ヴィ・ディルーの剣(4)
「バカだと思う」
「バカであろう」
大変気の合った一人と一匹は冷ややかな眼差しで二人を見やる。
「スィール、もう少し声を小さく」
起き上がって頭を押さえているヴィ・ディルーはまだマシで、アーネストにいたっては完全に沈没だ。
途中で小屋の中に場所を移したらしく凍死は免れていたが、朝起きたスィールが見たのは行き倒れの野良犬2匹だ。
室内はまるで部屋中にワインをぶちまけたのではないかというくらいアルコール臭かった。
「ディのそんなとこ、はじめてみた」
くすりとおかしげにスィールは笑う。
「そうか?」
「うん。偉い人モードな時と私にものすごく優しいモードの時しか知らないから……アーネストと随分仲良くなったんだね」
「……人間にしてはまあまあだ」
冷ややかな口調ではあったが、それは、ヴィ・ディルーにしては最大級の褒め言葉だ。
それに、アーネストを見る眼差しには険がない。
「このまま精進するなら、君の騎士として認めてもいい……」
「えらそー」
「当然だ。私はヴィなのだから」
「そんなの知ってるよ」
ヴィ・ディルーは、懐の小さな皮袋から取り出した葉を口に含む。エデュアルの葉だ。香草茶の材料にもなるが、口の中がすっきりとして意識を明瞭にする作用がある。
「……で、それは?」
視線は、まるでぬいぐるみがごとく、スィールに抱きしめられている謎の生物に向けられた。
それは、ヴィ・ディルーをして、初めて見ると言わしめる生き物だった。
「ガルは、ガルディアだよ。私の守護者」
「……君は、いったい何を守護者にしたんだね、我が友」
どう反応すればいいのかわかりかねるといった口調で、ヴィ・ディルーは問うた。
昔から、スィールには変わったところがある。
普通の女の子が興味を示すようなものにはまったく興味を示さず、一番喜ぶ遊びがちゃんばらごっこだった。それがこうじて、スィールの剣術の腕はあがったのだが、それが良かったのか悪かったのか未だによくわからない。
ヴィ・ディルーにしてみれば、魔術師であるスィールに剣は必要なかったのではないかと思えるのだ。
そもそも、これ以上強くなってどうする!と言うのがヴィ・ディルーの本音である。
「ガルは、竜だよ」
ガルディアという名前には聞き覚えがあった。
人は過去の英雄にあやかって同じ名前をつけるが、竜族は逆で、決して過去の偉大なる先人の名をつけることはない。つまり、ガルディアという名前は、ただ一頭の竜のものである。
「漆黒の竜王ゲーディア?」
「そう」
スィールはこくりとうなづく。
「……これが?」
子竜を縮めて丸めたような不思議な生き物は、はっきりいって不恰好だ。
ヴィ・ディルーが、この世界で最も美しい生き物だと思う竜とはちょっと……いや、かなり違っている。
「そう。ガルは、剣に封じられていたんだって……」
「それは……」
「魂の一部なのかもしれないし、記憶の一部なのかもしれない。ガルだってそれは自覚してるの。でもね、ガルはガルで、私の守護者だから」
細かいことはどうでもいい、とスィールは笑う。
ヴィ・ディルーは小さく溜め息をついた。スィールは、育て親に似て大雑把なところがある。
魔術師にとって、守護者は同じ命を生きる特別な存在だ。細かいところまで気にするべきだと突っ込みたいのをヴィ・ディルーは我慢した。
言ったところで、スィールは話は聞いてもまったく気にしないに違いない。
(まあ、スィールを守るに足る力はあるから……)
その不恰好な生き物には、ヴィ・ディルーにも量りきれぬ力を感じる。
原初の竜たる古代竜の王ゲーディアの欠片であるというのならば、それも道理であろう。
「我が友の守護者たるはじまりの王よ。我は、境界の守人たる妖精族に生まれし、二本目の枝を持ちし者。どうぞ、ヴィ・ディルーとお呼び下さい」
ヴィ・ディルーは優雅な仕草で礼をとった。中身は二日酔いのダメな人だったとしても、その仕草は実に優美だ。
『冴え凍る銀月のごとき妖精族の次の王よ、丁寧な挨拶いたみいる。我が名はガルディア。ここなるスィールの守護者だ。今後よしなに頼む』
ヴィ・ディルーの『ヴィ』は『次』あるいは『二番目』という意味だ。
妖精族において、それは次の妖精王に与えられる敬称だということを、ガルは知っていた。
人間の世界で言うのならば、王太子とか皇太子ということになるのかもしれないが、血統で王位を継ぐことのない妖精族においては『次の王となるべき者』という意味でしかない。
「ご丁寧にありがとうございます」
ヴィ・ディルーは軽く頭を下げる。
『したが、次の王たる身でありながら、このようなところに居て良いのか?』
「良いのです。スィールは我が友なのですから」
『妖精族は、あいも変わらず友情に厚いのだな』
「勿論。友は『永遠』なのですから」
当然だというように爽やかに笑った。
人間と違い、個を重んじる妖精族に人間の言う『家族』という関係は存在していない。なので、「血は水よりも濃い」という人の感覚は、彼らにはまったく理解ができない。
彼らは、氏族という単位で自らの属する集団を明らかにし、それに対する帰属意識と誇りとを強く持つものの、血縁ゆえの情や絆というものをほとんど意識することがない。
自らの氏族の伝統を継ぐ子を残す為のパートナーとして伴侶を迎えるが、それは人間で言う『結婚』や『婚姻』とはまったく違っていて、まずはじめに契約を交し、それに則り、生活を共にすることもあれば、閨を共にするだけということもある。
稀に、長期間の婚姻契約を交わす者もいるが、大概の場合、その契約は子供が生まれるまでということが多い。
なので、妖精族にとって『伴侶』とは、人生を共にする相手ではない。
だが、『友』は違う。
妖精族にとって友との絆は永遠だ。永い人生をともに生きる存在、それが『友』である。たとえ、一方が死んだとしてもその絆は変わらない。
妖精族にとって、友は一人残らず大切な存在には違いないのだが、彼らが『我が友』と呼ぶのは終生ただ一人だけである。
そして、『我が友』こそ、命を賭けて守るものであると妖精達は口をそろえて言う。
(……我を『我が友』と呼んだディーザ・リューンは、どうしただろうか……)
人の子に殺され、その身を裂かれた記憶はある。
だが、その後のことはよく知らない。
刀に封じられた身であったせいだろうか、思考に何かブロックでもかかっていたかのように、今まで、一度もこんな風にディーザ・リューンのことを考えなかったことにガルディアは気付いた。
(少し落ち着いたら、ディーザ・リューンのことを調べてみよう)
スィールとヴィ・ディルーの親密な交流を考えれば、この先も妖精族と接する機会には恵まれるに違いない。
(確か、我らはケンカをしていたのだな……)
おぼろげな記憶を辿る。
よく覚えてはおらぬが、くだらぬケンカだったような気がする。
まさか、そのまま別れることになるだろうとはどちらも思っていなかった。
(よく考えれば、我もまたあれのほかに友と呼べるような存在はいなかった……)
彼は王であった。
王は孤独であり、かつてのガルディアはそれを孤独とも思っていなかった。
そして、彼が横に立つことを許したのはディーザ・リューンだけだった。
あれからどれほどの時がたったのかガルディアは知らない。
竜族には時を計るという意識がないのだ。
だが、そんなガルディアでさえも、長い時を経たと感じられるほどの時間が経ったのだという認識は持っていた。
長命種であることを知られる妖精族ではあったが、もはや当人は生きてはおるまい。
(だが……)
だが、彼と身近に接した者は未だ健在だろう。
妖精族に墓はない。
だが、代わりに彼らには氏族の中に必ず『語り手』と呼ばれる役目の者が居て、その血に連なる者の何らかの逸話を語り継ぐことで、故人を偲ぶ縁としている。
彼の種族の語り手に会い、その後のディーザ・リューンの人生の一端なりとも知れれば良い、とガルディアは思った。
それが、ガルディアを『我が友』と呼んでくれた相手に対する誠意でもあり、彼を偲ぶことになるだろう、と。
そして、ガルディアは自身を我が友と呼んだ相手を思い出しながら、目の前の、どこか初々しいカップルのような二人を生暖かい眼差しで見守っていた。