プロローグ
いつか絶対こんな村出て行く。
男なら、誰だって一度や二度、そう思うことがあるはずだとリドは思う。
(まあ、オレは毎日思ってるけど!)
「リド、さっさと水汲んできな」
「わかってるよ」
「それが終わったら、薪割りだよ」
「わかってるってば!」
苛立って声をあげる。
「まったく、さっさとやらないと日が暮れちまうよ」
父のグレイとともに宿を切り盛りする母のアイラは、リドに追い討ちをかけるように更に用事を言いつけた。
「薪割りが終わったら、エル爺の店でナムの粉を10セト頼んできとくれ」
リドは文句を言う気すらなくして、溜め息をつく。
(どうして、オレばっか、こんなに毎日、毎日……)
手伝いをしなきゃいけないのはわかる。
リドの家はこの村にたくさんある宿屋のうちの一軒で、料理がうまいことでちょっとは知られている。それほど大きくないし、正直、人を雇う余裕がないことは子供のリドにもわかっていた。
けれど、13歳のリドにとって、手伝いだけで毎日が過ぎてゆくのは、苦痛でしかない。
(こんなの、本当のオレじゃないんだ……)
水汲みとか、薪割りとか、おつかいとか……そんなことは自分のやる仕事じゃないとリドは思う。
リドは宿屋の親父になんかならないし、料理人にもならない。
(オレは剣士になるんだ)
最強の剣士になって、魔法使いと僧侶を仲間にして、大陸中を冒険して回る。それがリドの夢だ。
(それで、そのうち、護国騎士<ル・レグザータ>になってくれって迎えが来てさ……)
美しい剣の姫をパートナーにし、帝国の危機を救う帝国最高位の騎士……護国騎士<ル・レグザータ>は、いつだって憧れの存在だ。
リドの思い描く未来予想図の中で、リドはいつだって無敵の剣士で、最高のヒーローだった。
(けど……)
それがただの夢でしかないことに、リドだって気付いている。
農民の子に生まれたら農民に、商人の子に生まれたら商人にしかなれないのだ。よほど特別なことがない限り……。
□ □ □
薪割りと言っても、リドができるのは短く切り分けられた丸太を使いやすく八つ割りにすることだ。
今年の誕生日に、リドは良く切れる山刀をもらった。薪を割るのにも使えるし、枝を払ったり落としたりするのも簡単にできる切れ味の良いもので、グレイが街で買ってきてくれたものだ。
(本当は、ローグみたいに剣が欲しかったんだけど)
薪割りはなかなかコツのいる作業で、最初はなかなかうまくできなかったのだが、そのうちにリドは気付いた。
丸太にはうまく割ることの出来るラインのようなものがあり、そこに刃をいれてやると、たいした力も使わずに割れるのだ。
今では、半刻もあれば一週間分くらいの薪が割れる。
(まあ、この山刀も悪くないけどさ)
よく切れる山刀は、実は密かに自慢だったりするのでリドは大切にしていた。
けれど、やはり剣が欲しかったと思う。
(……ただの宿屋の息子じゃあ、やっぱり騎士になんかなれないのかな……)
はぁと大きく溜め息をついたリドの耳に、カン、カンと木が打ち合わされる音が聞こえてきた。
(あ、ローグが修行してる……)
思わず立ち上がった。見に行きたいのだが、躊躇う。まだ言いつけられたことは全部は終わっていないのだ。
(でも……ちょっとだけだし……)
ローグは三軒向こうの家の、元騎士の父を持つ3歳上の友達だ。
優しい性格のローグは、本当は騎士になどなりたくないのだとよくぼやくのだが、なりたくてもなれない……未だにちゃんと修行すらできないリドにしてみれば贅沢だと思う。
「すまない。このあたりに銀のスプーン亭という宿はないだろうか?」
薪を積み、ローグの家に駆け出そうとしたリドに、その人は問いかけた。
着ているものは村の人間たちとそう変わらなかったし、他の旅人に比べて特におかしいところがあったわけでもない。
けれども、リドはその男は特別な人間なのだとすぐにわかった。
言葉遣いもそうだが、醸し出す空気が、他の人間と違っていた。
何よりも、その手……まだ新しい薄皮の手袋は、剣を持つ者特有の擦り切れがあった。
「……それは、ここです」
「そうか、ありがとう。……スィール、着いたぞ。スィール?」
男は少しほっとしたような表情をし、そして背後を振り返る。
ついてきていると思っていた人間の姿がなかったのだろう、いささか大げさとも思える絶望的な表情で男は周囲を見回し、そして絶叫した。
「スィールっっ!!」
村中に響くような絶叫だった。