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ヴィ・ディルーの剣(3)

「俺を、呼んだよな?」


 夜の中にヴィ・ディルーはいた。

 その輪郭が淡く光を帯び、姿がぼんやりと闇に浮かび上がっている。

 妖精族は種族的な特徴として、男も女も線が細く類稀な美貌を持つ。人間から見れば性別不詳に見えることが多いのだが、ヴィ・ディルーは男にしか見えなかった。

 別に彼が妖精族には珍しいほどごついとかというわけではなく、ただそれは、彼の持つ雰囲気なのだろうとアーネストは思った。


「ああ」


 ヴィ・ディルーは静かにうなづく。


「明日の朝でもいいだろうに」


 まだ、酔いが完全にさめきれていない。自分の吐く息の酒臭さにアーネストは顔を顰めた。


「それだとスィールが怒るだろう」


 おまえは何を言ってるのだという顔で、ヴィ・ディルーは言う。


「……………」


(つまり、あんたは、スィールが知ったら怒るようなことをこれからするわけだな)


 ふっとヴィ・ディルーは空中に手をかざす。

 ざくりと音がして、雪の上に剣が二本突き刺さった。


「人の子よ、スィールの騎士を名乗るなら、まずは私と手合わせ願おうか」

 

 剣をとれ、とヴィ・ディルーは静かに言った。


(こんなことになるだろうと……)


 予測はしていた。

 たぶん、初めて会ったその瞬間から。

 



 □□□




 手にした剣を無造作に一振りする。アーネストの好みからすれば、少し細いと感じられるものだったが、不思議なことに手にしっくりと馴染んだ。素材に何か工夫があるのか、見た目以上に重さもある。

 目の前の男の用意したものなのだから妖精族のものなのだろうが、その割には、シンプルでほとんど装飾がないのも気に入った。


「名を聞こうか」

「アーネストだ。スィールが言っただろう」


 雪雲に隠されていた月が姿をあらわし、光が降り注ぐ。

 よく、月光をさやかなと表現するが、満ちきった月の光は決してそんな言葉では表現できない。その圧倒的な光の強さは、陽の光にも劣らぬと思えるほど。それが、雪の照り返しをうけてまるで昼間のような明るさだった。


(まるで、この男が演出したかのようだ)


 妖精族は魔法に長けた種族ではあるが、雲や月まで操れるわけはあるまい。だが、絶妙のタイミングに、ついそんなことを考えてしまう。

 このお誂え向きの舞台で、妖精族と打ち合うことになるなんて、これはいったい何のおとぎ話なのだろうと思う。

 今のこれは、帝都で不真面目な騎士をやっていた頃には想像したこともない事態だった。

 そして、何と言っていいか……アーネストは今のこの状況に心が躍っていた。わくわくしていたと言ってもいい。


「……人の子は、もっと長ったらしい名を名乗るかと思っていたが?」

「アーネスト・エレザール=リュカディア=シュレイヤーン」

「ほう」


 青灰色の瞳が細められた。


「何か?」

「……武のシュレイヤーン、我とてそのくらいは知っている」

「それは光栄だ」


 家名を妖精族にまで知られているというのに、アーネストは少しだけ驚いた。


「だが、我が友に必要なのは、名ではなく、ただその強さのみ」


 ヴィ・ディルーの眼差しに殺意が閃いた。

 



 

(……強い)


 最初に一太刀合わせただけで、アーネストはヴィ・ディルーが恐るべき剣士であることを悟った。

 その抜き打ちの早さに、避けることができず、剣で応じるしかなかったのだ。

 そっくり同じ剣と思っていたので適当に手にとった方を使ったのだが、よく見れば、ヴィ・ディルーが手にしていたのは刀だった。妖精族が好んで使う反りのある片刃の剣だ。


「我らの作る剣は、遣い手の望む形をとる」


 ヴィ・ディルーは、まるでアーネストの心の声を呼んだかのように言った。

 アーネストは、横薙ぎに払われた一振りを後ろに大きく跳ぶことで避けた。

 そこにすかさず斬撃が来る。

 自分から一撃いれることで、それを弾いた。手がじんと痺れていた。


(なんて重いんだ……)


 再びの斬撃。あわせた刃は鈍い金属音をたて、ギリと力が拮抗する。

 妖精族の身体能力は、基本、人間を上回る。ましてや、目の前の男は明らかに鍛えられた武人だった。見た目だけを言うのなら、アーネストの方が力があるように見えるかもしれないが、実際には違う。

 妖精族は争いごとや戦を好まぬ種族として知られているし、見た目が繊細な美しさを持つ種族なので勘違いする者は多いが、彼らは戦いを好まぬだけで戦わないわけではない。やむをえぬ場合にはもちろん剣をとるし、また戦士としても非常に屈強で優秀だった。

 妖精族の戦士とは、最良の戦士と同義であると言われるのはその為だ。その彼らの得意とするのが剣術だ。

 大陸史に名を残す剣士半数以上が、妖精族の血をひくか、あるいは、妖精族に師を持つという。


(だが……)


 それでも、諦めてしまえばそこで終わりだった。

 試されているのはわかっている。ヴィ・ディルーにはまだまだ余裕がある。


「……甘いっ」


 鋭い突きがきた。間一髪、耳元をかすめる。空気の刃に触れ、闇の中に数本の金糸が舞った。

 アーネストは小さく舌打ちして、攻撃に転じる。

 息つかせぬよう放つ斬撃を、ヴィ・ディルーはわずかな間のみの見切りで避ける。それは、まるで剣圧に押されただけのようにも見え、また、軽やかにダンスのステップを踏んでいるかのようにも見えた。

 

 斬り、払い、討ちかかり……転じて、ヴィ・ディルーの放つ斬撃を受け、あるいは、避け、また攻撃に転じる。

 頭の芯が熱かった。

 自身の放つすべての剣を避けられ、あるいは軽くいなされていた。


(速く、もっと速く……)


 不思議と腕が重いと感じなかった。その斬撃をただ速くすることだけを思っていた。


(来る……)


 チリリと頭の後ろが焦げるような感覚。

 次の瞬間、それまでとは比べ物にならない早さの刺突が、アーネストを襲った。


(避けられない)


 咄嗟に剣をひき、受けたのは意識してのことではなかった。

 鈍い金属音を、おそろしいまでの至近距離で聞いた。


「……まあまあか」


 二撃目はなかった。


「……参りました」


 かすれた声で、告げる。

 時折、殺意を感じたにせよ、これは、まさしく稽古でしかなかったのだ。

 アーネストは、途中からそれに気がついた。


「あと百年もすれば、我とまともに打ち合えよう」

「……それまで、生きてねえよ」


 大きく息を吐く。

 口惜しかった。これほど口惜しかったことなどないというのに、気分は晴れやかだった。

 アーネストは生まれて初めて、全力で戦い……そして、負けたのだ。


(負けたっていうのも恥ずかしいような完敗だが……)


「純粋な剣のみなれば、そなたの方がかろうじて上だ」

「……何の話だ?」

「スィールだよ」

「え?」

「我はスィールに剣を教えた。そなたが、あの子より弱かったら斬り捨てるつもりだった」


 護る為の騎士が、護る人間より弱かったら話にならないからな、とヴィ・ディルーは言う。

 

「そんなに強いのか?」


 アーネストの真面目な問いに、ヴィ・ディルーはどこか悲壮な気配すら漂わせてうなづく。


「そんなに強いのだ。……しかもだ、スィールは恐るべき攻撃魔法の達人で、その上に魔術師であるのだぞ?まったく、ヴィラードはスィールを何にするつもりだったのか一度問いただそうと思ってたのだが……」


 その前に死んでしまった、と、苦笑するような表情でつぶやいた。その表情の中には、親しみと敬意と、故人を懐かしむ優しさが入り混じっていて、彼らの距離の近さを感じた。


「……魔法込みだとあんたも勝てないのか?」

「わからぬ。……我とスィールが魔法込みでやりあったら、この森など簡単に消し飛ぶ」

「消し飛ぶって……」

「事実だ。我もスィールも魔法に長けている。だから、たとえ戯れであれ、稽古であれ、魔法は抜きだった。ましてや魔術など使った日には」


 考えたくもないとばかりにヴィ・ディルーは首をすくめた。


「なあ、魔法なしって単純にあんたが負けたくなかったからじゃなくて?」

「……それもある」

  

 拍子抜けしてしまうほどあっさりとヴィ・ディルーはそれを認める。


「案外、素直なんだな」

「我らは認めるべきことは認める。自らの劣る点を見定めることができないというのは、致命的な弱点となろう。曖昧にすれば命取りになる」

「確かに」


 真面目な性質の男なのだ、とアーネストは思う。

 その真面目さが、どこかウィリアムと似ていると思った。


「だが、我らが殺しあうことはあるまいよ」


 その言葉に、更に自分とウィリアムのことを思い出した。

 アーネストも、そんなことがあるなんて思ってもいなかったのだ。

 だから、問うた。


「なぜだ?」


 だが、ヴィ・ディルーの答えは、アーネストを戸惑わせるものでしかなかった。


「……我は、あれにだったら喜んで殺されよう」


 莞爾と笑う。それは、その言葉の物騒さとは裏腹のひどく晴れやかな笑みだった。




 □□□




 パタパタと音をさせて、ガルディアは夜の中を飛んでいた。

 月が明るい。

 雪が降り積もる森の中は、月光が乱反射して不思議な光景を描き出している。絵心のある者がみれば、さぞ創作意欲がかきたてられただろう。


(だいぶ、留守にしたな)


 先ほどまでは、成体の……通常の竜身であったのだが、小屋の近くにまで来たのでいつもの姿に変じたのだ。

 この姿でいることにも大分慣れた。

 不恰好であるとは思うが、常に主の傍らに在る為であれば、これくらいのことは何ほどでもない。


(何だ?あれは……)


 外で酒盛りをしているバカがいた。

 それも二人もだ。

 たとえ、今が晴れていて月女神サラームが見守っていたとしても、この季節、外で酒盛りをするなんて正気の沙汰ではなかった。


(アーネストと……妖精だな)


 スィールの友であろうとあたりをつける。

 だとすれば、放って置いても構わぬだろうと近寄らぬことを決める。



「……おかえり」


 ガルディアの出入り口は、スィールの寝室となっている屋根裏の明かり取りの窓だ。

 もこもことした毛布を頭からかぶり、窓から上半身を半分だけ出したスィールが、眼下の光景を眺めていた。


『ただいまかえった、我が主よ』

「寒かった?大丈夫?」


 ふわりと微笑む。無表情がちだと思っていたのだが、慣れてしまえばそんなことはまったくない。

 ひとりぼっちで暮らしてきたスィールは、他人とどう接するかがよくわかっていないだけだ。

 何も言わなかったが、最初の頃は距離間をはかりかねて緊張していたのだろう。慣れた今では、ガルディアにはさまざまな表情を見せる。


『我は偉大なる竜族ゆえ、さほどのことではない。それよりも、主こそ寝台に戻るが良い。今宵は月が出ているとはいえ、まだまだ冷え込む。バカ共に付き合うことはあるまいよ』

「うん。……ねえ、ガル」


 スィールはひょいっとガルを抱き上げ、屋根裏の梯子を下りながら、器用に窓を閉める。


『何だ?』

「……ディとアーネストが仲良しになったのは嬉しいんだけど、何か口惜しい」

『そうなのか?』

「うん。そう。……私が寝てるからって、内緒で斬り合いとかはじめるし……」


 あんなに強い気がぶつかりあえば目だって覚めるよ、と軽く口を尖らす。


『男というのは、そんなことにも頭が回らぬほどバカなんだ。で、剣を交せば、それでわかりあったような気になってしまう』


 単純なのだ、とガルは説明する。


「私を抜きで酒盛りはじめるし……さっきはすすめてもあんまり飲まなかったのに」

『大方、斬り合うことを想定して制限していたのだろうよ。そんな細かいことは気にせぬことだ、主よ』

「でも、あのまま放って置いたら、そのまま寝ちゃって風邪引いたりとかしないかな」


 風邪どころか、そのまま寝入れば、翌朝には凍りついた彫像となっているだろう。


 スィールの心配そうな顔に、ガルディアはにっこり笑って告げた。


『案ずるな、主よ。バカは風邪をひかないと言う』


 ものすごくいい笑顔だった。


「そうなんだ」


 なので、スィールはあっさりとそれで納得した。

 そろそろ眠気が襲ってきたこともある。


『そうだとも』


 ガルははっきりきっぱりとうなづいて、ダメ押しする。


「ガル、口惜しいから一緒に寝てね」

『構わぬぞ』


 スィールは、ガルディアをぎゅっと抱きしめる。

 そうすると、何だか安心するような気がしたし、よく眠れるような気がした。


『……おやすみ、我が主よ』

 

 言葉には魂が宿る。それは、言魂と言われる。

 我が主と彼が口にするたびに、その言魂が目には見えぬ呪となり、ガルディアとスィールを繋ぐ。だから、ガルディアは不自然なくらいそれを何度も繰り返し口にするのだ。自分とスィールとが更に強固に繋がるように。


「おやすみなさい、私のガル」


 その言葉に、ガルディアは雷にうたれたような衝撃を覚える。

 それは、喜びだった。

 爆発するような喜びが、ガルディアの全身を駆け巡り、心の中を暴力的なまでに荒れ狂う。

 「私の」というその言葉。たった四つの音!

 それがこんなにも喜びをもたらすものだとは!!

 ガルディアは、かつて、縛られることを何よりも嫌った己とは思えぬ心地がしていた。


(だが……)


 自分は変わったのだ、と思う。

 今であれば、彼は何度でもその言葉を乞うだろう。たとえそれが、彼を従属させるものだったとしてもだ。

 それほどに、その言葉はガルに喜びをもたらした。元の竜身であれば、思う存分咆哮をあげ、周囲を綺麗さっぱり焼き払っていたかもしれない。



 驚くほどの寝つきのよさで眠りの世界に入ったスィールは、ガルをぎゅっと抱きしめる。

 

(この世界に、我ほど幸福な守護者はいないだろう)


 それは、とてもとても幸せなことだった。

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