第7話 将来への可能性
令和2年(2020年)。
この年の春。彼ら子安ファームにまた新しい命が誕生する。彼らは新しい馬の誕生に立ち会った。
「父は、大種牡馬のヴィッカース、母は重賞2勝を含む9勝の名牝。これは期待できるな」
馬主でもあり、オーナーブリーダーでもある圭介は、多少無理をしても昨年種付けをしたことを後悔はしていなかった。
そして、産まれてきた新しい命の誕生。
一見すると、鹿毛の牡、どこにでもいそうな幼駒だった。
ただ、例によって興味本位で立ち寄って、ちゃっかりお産に立ち会っていた、坂本美雪は、傍らに明日香を連れて、予言めいた一言を告げるのだった。
「この仔は、きっと走るよ」
と。
「また、美雪さんの戯言が始まったか」
「戯言じゃないって」
圭介は呆れていたが、彼女の傍に控える、小さな頭が動いて、圭介を捉えていた。
「パパ。美雪さんの言う通りだよ。きっと、歴史を作る仔になる」
「マジでか。そんなのわかるわけないと思うけどなあ」
「わかるよ。ただ、強力なライバルがいなければ、だけどね」
「そうですね」
美雪が呟き、明日香が応じる。
この凸凹コンビの予言が、後に「将来への可能性」を示唆しているとは、圭介は当然、思っていなかった。
産まれた仔は、「ファイアフライ」と命名された。
「おお。シャーマン・ファイアフライから取ったんですね」
近くにいた、ポニーテールの女が気色を面上に示していた。相馬美織だった。父譲りのミリオタでもある彼女の言に、
「しゃーまん・ふぁいあふらい?」
明日香が、可愛らしく小首をかしげていた。
「第二次世界大戦で、イギリスが国産の17ポンド対戦車砲をアメリカ製のM4シャーマンに搭載した巡航戦車だよ。そういえば、ドイツの戦車エース、ミハエル・ヴィットマンのティーガーを撃破した戦車でもあるね。あれ、もしかしてオーナー、狙ってます?」
矢継ぎ早に早口でまくし立てる、そんな相馬に明日香は「よくわからない」と言いたげな視線を送っており、一方で圭介は苦笑していた。
「まあ、多少は」
圭介は、内心、特にヴィットマン、つまりかつて10年ほど前に活躍したステイヤーを意識した物ではなかったが、曖昧に相槌を打っていた。
この時期、圭介は娘たちに振り回されていた。
特に次女の麗衣、9歳と三女の麻里、7歳に。
麗衣は、大人しくて感情を表に出さない、ある意味、「子供らしくない」子で、どちらかと言うと、人見知りが激しい子だった。
いつも母親の美里に懐いており、圭介にはなかなか懐かないが。
ある時、牧場の馬の様子を見に行った圭介は、厩舎で馬を見ていた彼女と遭遇した。
どこか気まずいような沈黙の空気が流れる中、唐突に彼女は父の目を見つめてきた。
「麗衣。馬、好きなのか?」
コクンと短く首を縦に振ったまま、彼女はじっとその場から動かなかった。ただ、馬房に入れられている馬の様子を、食い入るようにずっと見つめており、圭介が話しかけても、どこか上の空だった。
(何考えてるか、わからない子だな)
我が子ながら、圭介はこの麗衣に少しばかり苦手意識を持っていた。ただ、それは決して「嫌い」という感情ではなく、理解はしようとしていた。
元々、口数が少なく、大人びているが、麗衣は悪いことをする子ではなかったからだ。
一方、7歳の麻里は。
「お父さん。私、お馬さんに乗りたい!」
まだ幼稚園児の頃から、盛んに父にそのことをせがんだから、仕方がなく、馬の扱いに慣れており、乗馬経験もある牧場長の真尋に付き添わせて、一緒に乗ってもらい、慣れてきた頃、引き馬をしてもらった。
幼い麻里は、麗衣とは別の意味で、馬が好きになったようで、
「麻里は、将来、騎手になりたいのか?」
と尋ねたところ、
「お馬さんに乗る人? うん!」
満面の笑顔で頷くのだった。
三人娘は、それぞれ別の方面で、才能を発揮しつつあったが、さすがにこの段階では、圭介も美里も、彼女たちの将来の予感すらできていなかった。