第5話 強心臓と運命の種付け
平成31年(2019年)、春。
この年の5月、年号は令和と変わるが、まだ変わっていない時期の4月。
とある幼駒がこの子安ファームに誕生した。
父は、種牡馬2年目の、ゾルファガールという牡。いわゆる「持込馬」だが、4年前のNHKマイルと、日本ダービーをどちらもコースレコードで制した馬で、将来の大種牡馬として期待されていた馬だった。
その幼駒を見た、獣医の岩男千代子が、産まれたばかりの仔を見に来た、圭介や明日香たちに向かって、驚くべき発言をしたのだった。
「この仔、心臓の音がすごいです」
と。
「えっ。心臓の音ですか?」
「ええ。こんな心臓の音は聞いたことがないというか。力強いというか。とにかくすごい馬です」
獣医だからこそわかる、直感的なものか、それとも長年の経験則によるものか、圭介にはわからなかったが、立ち会った牧場長の真尋もまた、岩男千代子の言を首肯していた。
岩男千代子によると、体がものすごく丈夫だという。
怪我をしやすい競走馬にとって、それが大きなメリットであることを、もちろん圭介は認識していた。
「岩男先生の言う通りだよ、オーちゃん。この仔はマジですごいよ。これで勝てなかったら、逆にヤバいと思うくらい」
と、太鼓判を押していた。
一方、妙なところで相馬眼を発揮する、明日香は、この産まれたばかりの仔の様子をじっと見つめていたが、やがて、父の袖をくいっと引っ張った。
ジェスチャーで耳を貸せ、と言っている娘のために、かがんだ圭介に、彼女は小声で告げるのだった。
「これから伸びる気がするから、ドラゴンでどう?」
と。
変なところで、父に似ている明日香に、圭介は苦笑しつつも、そのまま娘の提案に従い、名前をつけた。
冠名の「ミヤムラ」をつけて「ミヤムラドラゴン」と。
そう。この時からまさに「ドラゴンロード」は始まっていたのだ。後に、この「ドラゴン」が本当に天へと昇り詰めるような存在になるとは、この時、誰も思わなかったが。
同年、令和元年と変わった5月。
種付けを行うにあたり、この年はとある特徴的な種付けが行われた。
父は、すでに6年連続でリーディングサイアーとなっていた、ヴィッカース。名種牡馬としての地位を確立していた。
母は、昨年、相馬美織の推薦によってセールで入手した、アリエテという馬。
後に、この両者の仔が、死闘を演じ、そして大きな存在になっていくことになる。
子安ファームは、まだ大きな戦いの前の、「嵐の前の静けさ」の様相を呈していたが、時はゆっくり、確実に動き出していた。