第10話 選ぶということ
朝、鏡の前に立った。
寝癖のついた髪を、手で押さえる。
兄と同じ長さ。
同じ色。
変えようと思えば、変えられる。
でも、私は何もしなかった。
昨日の兄の言葉が、まだ残っている。
「勘違いだった」
その一言で、
私の中に積み上がっていた前提が、音を立てて崩れた。
マイケルは、私を見ていなかった。
私が思っていた理由で、近づいていたわけじゃなかった。
じゃあ、私は。
私は、誰にどう見られていたのか。
大学へ向かう道で、綾部を見つけた。
向こうも、私に気づく。
一瞬、立ち止まる。
それから、ゆっくり近づいてくる。
「……おはようございます」
「おはよう」
少しだけ、間があった。
並んで歩く。
以前みたいに、半歩ずれない。
沈黙が続いた。
私の方が、先に口を開いた。
「昨日」
「はい」
「泣かせたままにしたくない」
綾部が、驚いたように目を開く。
「先輩」
「ちゃんと、聞きたい」
声が、少しだけ震えた。
「私のこと、どう思ってるか」
立ち止まる。
人の少ない歩道。
綾部は、しばらく黙っていた。
それから、はっきり言った。
「先輩だから、です」
即答だった。
「兄じゃなくて?」
自分でも驚くほど、まっすぐ聞けた。
「関係ないです」
綾部は、視線を逸らさなかった。
「似てるとか、
そういうのじゃない」
胸の奥が、ぎゅっと締まる。
「先輩が、先輩だから」
それ以上の説明はなかった。
でも、十分だった。
「うん」
それだけで、伝わった。
返事は、まだ出さない。
それでいい。
私は歩き出す。
綾部も、隣に来る。
歩幅は、同じ。
兄と似ているかどうかは、
まだ気になる。
でも、それは、
変えるかどうかを決める前の話だ。
今は。
私は、私のままで、
選ばれていい。
選ぶ側で、いていい。
そう思えた。
空を見上げる。
今日は、少しだけ明るい。
歩く速度を、落とさずに。
私は、前を向いた。




