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第4話 後輩の視線


 綾部の視線が、少し変わった。


 そう感じたのは、はっきりしたきっかけがあったわけではない。

 ただ、以前よりも、私の顔をよく見るようになった気がした。


 大学の構内を歩いているときも。

 ゼミの後、並んで座っているときも。


「先輩」


 呼ばれる回数が増えた。


「なに?」


 返事をすると、綾部は一瞬だけ言葉に詰まる。


「……いえ」


 そして、視線を逸らす。

 それが、前はなかった。


 ベンチに座り、ノートを広げる。

 距離は、自然と近い。肩が触れそうで触れない位置。


「先輩」


「うん」


「最近……」


 綾部はそこで言葉を切った。

 指先が、膝の上で絡まる。


「忙しそうですね」


「そうかな」


 私はそう答えながら、思い当たる理由を探した。


 隣人のこと。

 マイケルが、家に来るようになったこと。


「家に、人来てますよね」


 やっぱり、そこだった。


「隣に引っ越してきた人」


 私がそう言うと、綾部は口を結んだ。


「……外国の人ですよね」


「うん。距離感がちょっと独特だけど」


 そう言って、軽く笑う。

 自分でも、納得しきっていない笑い方だとわかった。


 綾部は、納得していない顔をしたまま、

 それ以上は聞いてこなかった。


 夕方、家に帰ると、兄がリビングにいた。

 ソファに座ったまま、テレビも見ていない。


「ただいま」


「おかえり」


 兄の声はいつも通りだった。

 でも、視線が一瞬、私に留まる。


「今日は、来てない」


 兄がそう言った。


「そう」


 私は靴を脱ぎながら答えた。

 それ以上の感想は出てこなかった。


 夕食の準備をしていると、兄が背後から声をかけてくる。


「百合」


「なに?」


「……後輩、最近よく一緒だな」


「うん」


 当然のことだ。


「ゼミ一緒だし」


 兄は小さくうなずいた。


 私は包丁を置き、少し考えてから口を開く。


「ねえ、兄さん」


「なに」


「綾部、多分」


 一拍、間を置く。


「兄さんのこと、好きなんだと思う」


 兄の動きが止まった。


「……は?」


「だって」


 私は言葉を選ぶ。


「私と話してるときも、

 なんだか不安そうで」


 自分でも、はっきりした根拠はない。


「兄さんと私、後ろ姿似てるでしょ」


 それは事実だ。


「だから、私を見てるとき、

 その先に兄さんを見てる気がして」


 兄は何も言わなかった。


 私は、その沈黙を肯定だと受け取った。


 夜、部屋でスマホを見ていると、綾部からメッセージが届いた。


《先輩、今日は家にマイケルさん来てました?》


 少し迷ってから、返す。


《今日は来てないよ》


 既読がつく。

 少し間があってから、返事。


《そうですか》


 短い。

 それだけで、胸の奥が少しざわつく。


 ――やっぱり。


 私はそう思った。


 綾部は、私を通して、

 兄を見ているのだ。


 だから、私と話すとき、

 あんな顔をする。


 私はそう結論づけた。


 その考えに、疑問を持つ理由はなかった。

 少なくとも、この時点では。


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