迷子と竜の祠(2)
「……変だね」
『うむ』
強く嫌な気配を発していたはずなのに、近づけば近づくほど、その気配は薄れてゆく。
というよりは、むしろ……。
「……浄化されているのかな」
『そのようだな』
「……んー、たぶん土地に染み付いた穢れか何かで、祠か小さな神殿があって、そこで術が今でも動いているんだと思う」
『随分と具体的だな』
「そういう例がたくさんあるから。昔からの神殿とか祠っていうのは、人がたくさん死んだ処刑場とか、戦場の跡地とかに建てられてることが多いんだよ。穢れた地は人の精神を蝕むから、そうやって祠とか神殿にして隔離して浄化するの。何箇所か見たことあるの」
『ほお』
「前にじじさまとちょっとだけ旅したことあるって言ったでしょ。そういう調査の旅だったんだよ」
じじさまは古代遺跡の研究者だったから、とスィールは言う。
『遺跡というのは、こんなにも人気のない場所にあることが多いのか?』
どんどんと村の中心地から離れていくが、スィールはまったく気にしない。雪はかなり積もっているが、常に軽く浮いているスィールにしてみれば、どれほど積もっていたとしてもあまり関係がない。しかも、ちゃんと人の通れる道が存在しているのだからまったく問題ないといっていい。
「元は中心地にあったり、街道沿いだったりすることも多いよ。でも、穢れた地っていうのは、どれほど栄えていたとしても、どういうわけか自然と人気がなくなっていくの。何となく嫌だなぁってみんな思うみたい。隔離しているわけだからその方が都合がいいこともあるんだけどね」
『人間は、意外に敏感なのだな』
「当たり前だよ。人は……弱いんだから」
この世界には多くの種族があるが、その中でも人間ほど弱くもろい種はないとスィールは思う。人間の中にも幾つかの例外はあるがそれは突然変異にすぎない。
どれほど鍛えても純粋に肉体的な強靭さは竜族を越えることはなく、魔力量的に妖精族を越えることもない。更に、平均寿命は100歳には到底届かない。
何一つとして、頂点にたつ能力を持たないのが人という種だ。
『確かにひ弱な種族だな』
「でも、心は誰よりも強くなれるんだって、じじ様がよく言ってた」
そう言った時の老人の誇らしげな表情を、スィールは今でもありありと思い出せる。
あの横顔を思い出すたびに、スィールも自分もそう思えるようになりたいと思う。
『心、か……』
「私も強くなりたいんだ」
『主は、充分強いと思うぞ』
魔術師に一番必要なのは強い意志力だ。世界を従える意思の力……それは、強い心から生まれるものだ。
あれほどの魔術を行使する以上、スィールの心が弱いはずがない。
「そうかなぁ?」
『そうだとも。そもそも主は、そんなに強くなってどうするのだ?』
「大切なものを守れるようになりたいの」
『大切なもの?』
「うん。……今はね、ガル。それから、アーネスト!」
満面の笑みでスィールは言う。
その言葉に、ガルディアは一瞬凍りつき……あろうことか羽をうごかすのを忘れて墜落しかけた。
それほどまでに、スィールのその笑みは強烈だった。
一点の曇りもなく澄んだ笑み ─── それが自分に向けられたのだとそう思うだけで、身体が震えた。
「……どうしたの?ガル」
墜落しかけたガルディアを抱きとめ、ぬいぐるみのように腕に抱えたスィールは軽く首を傾げる。
『……いや、何でもない。大丈夫だ。案ずるな、主よ』
だがそう口にしてる自分がだいぶ舞い上がっていることにガルディアは気付いていた。
だが、永きに渡る生において、初めてといえるほど心を傾けている主に、守りたい大切な存在だと言われて舞い上がらぬはずがない。
『我は最強の竜族ぞ。これでも強さには自信がある。アーネストも……たぶん、大丈夫だ』
「知ってるよ。でも、他に何もないもん」
スィールの一番大切なものはもうない。だから、ガルディアとアーネストが大切だった。
『あの妖精族の次の王がいるではないか』
ガルディアにしてみれば、純粋に不思議だった。
ヴィ・ディルーとスィールは、ガルディアやアーネストより付き合いはずっと長い。ましてや、彼らは妖精族言うところの『友』であり、特別な絆を結んでいる。
だが、スィールは意外なほどそっけなく言った。
「ヴィは私を守らないし、私もヴィを守らないよ」
(……仲睦まじいように見えたのだがな)
不思議に思うガルディアを知ってか知らずか、スィールは少し間を置いて、そしてつけ加えた。
「………背中は預けるけど」
その言葉に込められた確かな信頼と絆。
ガルディアが思うよりもそれはずっとずっと深いもので……。
(ああ……)
ガルディアは心の中で嘆息する。
(……我は、初めて他者を羨ましく思うたかもしれぬ)
その言葉に、いや、その言葉を与えられたヴィ・ディルーを、ガルディアは心底、羨んだ。
身を焦がすようなその感情を、どうしてよいかわからなかった。
最強であるがゆえに誰よりも自由である竜族の、その王であった自身がそんな感情を持つことに苛立ちを覚え、だが、それ以上に主を……スィールをかけがえのない大切な存在なのだと感じる気持ちが上回った。
『我は……主に守られるより、主を守りたいと願う』
そして、口に出せたのはそれだけだった。
「ガルは私の守護者だもんね」
スィールは、時折見せるはにかんだような照れているような笑みをみせる。
ただそれだけで、ガルディアの心は喜びに揺れた。
『もちろんだ』
「じゃあ、私もガルを守るけど、ガルも私を守るの」
それっていいよね、とスィールが笑う。
だから、ガルディアも笑った。
『ああ……それがいい』
□□□
どのくらい歩いただろうか。雪深い森を抜け、しばらくすると、山肌を穿つようにして建てられた石造りの祠が目の前に現れた。
「……やっぱり祠だ」
スィールの声に喜色が混じる。ある意味、予想通りといってもいい。
『ふむ。確かにこの奥から匂いがするな』
ガルディアはクンクンと鼻をうごめかせる。
魔術には独特の匂い、のようなものがある。本当に匂うというのではなく、気配のようなものを匂いとして感じているにすぎない。
「そうだね。……奥で術が動いているみたい」
目を閉じたスィールは、意識を凝らした。
透視<とおみ>と言われるそれは、ある種の魔術的な視界で、特殊技能の一つだ。別名を妖精眼とも言うように、妖精族はほぼ全員がこの視界を有するのだが、人間においては血統による特殊技能である。
だが、育て親の老人はもちろん、自分も、そしてヴィ・ディルーも当たり前のように普通に使っていたスィールにとって、それが特殊技能である意識はない。
『何かあるのはわかるのだが……』
魔力が高くとも、竜族は透視<とおみ>と呼ばれるほどはっきりとした魔術的視界を有さない。竜族の魔法はいわば力技が多く、ガルディアはあまり細かいことはよくわからなかった。
「洞窟になってるの。その奥の方で術が動いてる」
堅く封印されているため、その術に遮蔽されてなかなか視えにくいものの、奥深くで魔方陣が淡い光を放っているのがわかる。
「……わざわざ入り口をふさぐ形でこの祠を建てたんだよ。こういう形に建てられた祠はそれほど珍しくない。ここから少し東にあるクレッティエンっていう町の郊外にもあるし、帝都にもいくつかあるよ」
『詳しいのだな』
「だって、じじ様は遺跡の研究者だったんだもの。こういう祠も勿論、守備範囲だよ」
『遺跡の研究とは、どういうことを研究するのだ?』
「主に、旧帝国時代とそれ以前の遺跡が専門で……構造とか建てられた目的とかそういうの。あとね、遺跡って魔術やそれに類するものの宝庫なんだよ。そういうものを見つけて自分の魔術に役立てるの。昔から稼動してる術の術式ってすごい勉強になるんだよ』
スィールはとことんまで魔術師気質なのだろう。魔術のことに関すると、いつもより少し饒舌になる。
『主も、遺跡の研究者になるのか?』
「……そのつもり。だから、ガルは助手になってね」
『こんなナリで助手ができるのか?』
「飛べると便利だよ」
『ふむ』
「あ」
石造りの扉に触れた瞬間、びりっと小さな火花が飛んだ。
『主よ、大事ないか?』
ガルディアは慌てた。
「うん、大丈夫。魔力に反応しただけ。別に封印を破ろうとしたわけじゃないから。ただの警告だよ」
石の扉には魔術言語による警告と封印の術式が浮かび上がり、淡く発光している。
術に気がつかなかった……とつぶやきながらも、その術式をくいいるように見つめている。
『どうするのだ?』
「んー……本当は、中に入って詳しく術を解析したいけど……」
今回はやめておく、と、スィールは軽く肩をすくめる。
『良いのか?』
「うん。本当はすごーくすごーく見たいけど。でもここまで厳重に封印してるってことはそれだけ隔離したいってことだし……それに、下調べとかしてないし……」
『下調べとは何をするのだ?』
「この祠がどういう祠なのかとか、どういう言い伝えがあるのかとかを地元の人に聞くの。伝説とか神話に由来してたりするけど、それも手がかりになるんだよ。……それから地形を調べたりとか。それに、穢れに対する備えもまったくしてないし……」
個人差はあるが、魔術師は常人より繊細な感覚を持つ。それは、穢れに対して敏感であるということでもある。敏感ではあっても耐性は強く、侵されにくくはあるのだが、それなりの対策はもちろん必要だ。
「機会があれば、またくればいいし」
『ここの座標も覚えたのか?』
「うん」
『では、村に戻るとするか』
「そうだね。アーネスト、探さなきゃ!」
のんびりと元来た道を辿る。
雪の上についている足跡は消えかかっている一つだけだ。こんな外れの祠にはほとんど来る者もいないのだろう。
『宿屋におるのではないか?』
「宿?そういえば、ごはんおいしいとこ知ってるっていってた!」
『そうだったな』
「シチュー食べたい」
『主はシチューが好きだな』
「うん」
『だが、最近少し食べられる量が減ったのではないか?小姑がうるさすぎるか?少し黙らせようか?』
「……んー、別にアーネストはいつものことだからもう慣れたけど……アロサ、嫌い……」
元々食が細い方だ。携帯食になるとそれがさらに細る。
アロサというのは旅人なら必ず持っているだろう携帯食で、麦の加工品だ。嵩張らずに栄養価も高く、火を通しても、そのままでも食べられることから重宝されている。
スィールはこれが好きではなく、ついつい食べる量が少なくなるので、アーネストは食事のたびにうるさい。
だが、食べられないものは食べられない。そして、アーネストが聞いたら更に怒るかもしれないが、小言じみたそれも毎日言われれば慣れるもので、最近は言われてもまったく気にならない。というか、最初からスルーしている。
『自分で買ったのに?』
「じじ様がそうしてたように揃えただけ。……やってみないとわからないことっていっぱいあるね。昔食べたときはそんなに嫌いとか思わなかったのに」
スィールは溜め息をつく。
どんなにいろいろな知識があっても、自分で実感できない限り、それは自分のものではないのだと改めて思い知った。
『以前、我が剣主であった者は、干した果物と一緒にミルクで煮て食べていたぞ』
「甘くなれば、食べられるかなぁ……』
『試してみるがよい』
「うん。……ありがとう、ガル」
『いや』
他愛ない会話を交わすだけで満たされる自分を、ガルディアは奇妙なものだと思う。
「話してたらおなか減ったから、急いで帰ろ」
『うむ』
スィールはガルディアを抱いたままとん、と地面を軽く蹴る。と、同時に指先で小さく呪を描いていて、それを足元に落として発動させた。前回はわからなかったが、気にして観察してみれば、極めて簡略化されていたがきちんと魔術行使の手順を踏んでいる。
(この術だけでも、主が優秀な魔術師であると誰もが認めるであろう)
いささか主自慢がすぎるかもしれぬ、と思いつつも、ガルディアは心の中でそう思うことをやめられない。
「え?」
「うわっ」
転移が終了したその瞬間、スィールは背中に衝撃を感じ、バランスを崩した。