北の大賢者の養い子(2)
スィールが住んでいるのは大陸最大の版図を誇るエシュリア帝国の北の果て。
その土地の貧しさから帝国直轄領とされているシュアーズ地方の最も北に位置するイーガ山脈の奥深く、『沈黙の森』と呼ばれる森の中だ。
獣すら通わぬ地といわれるその場所を、只人が訪れることはない。
冬でなければ月に一度か二度、麓の村まで買い物に出るが、それ以外はスィールも森から出ることはない。
『じじさま』とスィールが呼んでいた養い親の老人は、この森の端にある小さな小屋で世捨て人同然の暮らしを送っていた。
麓の村では都のえらい学者の先生が都の貴族に嫌われて隠れて住んでいるらしいと噂されていたが、時折買い物に来るスィールと老人がその当人だとは思っていなかっただろう。
老人がどういう過去を持っていたかをスィールは知らない。だが、えらい学者の先生だったというのはおそらく本当だろうと思っていた。
何しろ、小屋の中には書物があふれている。
識字率がそれほど高くない辺境の村では、書物など、村長の家や金持ちと言われる人間の家に聖書と流行の小説が数冊あるくらいがせいぜいだ。
なのに、小屋の書物は一般的な読み物というわけではなく専門書。それも、魔術や歴史に関する書物がかなりの割合を占めていた。他を知らないスィールでさえ、ここにある書物はかなり貴重なものなのだとぼんやりとわかっていたほどだ。
そして、何よりも……。
(じじさまは、魔導師だった)
この世界において、『魔導師』は特別な存在だ。
完全な身分社会の中にありながら、『魔導師』は『魔導師』となったその瞬間から、自国の王にすら頭を下げる必要がなくなる。また、その前身が何者であるかすら問われることがない。
王侯貴族のような権は持たぬが、世界を揺り動かす力を持つ。
それが、『魔導師』である。
世界にたった七人しかいないルーリンディアの杖の主-------北の大賢者 ヴィラード・ルゥ。
それが、スィールがじじさまと呼ぶ養い親の老人の名だった。
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スィールは、捨て子だ。
この沈黙の森の奥深くにある星の泉のほとりに捨てられていたのを、老人が拾ってくれた。
「私も一人で暮らすことが寂しくて淋しくてたまらなかったんだよ。きっとエシュリーダ女神がそれを哀れんでくださったのだろう」と老人は静かに笑った。嬉しくなって抱きつくと、いつも優しく頭を撫でてくれた。
スィールは、老人が大好きだった。だから、捨てられたことにすら感謝した。
(じじさまに出会う為に捨てられたというのなら、それでいい。……ううん。それがいい)
両親の揃っている立派な家庭であったとしても、スィールには必要なかった。
スィールの家族はじじさまだけで良かった。
もし、自分で選べるのなら、スィールは何度だって捨てられることを選ぶだろう。
(だいたい、親ってよくわからないし……)
じじさまとスィールは、一時期、街で暮らしていたこともあるから、その時に親子というものを見たこともある。
けれど、あんまりよくわからなかった。
仲良しになった近所の兄妹には『お父さんとお母さんがいなくて可哀想』と言われたのだが、大好きなじじさまをバカにされたような気がしたことと、勝手に可哀想な子にされたことに怒りを覚えて絶交した。その時だって『親』についてはどうでもよかった。
そもそも、スィールに親の記憶はまったくないのだ。記憶がない以上、恋しいと思うはずがなかった。