彼女についてのレジュメ
僕の通う高校の図書室にはバルコニーがついている。
昼休みはそこに置かれたベンチで弁当を食べることができるし、たまに日向ぼっこしている生徒もいるし、お菓子を交換する女子も見かける。
ここは団欒の場、なのかもしれない。
事の始まりは、入学式が一ヶ月が過ぎたころだった。
僕はまだ部活には入っていなかった。今更入るのも、遅すぎる気がしなくもないが。
図書室でハードカバーの本を借りるかどうか悩んでいる時、バルコニーからバサバサと何かが落ちる音がした。
そちらを見ると、女の子がいた。上履きの色をみると同学年。
青いベンチに横たわったまま動かないでいる。
ベンチの下には紙が大量に落っこちていた。 僕はあたりを見回して知り合いがいないことを確認してからバルコニーへ出る。
放課後のこともあり、僕と彼女以外には誰もいなかった。
「…よく寝れるなぁ」
思わず感想を洩らす。
女の子は顔にタオルをのせ、ゆるやかに胸を上下させていた。
起きているかどうかは分からない。というより日が出ているとはいえ、寒くないのか。
紙――ルーズリーフを拾い上げると、そこに細かに文字が書いてあることに気付いた。右端には数字。
どうやらこれは手書きの小説、らしい。
本人も寝ているし、ちょっと見てもいいだろうか。
そう思って手近なベンチに座り数字の若い順から読んでいく。
その話は黒の名前を持つ少年と白の名前を持つ少女の約束から始まっていた。
だがその数年後、少年は失踪し少女も交通事故に遭い一年は病院暮らしとなる。
退院した少女は風の噂で少年はあの頃の彼、こちら側の人間ではなくなったと聞く。
あちら側の人間は“魔術師”とかそういう類い。
少女は少年を止めるかと思いきや、自分も彼と同じ道を歩もうと決め、自らもこちら側の人間をやめる――
話はここで終わっていた。
ありがちのような、ありがちじゃないような。
分類としてはファンタジー。ちょっと恥ずかしくなる内容だけど。
魔術師か……。設定細かく作らないと大変そうだな。
こういうのって甘く浅くつくると矛盾がざっくざっく出てきて収拾がつかなくなるのだ。それを無視して書く小説家も少数なりにもいるが。
僕は顔をあげ、相変わらず眠りこけている女の子を見る。
努力作だろうに、風に全てさらわれそうだったのに気づいていないのか。
紙を全てまとめて、どうするべきかしばし迷う。
重石となるものがないのだ。
そばに置かれた彼女のバッグを開けて筆箱なりなんなり載せてもいいけど、あまりいい気持ちじゃないだろう。
適当に本でも載っけておくか……?
悩む僕の前で、女の子の手が突然動いた。タオルをひっつかみ、剥ぐように取り去る。
「……」「……ど、どうも」
焦点の定まらない目が僕を捉えた。
そのままスススと僕の持つ紙に視線が滑る。
「それ」
指を指しながら、
「読んだの?」
と言った。
「あ、う、うん……」
「どうだった?」
「…話が進まないわりにはヒロインが死にかけすぎかなって……」
運が悪かったら六回ぐらい死んでるぞヒロイン。
その時点で何らかの陰謀感じてもおかしくないぞヒロイン。
『わたしあの人を守らなきゃ』じゃないよヒロイン。まず自分守れよ。
「あー…寝ぼけてて気づかなかったや…別にヒロイン嫌いなわけじゃないんだけどねー…」
むぅ、と唸りながら彼女は身体をひねった。
「ふぎゃ」
ベンチから落ちた。
実を言うとこの流れ、予想していた。
「だ、大丈夫?」
「…ここはあれだよ君。私をお姫様だっこして救うべきだったよ」
うわ、絡まれた。しかもめんどくさい。
酔っぱらった従姉妹を思い出す。ちなみに三十路職無し彼氏無し。
「悪かったよ…ここで寝る君も君だけど」
「冗談だよ。男の子がそんな弱気じゃダメだよ」
好き勝手いいやがる。
「ん。小説、返して」
「あ、ああ……うん。はい」
紙束を渡す。
彼女はそれをしばらく見つめた後に、少しだけ微笑んで言った。
「おめでとう、読者1号くん」
「え」
僕が始めてなのか。
翌日、放課後。
僕には図書室に行くということが行動ルーチンに組み込まれていた。
行動ルーチンなんてそんな大掛かりな言いかた程じゃないけど。
少し進んで目にはいったのは図書室に置かれた人気の丸い青いソファ。
そこで昨日のように顔にタオルをのせて眠るあの女の子とそばで雑誌を読む女の子がいた。
というか、幼なじみだった。
幼なじみとはいうが、長年思いあってるとか付き合ってるとかそういうロマンな間柄じゃない。
そもそも適度な距離なら問題ないが、付き合うとなると性格からして合わない。入学そうそう彼女は彼氏ができているし、部活も入っている。友達も多い。
僕とはまるで反対に位置する人種だ。人間関係の才能があるんだろうな。
そんな幼なじみは僕に気づくと手をあげた。
「やあ読者1号くん」
「…話してたんだ」
「うん。誰にも読ませたことのないやつを読んだ人って」
大ニュースだったのか。
「そっちは?読んだことないのか」
「ないよ。書いてるところは何回かみたけど、すぐ隠しちゃうし」
確かに昨日のあれは不意打ちにも近いかたちで読んだし。
いや、それより人に見せたくないならちゃんと管理しとけよ…。
「そんな貴重な存在になっちゃったんだねぇ、我が親愛なる幼なじみくんは」
「貴重な存在って……ただ最初に読んだのが僕なだけだろ」
「ふふんっ、事の重大さに気づいてないね」
「気づくって……六回ぐらい死にかけたら気づくかもだけど」
「つまりだね、あんたはこの子の秘密を、内面を、見ちゃったわけさ」
スルーされた。
ちくしょう、こいつ僕の扱い方が年々雑になっていないか。
「そこまでのこと、か?」
「それも、それなりに大事にしてきたものをね」
「…僕にどうしろと?」
「読んだからには、最後まで読んであげなよ。この眠り姫の小説を、さ」
眠り姫。確かにそのネーミングはあっている。
幼なじみは立ち上がり、雑誌をしまうと僕のでこをつついた。
なにしやがる。
「絶対に性格あうよ。あんたたちはさ」「あわないよ。昨日話しただけでもあわないなって思ったし」
「あんたさぁ……本を斜め読みしてあらすじかける?」
「え?いや」
いきなりの問いかけに戸惑う。
「でしょ?ちゃんと読まないと書けないでしょ?それと同じ」
「……?」
「相手をよく知らないと、どんな人なのかは一言でいえないでしょ」
「そりゃ、まあ」
なら、と幼なじみは言う。
バッグを肩にかけて、僕の横を通りすぎた。
帰るらしい。
「まだあんたは彼女を斜め読みしてるだけ」
「……」
「そのお話を書き終わる頃には彼女を要約できるぐらいに仲良しになれるんじゃない?」
レジュメ使いたいだけだろ、とか。
仲良しになること前提かよ、とか。
いつこの話が終わるんだよ、とか。
色々文句を言いたかったが何も言えなかった。
「……」
「じゃあね。眠り姫を頼んだ」
「眠り姫が起きるまで待たないのか?」
「うん。あらかじめ言ってあるし、時間だし」
「部活?」
「バイト」
こいつ高校生活満喫してるなぁ。
そして彼女は図書室から消えた。
「あうーん……」
眠り姫が起きたのはそれから三十分後だった。
今度は落ちることなく、上半身をゆっくりとおこす。
「よく寝るね」
「授業中は寝ないよ――一日ぶり、藍川くん」
「……明日香から聞いたのか」
「うん」
あいつめ。人には名前を教えて僕には教えないのか。
なんかとても不公平だ。
「春山桃花」
「ん?」
「私の名前。一方が知らないのはなんだかなって思って」
「あ、ああ…そうなんだ」
心遣いどうもありがとう。
「ところでさ」
「ん」
「君、今まで人に見せたことが無いみたいだけどなんで?」
春山さんは痛いところをつかれた、という顔をした。
目を逸らしつつ答える。
「いやじゃん。こんなの書いてるの?とか思われるのって」
でもそれじゃダメだって分かっている。
春山さんは小さく呟く。
人目を気にしていたら、いつまでも上達しない。だけども周りから引かれたくもない。
結構心がグラグラ揺れているんだろうな、と感じた。
見てもらいたいけど見せたくないみたいな。
もしかしたら、ルーズリーフを落とした昨日のあれはわざとだったのかもしれない。無意識の行為。
僕は勢いで言った。
「じゃあ、僕が君の読者になるよ」
一瞬、図書室が静まり返った。
元から静まり返ってはいるけど、なんだか外まで静かになったような気がする。
「……」
「……」
しばらく黙っていた彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「それ、口説いてる?」
「いや、そんなつもりじゃないけど」
どうして今口説かなくてはいけないのだ。
「僕は文章が書けないけど、他人だから客観的に見れるし、指摘もできると思う。一人で書くよりは、いいんじゃないかな」
「ふぅん…まあ君が後先考えないタイプなのは分かった」
彼女はにやりと笑う。
おもしろくて、表情を堪えきれないといいたげな顔で。
「読者、というより編集者かな?よろしく、藍川編集者」
僕に手の平を見せてきた。
だから、僕も手の平を掲げる。
そして互いに打ち合わせた。スパンと良い音が響く。
――それが、僕と彼女の出会い。
この数ヶ月後、読者2号が出来たり新人賞云々で話し合ったり部活の設立を考えたりするけど――
まだ、それは先の話。
どうやら僕は彼女を簡潔に表すことができそうにない。