寒い。
そういえば私が外に出ている時、ミュージはマフラーをしていない。
マスターであるミュージが体調を崩すのは当然嫌だ。
マスターでなくても…ミュージは私の大切な存在。
何か、いい方法はないだろうか。
シュベルツは機関車を目の前にして、興奮した様子だった。
日差しに弱いシュベルツのために朝早く出たけれど、朝とは思えない。
口から肩にかけて巻かれたマフラーで声は聞こえない。
けれどきっと心の中では感嘆の声を上げているに違いない。
僕はそんなシュベルツをそのままに列車の傍らの男性に声をかけた。
「この列車は〜行きで間違いないですか?」
「はい、仰る通りでございます…」
男性は語尾をあいまいに言った。
疑問に思って男性の視線の先を見たら、シュベルツがいた。
シュベルツは、同性の僕から見てもカッコいいと思う。
身長もそれなりにあるから、ぱっと見目を引くのは分かるが…。
「…間もなく出発しますので、ご乗車してお待ちください」
「あ、はい」
なんだろう?
何か、釈然としない感覚がある。
単なる興味だけで見ていたとは思えない感覚が…。
その時、ベルの音が響き始めた。
「あ、シュベルツ、乗ろう」
声をかけられたシュベルツは目を輝かせて何度も頷いた。
ひとまずさっきの釈然としない感覚には蓋をして、僕らは列車に乗り込んだ。
列車の最後尾まで歩くと、そこには誰もいなかった。
後ろに行くに従って人が少なくなっていったのが、ついにゼロになったのだ。
「シュベルツ、マフラー取っていいよ」
列車同士を繋ぐドアを閉めると、僕はシュベルツに言った。
「え?大丈夫なんですか?」
シュベルツは小声で言う。
「うん、大丈夫。この機関車は特殊だからね」
「それって、家で言ってたことですよね…結局説明してもらってませんが」
「とりあえず、座ろう。どこがいい?」
じゃあ…と言って、シュベルツは一番後ろの座席を指差した。
なんだかシュベルツらしいと思って僕は少し笑ってしまった。
「な、なんですか」
「なんでもないよ」
座ったと同時ぐらいに、機関車は動き出した。
やがて、機関車特有の、振動と音と揺れが伝わってくる。
「う…動きましたね…」
シュベルツはやはりなにか感動したように言った。
ここまで興奮しているシュベルツを見るのは初めてではないだろうか。
「これからもっと不思議なことが起こるよ」
そう言って、僕は指で窓枠をコツンとやった。
すると、その指からもやが出て、広がって消えた。
「こ、これは?」
「これが、この機関車の動力源…僕らの魔力で、この列車は動いてる」
つまり、僕やシュベルツだと、音楽に関すること、と僕は付け足した。
「で、では…」
シュベルツはやはり僕のように窓枠や椅子を叩いて回った。
最終的にひとつのフレーズを歌うとより色濃くもやが出て、広がり消えた。
ほう…と言ったシュベルツに、僕が言う。
「この列車に乗る人はみんな魔力を持った人なんだ」
シュベルツは少し目を見開いて僕を見た。
「だから、シュベルツも喋れるし、鼻歌だって歌えるから、安心して」
私は、しばらく移り行く景色を楽しんだ。
ミュージは嬉しそうに私を見ていた。
この列車は暖かいから、ミュージもマフラー無しで大丈夫そうだ。
そのうち、ミュージは私に歌のリクエストをした。
私は今までにミュージと歌ってきた曲を歌った。
料金代わりで、事前にミュージは楽譜をこの列車の会社に送ったらしい。
それが最低限のこの機関車の動力源となっているという。
けれど、この楽しい気分で、歌わずにいられない衝動が私にはあった。
一曲歌う度に、ミュージは拍手をしてくれた。
「ね、きてよかったでしょ?」
ミュージは私にそう言った。
「はい。こんなに大きなものが動くという感動も味わえましたし」
魔力で動く列車というものも不思議ですし、
普段は見えない魔力がこうやって形に見えるのも面白いし
そう続けて、最後に私はこう言った。
「何より…ミュージが楽しそうなのも、嬉しいです」
「僕も、シュベルツが楽しそうで嬉しいよ」
私たちはお互いに笑い合った。
しかし、その後にとある事故がこの列車に起こる。
さっきは列車の傍らにいた男性が、この車両に現れて、それは告げられた。
「…橋が落ちた?!」
「はい…何故だか分からないのですが、この先の橋が…」
男性は申し訳なさそうにミュージの言葉に答えた。
「じゃあ、終点には着けないの?」
「方法が無いわけではありません」
その方法、のために男性はこうやって各車両を回っているらしかった。
「この列車は、幸いにも魔力を具体化出来ます。
沢山の魔力が集まればそれなりの強度になるでしょう」
「そしたらば…前払い料金みたいに、また楽譜を提供すれば?」
「申し訳ありません」
「いや、大丈夫だけど…」
さっきのこの男性の違和感を、また感じた。
ちらりとシュベルツの方を、一瞬見たのだ。
シュベルツも今度は分かったらしい。
シュベルツは少し困った顔をした。
「…大変恐縮なのですが」
思い切ったように男性が言った。
「あなたにもご協力願えますか?シュベルツ様…魔王様にも」
シュベルツは大きく目を見開いた。
「この魔力列車を運行する上で、魔力の歴史は必須教養です」
「つ…つまり…数百年前の、私の先代の…」
おそるおそる、シュベルツが言った。
その声を聞いても男性は顔色ひとつ変えない。
この列車の乗務員であるだけ、きっと魔力に対する耐性があるのだろう。
「あなた様のお声で、この列車を目的地へと運ぶことを協力してください」
「まず、どんな歌がいいのかな…」
「テーマ的なこと…ですよね」
「今までに歌った曲…だと、傷跡交差道は使える?」
「そうですね…多分私も心が込められると思います」
「クランの時の歌は…使えないかな…」
「あれは死に誘う歌でしたね」
「レティのは…」
「うーん…ギリギリですかね…」
「飛べない鳥は使えるかな」
「…飛べない、鳥ですけど」
「あ、そっか…歌泥棒の、あの子のは」
「…一応試しましょうか」
「カラフルは、大丈夫」
「そうですね」
「…」
「…」
「いまいち決め手にかけるなぁ…」
「もう一曲ぐらい欲しいですよね…」
「出来れば、この列車にちなんだもの…」
「そうですね、きっと相乗効果でより強化できるかと」
「…この列車の、この先、つまり未来を繋ぐのは、シュベルツの歌」
「ミュージの曲も、ですよ」
「音楽が…僕らの明日を運んでくれる…」
「…いけますか?」
「…書いてみる!」
列車が段々と速度を落としていく。
一度ガクンという振動を伝えて、列車は止まった。
「…着いた…?」
ミュージと私は窓から出した顔を見合わせた。
気づけば他の乗客も、窓から顔を出していた。
各々、得意分野で魔力を放出していたのが分かる。
顔に絵の具をつけた者。
腕に粘土がこびりついている者。
髪の毛に石の粉をつけた者。
プシューっと機関車が音を立てた瞬間、拍手と歓声が沸きあがった。
魔力で作る橋は見事に成功を収めた。
乗務員と運転手だと思われる男性は走り回り、皆に感謝を述べていた。
やがて乗客が少しずつ降り始め、私たちもから街の入り口へ出た。
そこには、ちょっとしたバザールがやっていた。
駅から直結した、屋根もある。ここなら日差しを避けて私でも入れる。
「こ…ここは?」
私は小声でミュージに尋ねた。
「普段の僕らの街だと、僕もちょっとした厄介者だし」
ミュージは頬をかいて言う。
「ゆっくり、シュベルツと買い物したかったんだ」
「そうだったんですか…」
私はひとつため息をついた。
「まぁ、ちょっと疲れたけどね…欲しいものある?」
「欲しいもの…欲しいもの…あ!」
「な、何?」
私はにっこり笑って言った。
「ミュージのマフラー、私に選ばせてください!」
二人の青年が街を歩く。
二人は微笑みをたたえていた。
とある店で立ち止まり、端正な顔の青年がマフラーを指差す。
まだあどけない顔の青年はやはり立ち止まり、首にかけて見せた。
端正な顔の青年は首をかしげ、もう一種類マフラーを指した。
首から一旦マフラーをはずし並べてみる。
そこには言葉らしい言葉はない。
けれど、笑顔があった。
言葉がなくても、通じ合っていた。
テレパシーだとか、そんなたいそうなものはないけれど。
二人は笑顔だった。
二人の手首には、それぞれ包帯が巻かれている。
二人の顔には、それぞれ眼鏡がかけられている。
何より二人は音楽という絆でつながっていた。
一人は作り手、一人は歌い手。
役割は違っても、その絆は変わらない。
たとえいつか、何かが二人を離そうとも。
きっとその絆はなくなることはないのだろう。
20110213 音でつながる橋 完