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北の大賢者の養い子(10)

「つまり、死に掛けていた俺を助けたのは、君、ということだな?」


 アーネストを助けたのは、スィール・ルゥという子供だった。

 堅苦しく話すのもどうかと思ったので、言葉は少し砕けている。元々、アーネストは儀礼やら言葉遣いやらにうるさい方ではない。


 驚くべきことに、この目の前の子供は、3年前に祖父を亡くした後、この山奥の小屋で一人暮らしをしているのだとアーネストに告げた。


(よくこんな山奥で一人……いや、山奥だからこそ、か)


 よくぞ食料を得る手段があった、とアーネストは感心する。

 それと同時に、こんな子供が売られもせずに無事でいられることにも。

 きっと、滅多に人など踏み入りそうにもない山奥だからこそ、この子供が一人で暮らしていられるのだとアーネストは思った。他に人がいなければ、騙されることも、大人たちに食い物にされることもない。


「スィール」


 君、という呼び方は嫌らしく、子供は、名を呼ぶように促す。


「すまない。……死にかけていた俺を助けたのは、スィールなんだな?」


 アーネストは慎重に確認した。

 彼にとってそれはとても重要なことだった。


「そう。私が術を使った」


 こくんとスィールはうなづく。


「それと、「死にかけてた」じゃなくて、「死んでなかった」だけ」


 運が良かった、と大真面目な表情で付け加える。

 アーネストは知らぬことだが、ガルディアによって仮死状態になっていなければ……それすらも、奇跡のような偶然によるものだったが……たとえスィールとて、どんな代償があったとしても助けることはできなかっただろう。

 何も知らないアーネストは、あんまりにもあっさりと自分がほぼ死んでいたのだと言われて、頬を軽くひきつらせた。


(だが、運が良かったのは確かだ……)


 助かるとは思わなかった。

 正直なところ、我が事でありながらそれがアーネストの本心だ。


 護国騎士の剣は、魔術兵装の一種だ。

 使い手によっては、その一振りで山を砕き、地を割るとも言われるほどの威力を持つ。

 それで貫かれた己の命がこうして今も在ることは奇跡に等しいと思う。


「……スィールは、治癒の術が得意なのか?」

「別に」


 ふるふると首を横に振る。まるで小動物か何かのような仕草だと思い、微笑ましく思う。


「でも、術で治したって言っただろう?」

「私は、魔術師だから」


 大概のことは術でできる、スィールは淡々とした様子で告げた。


「……魔術師?」


 アーネストは思わず声をあげた。

 思っていた以上にその声が響いて少しだけ驚く。

 聞こえるのは川の音と、時折、甲高く響く鳥の声くらいのもの。アーネストは、そのどちらにもすぐに慣れてしまいまったく気にならなくなっていたので、自分の声が必要以上に大きく聞こえた。


「そう」

「正真正銘の魔術師?」

「三年前に誓いをたてたばかりだけど」

「……すごいな」


 アーネストは、心底、感心した。


「そうかな?」

「……魔術師の誓約はこの世界との誓約だ。き……スィールの誓約を世界が認めたのだろう?」

「そう」

「ならば、それは誇るべきことだろう」


 『世界と誓約する』と一口に言うが、誓約を立てることが既に魔術的行為である。

 それは、魂に刻まれる誓約であり、成立すること自体が最高の魔術とみなされる。

 そして、認められた瞬間から、魔術師は誓約に反することは絶対に出来ない。


(それは、『世界』と交わす契約だから)


 それに反した瞬間、その魂は消滅する。

 欠片も残ることなく、転生の環に入ることもない完全な消滅……死後、エシュリーダ女神の御手に抱かれて魂は浄化され、転生の環に入り再び生まれ来るのだと信じられているこの世界において、魂が消滅するというのは、単なる刑罰を越えたところにある絶対の断罪だ。


「ああ、そうだ。十歳にも満たない身で……三年前なら尚、幼かっただろう。きっと、俺が知る限り、最年少の魔術師だ」


 歴史上には幾多の例外がいるが、それは例外中の例外だ。

 エシュリアは、魔術を礎に建国された帝国である。なので、かつて、エシュリアの皇家には、生を受けた瞬間から、魔術師と呼べるような規格外の子供が生まれることがあったともいうが、現在では、魔術師自体がそれほど多くはない。


「?????」


 スィールが首を傾げる。


「そんなに幼いのにたいしたもんだ」


 褒められることに慣れていないのだろうか?と思ったアーネストは更に付け加える。幾分、リップサービスも含まれていた。


「幼い、幼いというけれど、何歳に見えてる?」


 不思議そうな表情でスィールが問う。


「十歳くらいだろう?」


 スィールはふわりと笑った。


(……笑うと、可愛いな)


 アーネストは、のんきにそんなことを思う。


「もう一回、言って」


 そんな風に言われると、何かねだられているようで悪い気がしない。

 

「十歳くらいだろう?」


 既に、スィールに対する庇護欲にも似たものが、アーネストの中には芽生えていた。


「そう……そんなに小さく見えるんだ」


(……あれ?)


 何か違う、とアーネストの勘が、警鐘を鳴らしていた。


「気にすることはないぞ。子供なんだから小さくてもこれから成長する。男の成長期は、だいたい、十四、いや、十五歳をすぎてからだからな」


 アーネストは笑顔を見せて言った。もちろん、フォローしたつもりだった。

 だが、そのフォローはまったく的外れだったらしい。


「ばかっ」


 まったく構えていなかったアーネストの顔面をクッションが強襲し、怒ったらしいスィールは出て行ってしまう。


「……あれ?」


 どこが間違ったのか?と首を傾げたものの、アーネストには思い当たる節はまったくない。


(ばか、か。……何か、可愛いな)


 そんな風に思ってしまうのだから、始末に終えないと自身でも思う。

 だが、こういう場合、異母弟やら、同母兄やらの場合は、「死ね」の言葉とともに、剣やら短剣やらが飛んでくる。

 クッションというのもかわいければ、「ばかっ」というその言葉やその響きもかわいかった。

 異母、同母合わせても兄弟は男ばかり、しかも、武をもって帝国を支える一族ともあれば、自然、家内は殺伐としている。

 そんな中で育ったアーネストにしてみれば、スィールのそれは『可愛い』以外のなにものでもなく、更に、庇護欲めいたものをそそられる結果でしかなかった。


 彼の乳兄弟であるクライフがここにいたらきっとお決まりのセリフを言ったに違いない。

 眉間にシワをよせて、『また、アーネスト様の悪い癖が……』と。


 そう。アーネストは『小さくて可愛い』ものが好きだった。

 それも猫かわいがりして、可愛がる対象からはウザがられる。

 子猫、子犬、子ウサギ……アーネストが可愛がってきた対象は多岐に渡る。


 

 ……人間は、初めてだった。




 

 □□□





「もうすぐ14歳なんだから」


 まだ怒っているんだぞ!という表情のスィールだったが、アーネストには、そんな様子も子猫が毛を逆立てている時のような可愛らしさしか感じられない。

 勿論、それを口に出さないだけの良識はある。


「それは、すまなかったな」


 だが、それにしても幼い、とは口には出さなかった。

 十歳ももうすぐ十四歳も、アーネストの感覚からすれば大差なく『子供』だったが、それは口にしてはいけないだろうことくらい鈍いと言われるアーネストにも察しはついていた。


 じじ様とスィールが呼ぶ相手は、どうやら実祖父というわけではないらしい。

 3年前、保護者だったその老人が死んだときから、スィールは誰に庇護されるわけでもなく、一人で生きてきたのだという。そうやって、一人で生きてきた者を子ども扱いするのは確かに失礼だろう。


(だが……)


 アーネストは真面目な顔をして、スィールに向かう。


「スィール」

「何?」

「真面目な話をしてもいいかな」

「……どうぞ」


 きょとんとしながらも、うなづいて先を促す。


「まずは生命を救われたことに礼を言う」


 ありがとう、とアーネストは頭を下げる。


「……どういたしまして」


 スィールも頭を下げ、肩のところにとまっていた謎の生き物が膝の上に落ち、それを抱きとめる。そして、大切そうに優しい手つきでそれを抱きしめた。

 アーネストは寝台から起き上がり、そして、寝台の脇の椅子に座っているスィールの前に膝をついた。


「……アーネスト?」


「我、アーネスト・エレザール=リュカディア=シュレイヤーン、十二候家の候子にして、黒竜騎士たる者。我は、我が命を救いし魔術師スィール・ルゥにこの生命を捧げる。我が真名はヴィルディア。魔術師スィール・ルゥ、どうか我が名をとられよ」


 きょとんとした表情が、更に困惑を増す。


『認めるが良いよ』


 声がした。

 柔らかく響く落ち着いた男の声が。


「……でも、ガル」

『認めてやらねば、彼が困る。……いい加減なところもあるとはいえ、彼は騎士だ。騎士は、生命の借りは生命で返す。それが掟。彼の真名を受け取るが良い』


 声は、スィールに抱きしめられた謎の生き物から発せられていて、アーネストは軽く目を見開いた。


「……わかった」


 スィールはこくりとうなづく。

 真剣な表情。不意に、既視感がおそった。


(どこかで見たことがある……?)


 誰かの面影が重なった。

 それが誰かを思い出せないまま、スィールの発する言葉に意識が奪われる。


「エーデ・ヴィルディア、そなたのすべては、光の杖の担い手たるヴィラード・ルゥが後継 スィール・ルゥが物。今、この時をもち、汝が生命は我が物である。我が命なくして、その剣ふるうこと許さず。我が許しなくして、死すことあたわず」


 流れ出す誓いの言葉は、神代言語によるもの。選定候家に生まれたアーネストは当然それを学んでいる。自身ではほとんど発音できずともその意味するところは理解できる。


 元より、騎士による『生命の誓い』は神聖なものである。

 だが、今、彼が誓うこれほどに神聖な誓いはないだろう、とアーネストは感じた。

 神代言語による誓約など、古の物語の中の騎士のようだと感じ、まるで子供のように自分がそれを喜んでいることに気付いた。

 

 スィールは椅子から立ち上がる。そして、そっとアーネストの額に口付けた。

 口付けられたその部分が熱く、同時に、その部分から熱が生まれる。

 それはまたたくまにアーネストの全身を侵し、そして、それまでのすべてを壊してゆく。


(ああ……)


 これは、歓喜だ、とアーネストは思う。

 身体に、心に、歓喜が満ちてゆく。

 細胞の一つ一つ、あるいは、神経の一つ一つにいたるまで喜びが浸透してゆく。


「アーネスト・エレザール=リュカディア=シュレイヤーン、そなたを我が騎士として認めます」


 涼やかに響くその言葉に、アーネストはうっとりと聞きほれた。




 この日、アーネスト・エレザール=リュカディア=シュレイヤーンはスィール・ルゥの騎士となった。

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