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エピローグ

「……随分と面白いことになったものだね」


 男はこらえきれぬように、くくっと喉の奥で笑う。

 玉座に掛け、足を組み、略式の皇帝冠を指にひっかけてくるくると回している不真面目な姿は、目の前に立つ老人には見慣れた姿だ。


「笑い事ではございませぬ」


 見慣れているからといって怒りを覚えぬわけではない。だが、それも毎日のこととなるとだんだんとその怒りが麻痺してくるような気がするから不思議だった。


(それに……)


 公式の場において、目の前の主は、老人の知るどの皇帝よりも皇帝にふさわしい態度をとり、誰もが平伏さんばかりの威厳を発揮する。その神々しさに、老人は何度涙を覚えたかわからない。

 それを思えば、多少の不真面目さには目を瞑ることができる。否、彼に仕えたこの十五年の間にそう諦めることができるようになった。

 

「仕方がなかろうよ、近年まれに見る笑劇だ」


 押し殺した笑いを漏らす男の肩口から、つややかな漆黒の髪がこぼれ落ちた。

 帝国貴族は、基本的に男であっても必ず結える長さの髪を維持している。公の場では髪を結うのが正装とされているからだ。

 高い位置で一つにくくっただけの皇帝の髪は腰よりも長く、また、すべてが真っ白くなった老人の髪も肩よりも長い。


「笑劇などではございませぬ!武のシュレイヤーンの、それも魔剣の使い手が、たかが一介の従騎士風情に遅れをとり、その姦計に陥れられて行方不明なのですぞ!」


 いい物笑いの種だと老人は語調を強める。


「確かに武のシュレイヤーンの面目が立たないな」

「いかにも」

「……彼を団員にしていた黒竜騎士団の面目もだ」

「陛下っ!!」


 老人……鉄壁宰相とも呼ばれるグスタフ・イオニア=エスラーデ=レーベルアーダ公爵は、ぎりりと奥歯を噛み締めた。怒り心頭といったその表情は、幼い子供が目にしたらトラウマになりそうなほど恐ろしい。

 だが、皇帝は、それを見て声をたてて笑った。


「笑い事ではございませぬ!!」

「そんなに怒ると血管が切れるぞ、グスタフ」

「そんなにか弱い血管はしておりませぬ!」


 宰相のその切り返しがおかしい、と更に笑う。


「陛下っ!!!」

「グスタフ、おまえ、本当に信じてるのか?あのシュレイヤーンの不良息子が、本気で自身の従騎士などにやられると?」


 ありえないな、と、尚も笑い続けながら、皇帝は目元を拭った。


「それはどういう意味でしょう?」

「アーネスト=シュレイヤーンは、護国騎士<ル・レグザータ>でもないのに、剣を解放した護国騎士<ル・レグザータ>を相手に互角に戦う腕の持ち主だぞ?どれほど不意を衝かれたとしても、あの従騎士の腕では及ぶまい」


 護国騎士<ル・レグザータ>とは、他国で言う魔法騎士に近い。剣姫と呼ばれる魔法士と一対で凄まじい魔力を帯びた武具を操る。

 その存在は文字通り一騎当千。戦場を一人で圧することもできる帝国最強の武人たちだ。


「では、こたびのこの一件には裏があると?」

「少し考えればわかることだ」


 皇帝は、にべもなく言った。


「しかし、陛下、ウィリアム=デルスークは、庶子とはいえアヴェラルド候の子息ですぞ。その上、アーネスト=シュレイヤーンとは、周囲も認める親友同士だと……」

「余は、ウィリアム=デルスークが真犯人だとは一言も言ってはおらぬぞ、グスタフ」


 どこか笑いたげにも見える表情をしている皇帝に、レーベルアーダ公爵は軽く眉を顰めながらも告げる。


「犯人とされている従者が犯人ではないのならば、彼を犯人と名指しし、唯一戻ってきた人間が真犯人であるのは自明の理です。魔剣の使い手とて、友には油断もしましょう」

「ああ、そうだとも。そのとおりだ。……おまえは、それがわかっているのに、反論するのだな」


 常にどこか他人事のように冷ややかな皇帝の瞳が、不可思議な熱を帯びる。

 

(ご自身の過去を重ねてらっしゃるのか……)


「理解することと納得することは違います、陛下」

「年よりは理屈っぽくていけないな」


 皇帝は嗤った。

 反論しようとしたレーベルアーダ公爵は、その表情を見て口を噤んだ。

 それが、どこか獰猛さと狂気とを感じさせる笑みだったからだ。

 元々武人であった皇帝は、顔立ちは整っているものの繊細な美貌とはほど遠い美丈夫である。そして、そういった表情をしている時の彼は、『皇帝』が人から逸脱した存在であることをより強く感じさせた。

 このエシュリア帝国において、死後、皇帝は神として神殿に祀られる。それは決して故なきことではない。


「さて、シュレイヤーンは次に如何なる手をうつか……、アヴェラルドはどう出るか、見物だな」

「陛下は、これが皇太子の座を巡る権力闘争の一環であるとお考えか?」

「……おそらくは違うであろうよ。だが、それすらも利用するのが帝国貴族という生き物だ」

「陛下」

「もっとも、それをも利用するのが皇帝であるのだがな」


 皇帝はこらえきれないという様子で笑いをもらした。押し殺したような笑い声が、豪奢ではあるが寒々しく感じられるほど広い室内に響き渡る。

 公爵は、失礼にならない程度に軽く頭を下げた。


 「皇帝は狂気を持つ」


 これは、帝国にとっての常識だ。

 一般市民ならいざ知らず、貴族と名がつく地位にある者ならば誰もが知っている。

 どのように穏やかで、どのように理性的であったとしても、玉座についたその瞬間から、その血に流れる狂気がその身の裡で芽吹く。

 それは発作のようなものであり、そして同時にその身が常人ではないことの証左でもある。


「誰も彼も踊るが良いのだ。所詮、この世界は血で贖われた泡沫の夢に過ぎぬ」


 皇帝は更に高らかに笑い続け、そして、ぱたりとそれが止んだ。

 公爵は、ふと顔を上げる。

 皇帝が、ゆらりと玉座から立ち上がった。


「陛下、どちらへ」

「……後宮」


 当代皇帝の後宮に納められている美姫はいない。美姫どころか、誰一人として居住していない。

 そこは、彼が玉座についた直後から、豪奢な廃墟と化している場所である。


「……アーネスト」


 公爵は嘆息とともに小さな呟きをもらす。ぴたりと、皇帝が立ち止まった。

 皇帝は玉座に着いたその瞬間から、個人としての名を喪失する。

『陛下<ヴェル>』という敬称か、『皇帝<レガート>』という称号のみで呼ばれ、死後は神号でもある諡で呼ばれ、そのほかの呼ばれ方をすることはない。


「……その名は、もう私のものではないのですよ、伯父上」


 静かな低い声音で、囁くように男は言った。

 そして、頭の片隅で、「私」という音を口にしたのは随分と久しぶりであると思い、そう口にしていた過去を想った。

 彼はしばしそこに佇み、だが、結局、振り返ることなく歩み去る。



 老宰相は、その後姿に恭しすぎるほど深く頭を下げた。

 

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