迷子と竜の祠(1)
アーネストが絶叫を響かせたのと同じ頃、スィールとガルディアは、勿論、同じ村の中にいた。
『どうしたのだ?我が主よ』
「……今、誰か呼んだ?」
『ふむ。そういわれればそんな気も……』
「……まあ、いいや」
あっさりとそれを切り捨てる。
今のスィールには、それ以上に大事なことがあった。
「それより、こっちだよ、ガル。こっちから気配がするの」
『うむ。我も感じるぞ』
スィールは気配のするほうへ足を向ける。
周囲を見回せば、どうやら村のはずれにまで来ているらしい。
「強くなってる……たぶん、この奥なんだけど」
『そのようじゃな』
ラカータに入るとすぐにスィールは不思議な気配を感じた。
強く、そして、弱く……揺らぐその気配は、なぜか放っておけない気がした。まるで点滅して警告を発しているかのように感じられたのだ。
もっと強くその気配を感じ取ろうとして立ち止まり……そして、気配の方角を探知し終えたときには、目の前にあったはずのアーネストの姿はなかったのだ。
「アーネスト、どこに行っちゃったんだろうね」
『そうだな。あれは昔からフラフラしすぎなのだ』
「そうなの?」
『ヤサグレテおったからの。まあ、あれもいい年齢の大人だ。迷子になったところで一人で帰れぬというわけでもあるまい』
「そうだよね」
アーネストが聞けば、迷子なのはおまえらだ!と怒鳴るに違いない言い分だったが、スィール達は大真面目だった。
アーネストにとって極めて不幸なことに、スィールたちの主観からすればいなくなったのはアーネストであり、従って迷子になったのもアーネストだった。
「大人だから、探しに行かなくていいよね?」
『構わぬであろう。だが、我らだけで良いのか?』
「大丈夫だよ。あんまり奥まで行かなければいいし、おかしかったら出直せばいいし。それに、入り口の座標も覚えてるから……いつでも跳べる」
『うむ』
更にアーネストが不幸だったのは、独立独歩、一人で生きてきたスィールには、アーネストを待つとか、アーネストと一緒に行くという発想がまったくないことだった。
加えて、連絡をいれるという発想も欠片もなかったので、当人はまったく知らなかったものの、結果としてアーネストは一人置き去りにされることとなった。
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「ラカータは竜の祠があるんだって。その祠なのかな?」
『どうであろう?かつて、竜族はこの世界のどこにでも居たのだから、竜を祀る祠がどこにあっても驚かぬが、このようなおかしな気配がするようなものに心当たりはないぞ』
「そうだよね」
この時代、竜族もまた妖精族のようにゆっくりと衰退しつつある。
『竜』が、単体としてこの世界の生命連鎖の頂点に立つ生物であることに変わりはなかったが、種族としてであるならば、竜族はもはや頂点を争うことなどできぬほどに数を減らしてしまっている。
一番の原因は、これまた妖精族と同じで子が生まれにくい事だ。
竜族、妖精族を問わず、長命種は子が生まれにくい。妖精族よりはるかに早くそのことに気付いていた竜族はあらゆる手段を尽くしたが、その衰退をとどめることはできなかった。
竜族の中の貴族とも言うべき古代種はすでに絶滅に瀕しており、天竜種と呼ばれる数種族が細々とその血脈を伝えてはいたが、大陸で最も良く見られる竜は、魔力も言葉も持たぬ地竜種……人間が飼いならし、乗騎とする飛竜がほとんどだった。
「……術の気配なんだよね」
『魔術のか?』
「そう。……んー、なんか嫌な感じなの」
『ならば、行かぬほうが良いのではないか?』
「でも、変な風に暴走しているのだったら止めないと」
『なぜ、主が?』
「私はじじ様の弟子だもの」
じじ様はね、いつも言ってたよ、とスィールは弾んだ声音で語る。
「魔術師は、世界の天秤の担い手。誰かが天秤を傾けるようなことをしていたら……もし、それを知ることになったら、全力でそれを止めなさいって」
『……主よ、主は、正義の味方にでもなるつもりか?』
「ううん、全然」
あっさりと首を横に振るので、ガルディアは安心した。
「じじ様は、わざわざ自分から首を突っ込みに行く必要はないって言ってた。けど、道を歩いててそれにぶつかったら、それは運命なのだから、仕方ないから頑張りなさいって。その時は手段を選ばなくていいからって』
気が遠くなるほどの時を生きてきたガルディアであっても、何ともコメントに困る言い草だった。
『……主のじじ様は、変わり者だな』
かろうじて、それだけ述べる。
「そうかなぁ?」
『そうだとも』
よくは知らなくともそれだけは断言できる、と力強くうなづく。
(それに、手段は選んだほうがいいと思うぞ)
だが、ガルディアはあまりおしゃべりなほうではなかったので、思っていたことを口に出すことはなかった。
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「なあ、兄ちゃん、兄ちゃんはどうしてウチのこと知ってたんだ?」
「俺の従騎士がこの村に来たことがあったんだ。それで話を聞いたことがある」
「へえ、兄ちゃん、本物の騎士なんだな。すげえ!」
「別にたいしたことではない。今は、騎士団も休んでいるようなものだし」
「騎士団?すげえ!」
アーネストは、宿の女将の息子だという少年の案内で表口へと回る。
騎士に憧れているらしい子供は、あまりに何度もすげえを連発するのでアーネストは苦笑した。
「兄ちゃんの、その、じゅう……えっと、じゅう……」
「従騎士」
「そうそう。じゅうきしって人は俺んちのことを何て話したのの?」
「ああ……。メシが最高にうまかった、と」
とりあえず、宿を取るのが先決だった。スィールにも宿の名は告げてある。闇雲にさがしても行き違いになるだけだし、探すにしても拠点を決めてから探すほうが楽だろう。
「へえ。それは嬉しいな。うちの父ちゃんの料理は最高にうまいんだぜ!俺のオススメは鳥だな。鳥を焼いたのを塩とニンニクのソースで食べるヤツ。皮がパリッパリなのに、肉はジューシィでさ。塩でさっぱりしてるから一羽丸ごとだって食えるよ。麦酒にだってぴったりなんだぜ」
「へえ、それはうまそうだ」
ぜひ、夕食にはそれを食べようと決める。
現在、一行の財布を預かっているのはアーネストだ。スィールいわく、大人が持っていた方が安全だからということで任された。
財布の中身は意外に潤沢で、多少の贅沢をしても許される余裕があった。
(それに……)
少し大きい街に行けば、アーネストが身につけていたカフスなどの装飾品を売ることも出来る。そうすれば、生活費のことでスィールをあれこれ悩ませることもないだろう。
「母ちゃん、お客さん」
「あいよ……。ほら、あんたはさっさとエル爺のとこに行っといで」
「わかってるよ。じゃあね、兄ちゃん。……あ、途中で兄ちゃんの連れだっていうヤツ見たら、うちにいるって言ってやるよ。どんな格好してんの?」
「深草色の外套を着て、こう……空を飛ぶ不恰好なトカゲみたいな生き物と一緒にいる」
「空を飛ぶ不恰好なトカゲ?」
竜の生息地は限られている。辺境で暮らす一般人に小さくして丸くしたような竜と言ったところで通じるとは思えなかったので、つい説明に苦慮する。ガルディアが聞けばさぞ怒るだろうとは思うのだが、他に適切な表現がみつけられなかった。
「……見れば、わかる」
「うん。わかった」
アーネストは駆け出す少年の後姿を見送る。
「お客さん、連れっていってたけど……」
「ああ、子供が一人いる。同じ部屋で構わないんだが、部屋はあるか?」
「大丈夫だよ。食事はどうするんだい?」
「夕食と朝食を頼む」
「じゃあ、二人分で銅貨12枚だ。部屋は二階の一番奥。延長するようだったら言っとくれ。割引するからね」
「ありがとう」
金と引き換えに鍵を受け取る。鍵といってもたいしたものではないので、貴重品を部屋においておくことはできない。これはどこの宿でも一緒だ。宿の人間がどうこうというわけではなく、不特定多数の人間が出入りする為だ。
(さて、どうするか……)
アテがあるわけではなく、ここで探しに出たところで、行き違いになる可能性が高い。
(迷子だとすれば、動かずに待っていてくれるのが一番良いのだが……)
スィールの場合、あまり待っていないような気がした。
(いや、しかし、どんなに落ち着いてはいても、まだ14歳の子供だ。こんなところで連れとはぐれれば心細くて仕方がないだろう……)
アーネストには、いささか夢見がちなところがあった。
「あれ、お客さん、出かけるのかい?」
「ああ。……行き違いになるかもしれないが連れを探してくる。もし来たら、部屋に通してやってくれないか。スィールという名の子供だ」
「あいよ」
アーネストは、外套の襟元の紐をきっちりと結びなおして外に出る。冬の日差しは意外に強く、フードを目深にかぶった。
(とりあえず、村の入り口のほうから探すか……)
小さな村であっても、人一人を探すのはそんなに楽なことではない。
(世間知らずな子だから……どんなに心細く思っていることか)
脳裏をスィールの心細げな顔がチラつく。
アーネストの足は自然と速まった。
極めて残念なことに、アーネストは、まだ己の主の性格をまったくわかっておらず、相互理解の道は果てしなく遠かった。