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北の大賢者の養い子(7)

 スィールは、男をまじまじと観察した。

 年のころは二十代半ば過ぎ。

 瞳の色はわからないが、髪ははちみつのような金色だ。

 身につけている外套や衣服の感じから言って、かなり裕福な階級に属している。


(たぶん、貴族だ)


「……っ」


 男の身体に触れようとして、指先に火花が散った。


「護符?」


 意識を凝らす。

 男の身体を淡い光が覆っているのが視えた。そして、複雑に絡み合った呪が彼の身体を覆っている。

 黄金色に輝く呪……それは、血に宿るものなのだと本能的に理解する。


「初めて見たかも……『血統呪』」


 血に宿る呪、それこそが、帝国貴族が守る『血統による固有の魔術の源』だ。

 帝国は、その根幹に魔術を置く。

 『魔法』しかなかった世界に『魔術』を生み出したのは帝国だった。

 魔法と魔術は明確な区分がしにくいことも多々ある。場合によってはその過程や結果も、まったく変わらない場合とてある。が、魔術のほうが、魔法以上に術者の意思が反映されているとスィールは考える。

 魔術は、いわば技術なのだ。

 人が生み出し、人が磨いてきた技術。

 その一つの頂点が目の前にある『血統呪』だ。


 そっと呪に触れる。


 スィールほどの魔力があれば、どんな呪にもまず侵されることはない。触れた呪のすべてを読み解くことはできずとも、だいたいの構造くらいはわかる。

 その複雑かつ膨大な式を持つ呪、さらにその血統呪にまた別種の魔力が絡み合っている。


(うわ、眩暈しそう……)


 脳裏に押し寄せてくる光、そして膨大な呪とその式。


「……古き剣……古き血……か」


 彼の剣は、特別な剣だったのだと理解する。

 古い剣は、特別な謂れを持つ、力あるものがある。『魔剣』とか『聖剣』と呼ばれるようなものは皆そういう剣だ。剣という無機物に、魂が宿るのだ。

 年経た魂は、人格すら持つものがあるという。剣が主を選ぶと言われのはその為だ。


 剣は、この目の前の男を主としていた。それは、剣のカタチを失くし、己が魂をただの魔力と化して主の命を繋いでいた。彼が死んでいないのはそのせいだ。


(……あ)


 ゆらりと空気が揺らぐ。

 スィールが彼に触れたことで、剣の魂とも言うべき精霊が、姿を現した。


 向こう側が透け見えるその姿は、まるで幽霊だ。

 そして、幽霊も精霊もたいした差はないのかも、とスィールは頭の片隅でチラリと考えた。


『そこにおわすは、魔術師殿とお見受けいたす』

「……まだ、誓いをたてて3年にしかならないけど」

『年月ではござらぬ。貴女は、魔術師だ』


 剣の精は朗らかに笑う。

 主の姿を映すのか、剣の精は、色こそ違えど、倒れている男と良く似た容姿をしているようにスィールには思えた。

 褐色の肌に、漆黒の髪、そして、瞳の色は黄金だ。


「あなたの名前をお聞きしても良い?」


 スィールは注意深く名を尋ねた。

 礼儀という意味で言うならば、まず先にスィールが名乗るべきだ。

 だが、スィールは魔術師で……魔術師にとって、名を名乗るということは特別な意味を持つ。今は、かつてほどの強い意味をもたぬ行為であったが、それでもスィールはあらゆる理由をつけて、決して自分から先に名乗ることはしないに違いなかった。


『我が名は、ガルディア』

「……漆黒の竜王ゲーディア?」

『魔術師殿は物識りだな』


 いかにも、というようにガルディアはうなづいた。


(うわー、すごい、すごい、すごい!!!)


 漆黒の竜王は、吟遊詩人のうたう『創世の詩』にも出てくる伝説の存在だ。

 『ガルディア』とは帝国風の発音で、一般的にはゲーディアとして知られている。

 魔術師の端くれとしても、普通の人間としても、それはかなり驚愕する事実だ。

 スィールはかなり興奮していたのだが、スィールは感情を表に出すということがよくわからない。なので、実際には目を大きく見開いただけで、ガルディアにはスィールのその驚きと興奮はまったく伝わらなかった。


「私はスィール。スィール・ルゥ」

『ルゥ……それでは、貴女は光の杖の流れであるか?』

「秘密。だって、あなたは主に話してしまうから」

『そのようなことはせぬよ……。おそらくは、我は、もうこの世界に留まることができぬから』

「?」


 スィールはきょとんとして首を傾げた。

 ガルディアは、美しい所作で膝をつき、そして、スィールの手をとる。


『我、かつて竜族を統べし者、世界の理を担いし獣。魔導師スィール・ルゥに伏して願う』

「ガルディア?」


 ガルディアの口から流れ出るのは、神代言語。神と語るための最初の言葉と言われるそれは、最高の魔術言語だ。

 じじさまの知識のすべてを継いでいるスィールにはその言葉が理解できる。


(言葉が……)


 彼が紡ぐ言葉が、世界に響いている。


『我が命を糧とし、我が友にして我が主、アーネスト・エレザール=リュカディア=シュレイヤーンを救うことを』

「!」


 ガルディアは誓いの証にスィールの手に軽く口付ける。

 淡い光。それは彼が己が魂の全てに賭けて誓ったその証だ。

 スィールは言葉を失った。

 主に全てを捧げるガルディアに驚いたこともあるし、自分に願うというのにも驚いた。


『無理、なのか?』


 不安げなガルディアの表情。

 不足なのか?と問われたような気がして、スィールはぶんぶんと首を横に振る。 


「代償には足りる、と思う。あなたは、濃密な魔力の塊そのものだし」


『魔術は、術を行使する代償を必要とする』


 これは、世界の律だ。

 無から有を生み出すことはできず、有を無に帰すこともできない。

 ゆえに、それを行うためにはそれに代わる代償が必要となる。

 彼を癒すための魔力はガルディアが、自身を捧げると言った。

 これ以上の代償をスィールは知らない。

 それは、目の前の男を癒すに充分だろうとスィールは判断する。


「……でも、私には誓約があるから」

『世界の天秤を守ること、か……』

「そう」


 スィールはうなづく。

 

 魔術師は魔法士と違い、学校があるわけでもなく、公的な資格制度があるわけでもない。

 そのために詐称する者も多いのだが、本当の魔術師というのは実はとても希少だ。

 魔術師とは、師より魔術師としての名を与えられ、自身の杖を得ることができて初めて『魔術師』と名乗る。そして、普通は名を与えられる時に必ず『誓約』をたてる。


 魔術を使えれば魔術師なのではない。

 杖を持っていてもそれだけでは魔術師としては認められない。

 魔術師とは、世界に『誓約』をたてた者を言う。

「世界の天秤を守ること」は、魔術師を魔術師とする全てだ。

 

『アーネストの生命を救うことは、世界の天秤を乱さない、と我が保証してもだめか?』

「シュレイヤーンなのに?」


 スィールだってシュレイヤーンという姓が帝国に12ある選定候家の姓だということくらい知っている。

 帝国の中枢近くにある者を助ければ何らかの大きな影響があるのではないか、と考えるのが普通だ。


『これは、正妻腹の三男に生まれたせいか、何事にもおおらかで大概のことに興味のない剣術バカでな。政治とは無縁だぞ』

「ずーっとそうかはわからないよ。人間は変わる生き物だからってみんな言ってる」


 生憎、スィールにはそう言い切るだけの人生経験はない。

 サバを読んだとしてもまだたった14年しか生きていないのだ。ゆえに、スィールは聞いたことのある他者の話を総合してそう口にする。みんなというには、いささか数が少なすぎるが。


『確かにそうではあるな』


(どうしよう……)


「世界の天秤を守る」

 それは、世界の均衡を守るという意味だ。

 過去には、世界を壊さなければ何をやってもいいと解釈して好き放題した男もいると聞いた。


(でも、あれは見本にしちゃいけないって言われたし……)


 スィールは悩む。


(力は、ある……)


 ガルディアをちらりと見る。

 主である男の生命をつなぐのに、その存在の半分以上の力を費やし、剣としてのカタチをもはや失ってはいても、おそらく足りるだろう。


(技も、ある……)


 スィールの中に息づく術がある。

 できる、という確信がスィールにはある。

 けれど、見ず知らずの、その為人もよく知らない帝国の大貴族の息子などを助けてしまったら、世界を変えてしまうことになるのではないか?と考える。 


(でも、ガルディアがいて……、そして、私がいたというのは、彼が最高に幸運だっただけなのかも……)


 スィールは、年齢以上に聡明な子供だ。

 魔術師である以上、思慮深いほうだと言ってもいい。

 そして、その基本はかなりのプラス思考だった。

 

(そうだよね。だから、助けてあげて、それで、悪いことしないように見張ればいいんだ!)


 どうせ自分は春から帝都に行くのだ。

 この男もきっと帝都の人間だろうからちょうど良い、とスィールは考えた。


「……闇に煌くはじめの竜よ、我が名はスィール・ルゥ。北の大賢者の養い子にして、その全てを継ぎし者。そなたの望みを叶えよう」


 思いつくと、それがものすごい名案のように思え、自然、にこり、と笑顔がこぼれる。

 笑うと、スィールは可愛らしい。普段無表情な分、余計にそう見えるのかもしれない。


 ガルディアははっと目を奪われ、そして我にかえると再びその手の甲に口付ける。


『貴女に、我が最高の感謝を』


 実際のところ、ガルディアとて半信半疑だった。

 魔術師の技は年齢によらぬ。ましてや、ルゥを名乗る魔術師なれば、幼くともそれなりの術師であろうとわかっている。更にスィールが内包する、強大な魔力も感じ取れる。

 だが、それでいてもスィールは幼い。

 これほどに幼い魔術師をガルディアは見たことがなかった。


「はじめます」


 だが、スィールがそう告げ、そして、その手を掲げると、世界が柔らかく震えた。


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