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北の大賢者の養い子(14)

「あのね、大事な話がある」

「何だ?」

『うむ』


 夕食後は団欒の時間だ。団欒といっても、何をするというわけでもない。

 スィールは口数が多いほうではなかったし、アーネストは口下手というわけではなかったが、これくらいの年齢の子供と何を話題に話してよいかはまったくわからなかった。

 だいたいの場合、スィールはガルを抱きしめながら本をめくり、アーネストもまた借りている本をめくる。言わば読書の時間となることが一番多い。


 アーネストが驚いたのは、この小屋にある本の充実ぶりとその希少性だった。こと、古代魔術分野において言うならば、この小屋にある文書類は帝宮図書館の秘文庫を凌ぐだろう。


(ティンがいれば、目の色を変えるに違いない……)


 ティン……クウィンティン=リューディ。

 アーネストの3歳年下の異母弟は、帝国の国家魔法士の一人にして、魔術師の卵だ。

 シュレイヤーンの名を捨て、リューディの名を与えられた。魔術師とまだ呼べぬのは、彼が誓約をたてていない為だ。

 ティンの一件があるから、アーネストは人より少しだけ魔術師について詳しい。生真面目で二言目には規則だの決まりだのを持ち出す異母弟をうざったいと思っていたが、今は密かに感謝していたりする。


『それで、大事な話とは何なのだ、主よ』

「うん。これからのことなんだけど……」


 スィールは膝の上にガルを座らせ、本を閉じる。

 

「まず先に聞いておくけど、アーネストは、家に帰りたくない?」


 スィールは、アーネストをまっすぐな瞳で見上げた。

 ものの見事に直球ど真ん中。遠まわしにたずねるとか、修辞的技巧だとか、言葉を飾るとかは一切ない。


「いや、そういうわけでもないんだが……」

(嘘だ……)


 即座に心の中で否定する。

 先日、家に帰らなくて良いのかと問われた時、帰りたくないとも、もう帰らないとも言い切る事ができなかった。

 ここが居心地が良いというのは確かだが、現実逃避をしている部分があることもまた事実だ。


「でも、おうちの人が心配してると思うけど……いや、死んだと思われてるかも……」


 スィールの視線はアーネストの腹部あたりをとらえている。その傷を思い出しているのだろう。


「たぶんな」


(クライフはきっと、俺が死んだと報告しているだろう……)


 アーネスト自身が、自分は死んだと思ったのだ。

 彼に誰よりも忠実なクライフは、アーネストがウィルの刃に斃れたのを見ている。遺体がなくとも、彼の口からその時の情景が家に伝われば、彼は間違いなく死んだと思われるはずだ。


「死んだままのが、いい?」

「いや……そういうわけじゃないんだが……」


 歯切れが悪い自分に苦笑する。

 いつも即断即決。誰に何を言われようがわが道を行くのがアーネストだった。

 そんな彼の隣を一歩後ろから苦笑しながらついてくる、それがウィルで……アーネストが切り捨ててしまうような細かなことも、ウィルがすくいあげ、うまくやってくれていた。


(支えられていた……)


 自分がどれだけのものを返せていたのか、今となってはわからない。

 もしかしたら自分だけが支えられていたのかもしれない、と思う。その不均衡こそが、あの瞬間につながったのかと。

 そして、殺されかけた今でも、アーネストはウィルを……ウィリアムを憎むことができなかった。

 『親友』……その単語の持つ響きに満足し、自分は何を見逃していたのだろうか。


 不意に、鼻先をねっとりと甘い南国の花の香りが通り過ぎたような気がした。

 本当にその香りがしたはずがなかった。この居心地の良い小さな小屋の中で、そんな不自然な香りがするはずがない。

 ただ、思い出しただけだ。

 その香りを纏う、ウィルが、一目で恋に落ちた相手を。

 

(ディサ・エリーナだったか、エラーナだったか……)


 アーネストの記憶力には偏りがあって、どういうわけか、女の顔やら名前やらがまともに覚えられない。

 十年来の婚約者の名前すら毎回間違える始末で、その婚約者には二年前、思いっきりフラれて婚約を破棄された。最も、互いに納得づくだ。

 彼らは互いに恋したこともなければ愛し合ったこともなく、ただ、互いに義務と義理と親の期待によって結ばれていたにすぎなかった。


「あの傷は、おうちの人が?」


 スィールが、軽く首をかしげて問う。アーネストが答えにくそうなのを、身内が絡んでるせいかと考えたらしい。


「いや違う。俺を殺しかけたのは身内じゃない。」


 身内以上だと思っていた友だ、とは口に出さなかった。


(殺されかけてんのに、友って言っても説得力ないよな)


 本当に、不思議なくらいに憎しみはわかなかった。

 自分は裏切られたのだと思い、だが、それ以上に裏切られてなどいないという気もした。


「話して」


 夕闇色のアメジスト……アーネストは初めてスィールの瞳を見たとき、そう思った……その、不思議な翳りが揺らぐ瞳が、アーネストをまっすぐと見ていた。


「……正直、何から話せばいいかわからないんだけどな」


 アーネストは苦笑をこぼす。

 自分でもまだ整理しきれていないのだ。他人にうまく説明などできるはずがない。


「あの傷は、誰が?」


 スィールは、知りたいことを自分から問うことにしたらしい。アーネストもその方が気楽である。


「ウィリアムっていう俺の友人だ」

「……………友達に殺されかけた?」

「……ああ」

「それ、ほんとに友達?」


 半ば予測はしていたが、スィールは、疑わしいのではないかという眼差しをしている。


「ああ、そうだ。俺とあいつはそれこそこんなちっこいころからの親友なんだぞ」


 手で、幼い頃の背丈を指し示した。

 思い出すことなら幾らでもあった。実の兄弟よりもよっぽど彼らは時間を共有していた。


『そう思っていたのはおぬしだけではないのか?小僧。人は思い込みが激しい生き物だ』

「……うるさいぞ、黒トカゲ」

『我は偉大なる竜族であるゆえ、愚かなそなたの暴言は聞き流してやろう。……主よ、小僧の分の茶菓子は我がもらうぞ』

「ん」


 スィールは、アーネストの言を暴言と認めたらしく、そのまま茶菓子の皿をガルの前に置く。


「……ちび、何気に俺に厳しいだろ」

「ちびじゃない、スィール」


 ちびなんて言う人にはお茶あげないよ、といいつつも、ちゃんとアーネストの分も淹れるのがスィールだ。

 アーネストの見るところ、もうすぐ14歳というわりにはスィールは身体が小さい。

 本人は少し気にしているのか、ちびと呼ぶとちょっとムキになった表情をするので、その表情見たさについつい『ちび』と呼んでしまう。ただし、加減を誤ると、主大事のガルと戦争が勃発するのでほどほどにしておかねばならない。


「あのな、スィール。……俺とウィルは、確かに殺しあったわけだが……いや、俺は殺せるとは思ってなかったから、俺は一方的に殺されかけたんだが、でもな、だからって、俺とあいつが友であった事実は変わらないと思うんだ。それって、おかしいか?」

「……当事者じゃないからよくわからないけど、別に思うのは自由」


 スィールの言葉は、淡々としていた。特別な思い入れもなく、過剰に同意するわけでもない。だが、アーネストにはそれが良かった。


「ありがとよ。……それでだ。俺が家に帰ると、この件に決着つけなきゃならなくなるんだ。当然だが、あいつが俺に刃を向けたことは明らかになってるだろうし……あいつがどんな理由をつけても、俺がシュレイヤーンの候子である以上、あいつが許されることはない」

「よく、わからない」


 アーネストの言わんとしていることが、スィールにはわからなかった。

 実はスィールは、アーネストがシュレイヤーンの候子ということを知っていても、それがどういう意味を持つのかがよくわかっていない。

 こんな辺境の果ての地で、候子だの貴族だのといったところで何ができるというわけでもない。

 何よりも、魔術師というのは、ある種、身分制度の枠外に位置づけされている存在だ。

 

「………俺には、帝位継承権があるんだ」


 アーネストは、ゆっくりと告げた。スィールの様子を窺うように。


「ふーん」


 スィールは、たいして感慨もなさそうにうなづく。その反応の薄さに思わず問う。


「……帝位継承権ってわかるか?」

「皇帝になる権利ってことでしょ」

「ああ、そうだ」


 知らないわけでなく、どうやらそのあたりの興味が薄いだけらしい。


「十二選帝侯家の正室から生まれた嫡出の子供は、帝位継承権を等しく持つ。……例え、皇帝に子供がいてもな」


 選帝侯家が十二家と呼ばれ、帝国貴族の中で特別な地位を占めるのはそのためだ。

 皇帝を選ぶ権利を有する家なのではない。これらの家から皇帝を選ぶのだ。その為の『選帝侯』家である。

 そして、だからこそ、侯家の候子なり候女と呼ばれる人間は特別だった。


「他の国で言ったら、王子様だね」

「……そうかもしれないな」

「全然、王子様らしくないね」


 スィールは何を思い出したのかくすくす笑う。


「何だよ」

「ううん。何でもない」

「気になるだろ」

「だめ、内緒。……それで、帝位継承権を持つ人間を殺しかけるとどういう罪になるの」


 スィールは話を元にもどす。


「良くて、当人のみの極刑。帝位継承権者は、一般の法では裁かれない。ただ、皇帝陛下のみが裁く権利を持つんだ」

「アーネストはそれが嫌なの?」

「……ああ。俺は、今でもあいつを友だと思ってる……いや、思いたいからな」

「ふーん」


 スィールはそれについて、特に何も言わなかった。

 ひとりぼっちのスィールには、アーネストが『友』に持つその過剰とも思える思い入れや気持ちがよくわからなかった。


「おうちに帰らなくてもいいけど、春になる前に帝都に行くから」


 スィールは、さらりと告げた。


『ふむ』

「……帝都に?春になってからの方が良いのではないか?急がなければいけない理由があるのか?」


 冬の旅は他の季節に比べ数倍過酷だと言われている。

 アーネストは実体験としてそれを知っている。


「……ここで冬を越せるほど、食料の備蓄がないの」


 少しだけ困ったような表情でスィールは言った。


『……すまぬ』

「悪い」


 良く食べる自覚のある一人と一頭は、バツの悪そうな表情で謝る。


「ううん。いいの。遠慮とかしてほしいわけじゃないし……。どうせ、帝都に行くことには変わりがないんだから」


 予定外だったけど、楽しいからいい、とスィールは笑う。


『そう言ってもらえると、気が楽になる』

「じじ様はよく言ってたよ。「何でも予定通りなんて、つまらんよ、スィール」って」

「……ありがとうな」


 気遣わせまいとするスィールの頭を、アーネストはくしゃりと撫でた。


「ううん」


 はにかんだように笑うスィールに、アーネストも笑みを返す。


(俺が、守る)


 ごく自然にそう思った。

 主だから、とか、命の恩人だから、とかではない。

 アーネストは、ただ、この笑みを守りたかった。

 だから、自分にその権利があることが嬉しかった。


 そして、気付く。


(俺はもう何にも手加減する必要がない……)


 解き放たれたことに気付き、アーネストは薄く笑った。


「どうしたの?」

「ん?何がだ」

「今、ちょっとこわい笑い方してたよ」

「そうか?」

「うん」

「……たいしたことじゃない。何だかんだ言っても、俺は今までいろんなものに縛られてたんだな、と思ったんだよ」


 それらのすべては最早、何の意味も持たないが。


「せけんのしがらみってヤツ?」

「まあ、そんなとこだ」


 アーネストはもう一度、くしゃりとかきまぜるようにスィールの頭を撫でた。

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