第3話 距離の近い人
マイケルが家に来る頻度は、思っていたより早く増えた。
引っ越しの挨拶から三日後。
夕食の準備をしていると、玄関のチャイムが鳴った。
「百合ー」
兄の声がする。
私は火を弱め、エプロンのまま玄関へ向かった。
ドアを開けると、マイケルが立っていた。
今日は青いTシャツ。胸の中央に星のマークがある。
「ハロー!」
距離が近い。
一歩下がる前に、もう一歩近づかれる。
「こんにちは」
そう答えながら、私は一歩だけ横にずれた。
ぶつからない距離を取る。
「遊びに来た!」
理由はそれだけらしい。
「今、大丈夫?」
「……少しなら」
断るほどでもない。
外国の人は、こういう距離感なのだろう。
リビングに通すと、兄がソファから立ち上がった。
「いらっしゃい」
健治はいつも通り、耳を髪で隠している。
マイケルは兄を見るなり、ぱっと表情を明るくした。
「ケンジ!」
呼び方が自然すぎる。
私は一瞬だけ、その様子を見る。
兄は軽くうなずき、距離を保ったまま立っている。
「お茶、入れますね」
私がそう言うと、マイケルは即座に反応した。
「ユリ、ありがとう!」
その呼び方に、少しだけ肩が強張る。
でも、悪気はない。
キッチンでお湯を沸かしていると、
背後から足音がした。
「手伝う!」
振り返ると、マイケルが立っている。
「大丈夫です」
「ノープロブレム!」
距離が近い。
肩が触れそうになる。
「……あの」
私は一歩、横にずれた。
「キッチン、狭いので」
「オー! ごめん!」
すぐに下がる。
ちゃんと謝る。
リビングに戻ると、兄がコップを二つ用意していた。
その動きが、少しだけ固い。
そのとき、インターホンが鳴った。
「はーい」
玄関に向かうと、そこには綾部が立っていた。
「沢田先輩、これ……」
手提げ袋を差し出される。
中身は、ゼミの資料だった。
「ありがとう」
そう言って中に入ってもらう。
綾部は、リビングに入った瞬間、マイケルを見た。
一瞬だけ、表情が固まる。
「あ……」
「ハロー!」
マイケルが先に声をかけた。
「ユリの友達?」
「後輩です」
私が答えるより早く、綾部が言う。
「オー!」
マイケルはにこっと笑った。
「じゃあ、ボクと友達だね☆」
その言い方に、綾部の眉がわずかに動く。
「……はあ」
短い返事。
警戒しているのが、はっきりわかる。
私は二人の間に立つ。
「綾部、座って」
「はい」
綾部は私の隣に座った。
距離が近い。
マイケルは気にせず、兄の隣に腰を下ろす。
その距離も、近い。
――この人、本当に距離感が独特だ。
私はそう結論づけた。
綾部が私の袖を、そっと引く。
「先輩」
「なに?」
小さな声。
「……あの人、よく来るんですか」
「最近はね」
私は正直に答えた。
「外人さんって、フレンドリーだから」
自分に言い聞かせるような言葉だった。
綾部は納得していない顔をしたが、それ以上は言わなかった。
兄は、ほとんど話さない。
でも、ずっとその場にいる。
私はそれを、
「家族として気を使っているのだ」
そう理解した。
この時はまだ。
それぞれの思いが、
少しずつずれて重なっていることに、
私は気づいていなかった。




