ヴィ・ディルーの剣(5)
「ところで、スィール、その髪はいったいどうしたんだ?」
ヴィ・ディルーは、そっと手を伸ばし、髪に触れる。
大切に伸ばしていたはずのスィールの髪は、かろうじて刈り上げていないというくらいの長さしかなくなっていた。
それは、ここ数年は肩より短い姿を見たことがないヴィ・ディルーに、非常に強い違和感を感じさせた。
「……何かおかしい?」
「いや……君がそんなにも髪を短くするのは久しぶりじゃないか。……何かの術に失敗でもしたのかい?」
最初から気になっていた、と言ってくしゃりと頭を撫でる。スィールはそうされるのが嫌いではなかったので、触れるに任せていた。
その光景を目にしていたガルディアは、ふむ、と考え込む。
(異性を『我が友』とするのは、人間で言う恋人と変わらんように見えるものなのだな)
ヴィ・ディルーのスィールに対する態度はどこまでも甘い。そして、スィールもまたそれを許容している。
だが、彼らに「恋人同士なのか」と問えば、違うとどちらも否定するだろう。
むしろ、そんなことを問えば、ヴィ・ディルーは侮辱されたと感じるに違いない。
妖精族の『我が友』との絆というのは、すべてを超越する崇高な絆であるとされている。
それは決して肉欲や情欲といったものを伴わないものだ。そもそも、妖精族はそういった欲望が薄い傾向にあったし、『我が友』にそのような欲望を覚えたとするならば、それを誰かに知られたりしたら、それだけで自害しかねないのが、彼らの種族的なメンタリティだ。
「術は失敗しなかったよ。あのね、アーネストを助けるのに、ガルは自分が代償になるって言ったの。でも、私はガルと一緒にいたかったから」
だから、ガルを代償にする代わりに自分が代償を支払った、とスィールは笑みを浮かべる。
「どういう意味だい?っていうか、そもそも、どういう経緯であれを自分の騎士にしたの?」
あれ呼ばわりだったが、これでもヴィ・ディルーの中でアーネストの地位はだいぶ向上している。自分からアーネストについて問うだけでも大進歩というものだ。
「死にかけていたのを助けたの」
スィールはあっさりと答えた。
(端折りすぎだ、我が主よ)
『我が友』というのは、大概は同族、それも同じ氏族間の同性を相手に結ばれることが多い。
なので、竜であるガルディアとディーザ・リューンとが絆を結んだことはとても珍しいことだった。
とはいえ、竜族もまた長命な種族であり妖精族とはとても友好的な絆を結んでいたので、珍しいとはいえ彼ら以外の例がなかったわけではない。
だが、ヴィ・ディルーのように異種族の……それも、『人間族』の『異性』を友に選ぶことはかなり珍しいだろう。ガルディアでさえも他の例を知らない。
「……髪だけで、足りたのかい?」
少し考えていたヴィ・ディルーが、確認するように丁寧に問いかける。
「えっと……」
視線が泳いだ。
(主よ、それでは、バレバレだぞ)
スィールはヴィ・ディルーにほとんど隠し事をしたことがない。
妖精族の言う『我が友』の定義はスィールにはわからないことも多いが、少なくとも『我が友』であるヴィ・ディルーに対して、変に隠し事をしたり、嘘をつくというのはいけないことだと思っているからだ。
言えないことがあれば言えないと言うし、内緒ならば内緒だと告げる。けれど、ヴィ・ディルーに言えないことなど、スィールにはすぐに思いつかない。
「スィール?」
ヴィ・ディルーはいかにも優しい表情を浮かべて、話をうながす。
「んーとね……その……」
「足りなかったんだね?」
言葉に強い響きがこめられた。
「……結論から言うと、そうなるかも」
珍しくスィールの歯切れが悪かった。
「スィール、私は君に何て願ったかな?」
「えーと……術の代償の肩代わりは絶対にするな」
本来であれば、術の代償の肩代わりはできない。スィールの場合は裏技のようなものだ。
「わかってるじゃないか。なのに、それをしたのかい?」
「私だってタダでそんなことしないよ。……ちゃんとそれに見合う代償は得たもの」
やや怒りを帯びたヴィ・ディルーとは対照的に、けろっとした表情でスィールは言う。
「代償?何を?」
「ガル」
「意味がわからないな」
(主よ、気付くが良い。言葉を重ねれば重ねるほど、そなたの友の表情は険しくなっていくぞ)
「あのね、最初、ガルがアーネストを助けるのに自分を代償にするって言ってたのね。だけど、私がガルを欲しいと思ったから」
だから、ガルをもらう代わりに私がその代償を支払ったの。とスィールは幾分、自慢げに告げる。
自分を欲しかったと言われたガルディアはその言葉の響きにうっとりとし、すぐに自分の脳裏で何度もそれを繰り返した。それは彼にとって、どのような愛の告白にも勝る甘い響きだった。
だが、そんなガルディアをよそに、ヴィ・ディルーの表情は険しさを増す。
「で、髪のほかには何を代償にしたんだい?」
「……血をちょこっと」
「血を?!」
魔術的に良く鍛えられた……彼らはそれを磨きぬかれたと表現することが多い……魔術師とは、その存在自体が魔力の塊である。
髪や爪といったその身体の一部は、とても高い価値のある触媒や代償になるのだが、中でも、その『血』は最上級の代償だ。
「ちょこっとだよ」
スィールは親指と人差し指でごくわずかな量を示す。
「……スィール、ちょっと話をしようか」
にっこりとヴィ・ディルーは爽やかな笑みを浮かべた。
この笑顔が曲者だということをスィールはよーく知っていたが、何でそうなったのかがまったくわかっていなかったのでいささか警戒心に欠けていた。
「何を?」
話すべきことは全部話してしまったし、隠していたこともついで話してしまったのですっきりしたスィールは、軽く首を傾げる。
守護者たるガルディアはうっとりと自分の脳内記憶を反芻していたので、迫り来る危機からスィールを救う役には立たなかったし、スィールの騎士であるはずのアーネストはといえば、未だ、床に転がっている状態だったので更に役に立たなかった。
「君がどんなに大切な身の上であるか、をだよ」
「心配させるようなことしたっけ?」
きょとんとした表情で見上げる。
「今日は、もうどうせ出発できないだろうから、ゆっくりと話をしようか、スィール」
ヴィ・ディルーの笑みが更に深いものになった。
そして、その日、スィールは自分には二人目の小姑がいることを知ったのだった。