ヴィ・ディルーの剣(1)
「はい、これ」
ある天気の良い日に、スィールに渡されたのは、変わった形をした袋状のものだった。
「準備しなきゃいけないから、じじさまの貸してあげる」
スィールいわく、旅の支度はとっても天気の良い日にはじめなければいけないものらしい。それが、この家でのルールで、スィールにとっての常識なのだった。
(まあ、常識ってのは人それぞれなんだけどな……)
常識は絶対ではない。立場や階級でも違えば、時代でも変わる。
つまるところ、それは、自分なりのものさしだ。
「これ、何だ?」
灰色の丈夫な帆布でできているそれは、袋であることはわかる。だが、一般的な旅人が利用する肩掛け袋とはまったく違っていた。
「背嚢。袋部分が背中にぴったりとするから、重いものも入れられるし、疲れにくい」
「へえ」
「あててみて。ベルトの長さ調節するから」
アーネストに与えられているものは、着ているものはもちろんのこと、何から何まですべて、スィールがじじ様と呼ぶ育て親の老人のものだ。
この地方では、服の仕立てはやや大きめなのが一般的で、そのおかげで服は多少サイズ直しをしただけでアーネストが着られるものが多く、スィールはそういったものをすべてアーネスト用に直してくれた。
ボタンつけくらいなら、アーネストでも何とかなるが、さすがにサイズ直しとなると見ているほかない。スィールはとても器用で、肌着などもすぐにその場で何枚か仕立ててくれたほどだった。
本人は何でも自分でやる必要があるから、必要に応じて覚えただけとそっけなかったが、特技には違いない。
「あと、これが外套」
旅行用のフードのついた灰色の外套は、寝具代わりにもなれば、雨具代わりにもするという万能な一品だ。これで少し高級なものになると裏打ちに毛皮がつかわれていたりもする。
「肩のところ、少し余裕があったほうがいいね」
「大丈夫だぞ?」
多少キツさを感じるが、別に動きがそれほど阻害されるわけでもない。
「でも、いつ剣を使うことになるかわからないし……」
「それはそうなんだが、これくらいはたいしたことないし……だいたい、剣を使うって言ったって、そもそも、ここに剣があるのか?」
アーネストの目に付く範囲にはなかったような気がする。
「頼んである。……剣が届いたら、ここを出るつもり」
「頼む?」
「友達に何か貸してって」
そういえば、何日か前に何か手紙のようなものを書いていたっけ、とアーネストは思い出す。
「……友達が、いるのか?」
アーネストのその言は、聞きようによっては大変失礼なものだった。
「あ、いや、別にスィールに友達がいるのがおかしいって言ってんじゃないぞ。ただ、こんなところでよく友達になるような『人間』がいたなと思ったんだ。この森で、他に暮らしてるような人がいるのか?」
別にスィールが嫌われるようなタイプだからというわけではない。純粋に『友達』になれる『人間』の実在をうたがっただけだ。
「ううん。人間はいない。だって、ここは沈黙の森だもの」
たぶん、普通の人は住めないと思う、とスィールは自身を棚にあげて言う。
「…………じゃあ、友達って?」
「ヴィ・ディルー」
それはいったい何の名前だ、とアーネストは思う。
スィールもそれだけでは足りないと思ったのだろう。少し考えて付け加えた。
「北の果てのガラドリエに住む妖精族」
「ガラドリエ?」
「この森の……泉の近くにある門から行ける妖精の国。ヴィ・ディルーはそこに住んでるの」
「妖精の、友達……」
人間ではないかもしれない、という予測はしていたが、妖精族と言われるのは少し予想外だった。
(てっきり、竜か何かかと……)
北は竜の生息する地域だ。古代竜の数は激減しているが、それでも、鳳凰のように伝説となるほどではない。
スィールのことだから、竜族に友達の一人や二人いてもおかしくないと思っていたのだ。何しろ、スィールの守護者はガルで、ガルは竜族なのだから。
「妖精って人間嫌いだろ?」
「うん。ヴィ・ディルーは人間大っ嫌いだって」
「……おまえは人間だろう」
「私は友達だから特別って。……ガルもそれおんなじこと聞いた」
スィールはおかしげに笑う。
「いや、妖精族の人族嫌いは筋金入りだからさ」
「そうだけど」
(……あれ?妖精って確か……)
記憶の片隅を、何かがかする。
何かすごく大事なことを思い出しかけたような気がした。
だが、その思考は確かな輪郭を結ぶ前に、さらりと消えさる。
「そろそろ、昼ごはんにする?」
「そうだな。……ガルはどうしたんだ?」
いつも、スィールにべったりの黒い影がどこにも見えない。
「旅に出る前にこの周辺をちょっと見ておきたいんだって。散歩に行った」
「散歩、ね……」
「ガルは飛べるから大丈夫だよ」
「……まあ、そうなんだけどな」
□□□
アーネストが、そのことを思い出したのは、三日後の夜のことだった。
「人の子よ、スィールの騎士を名乗るなら、まずは私と手合わせ願おうか」
凍った冬の空のような青灰色の瞳がアーネストを見て、冷ややかに嗤う。
初対面であるというのに、静かな殺意がそこにはあった。
(そういや……妖精にとっての『友達』って、すげえ特別だったんじゃなかったっけ……)
アーネストは、それがどれほど特別なのかを強制的に体験することになった。