プロローグ
「……候子っ」
視界の端に映るクライスの顔が、大きく歪む。
いつも冷静で冷ややかな男のそんな表情を、見たことがなかった。
(なんだ、そんな顔して)
笑える、と思いながら、顔の筋肉がうまく動かせないことに気づく。
灼けるような痛み。
アーネストは、血臭に眉根を寄せる。
それが己の血だと気づき、同時に腹に刺さるそれに気づいた。
彼の身体を貫いていたのは魔力を帯びた青白い刀身……帝国を最強たらしめる力のその源。
護国騎士<ル・レグザータ>の持つその刃が、彼の腹から生えていた。
刃を握っている男の顔は、泣き出しそうに歪んでいる。
(ウィル……)
無防備だった。
自分が狙われていることは知っていた。というよりは、ずっと狙われ続けていたから、それが日常だった。
けれど、この男が自分の敵になることだけは想像をしたことがなかった。
どんな最悪な想像の中であっても、彼だけはアーネストの味方だったからだ。
『親友』
誰もが自分たちの関係をそう言い表したし、アーネストもそう思っていた。きっと、ウィルだってそう思っていただろう。
こんな風に裏切られるなどとは一度として思ったこともなく……なのに、なぜこうなったのかは即座にわかってしまった。
(バカな奴……)
脳裏に浮かんだ女の顔をアーネストは思い出せなかった。どころか、その髪の色が黒だったのか金だったのか……それすらもあやふやだった。
(ほんと、バカだな……)
きっと、もう二度とこいつは安らかに眠ることができないだろう、とアーネストは思う。
優しく……、だからこそ弱いこの男は、アーネストを裏切って普通の日常を送れるほど心が強くない。
ケホッと小さく咳き込むと、器官に血が逆流した。
数多の戦場を経験した武人として、また、仮契約とはいえ、ウィリアムが手にしている刃をかつて手にしていた経験からも、アーネストは自身が決して助からないだろうことを予感していた。
「……だからって言っても、やられっぱなしは俺の流儀じゃねえな」
渾身の力をこめて、自身に逆手にもった剣をつきたてる。
竜の尾から出てきたという謂れのあるシュレイヤーン候家に伝わる魔剣ガルディアは、アーネストの身体を突き抜け、背後のウィリアムにまで達した。
確かな手ごたえ。
ウィリアムの表情が見られないことが残念だった。
(護国騎士<ル・レグザータ>でもこの距離なら、傷くらいつくだろ)
せめて一太刀浴びせられればそれで良かった。
魔剣でついた傷だ。どれほど腕の良い治療師を雇ったとしても、きっと生涯、その痕はのこるだろう。
(しっかし、つまらん最期だな……)
視界が白い光に埋め尽くされる中でぼんやりとそんなことを思い、そして、アーネストはそのまま意識を失った。