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ラッキーオーナーブリーダー2  作者: 秋山如雪
第7章 復活と逆襲
39/45

第39話 大番狂わせ

 競馬の世界では、稀に起こることがある。


 「大番狂わせ」。英語では「giant(ジャイアント) killing(キリング)」、または「upset(アップセット)」とも言う。


 子安ファームにおいて、過去、この「大番狂わせ」を演じた馬というのは、実はあまり多くはなく、大抵が1番人気から、せいぜいオッズが低い4番、5番人気で勝った馬が圧倒的に多かった。


 その意味では、「つまらない」と言えば、つまらないのだが。


 その年の有馬記念は、ある種、異様だった。


 2024年12月22日(日) 中山11R 有馬記念(GⅠ)(芝・右・2500m)、天気:晴れ、馬場:良


 何しろ、その年のクラシック戦線は、この馬の独壇場だったためだ。


 デアフリンガー。

 長沢牧場が所有する、この小柄な馬が、クラシック戦線を席巻。皐月賞、日本ダービー、菊花賞をいずれも圧倒的な着差で勝利し、無敗のクラシック三冠を達成。


 「衝撃の末脚」と呼ばれた、そのサラブレッドの完成形は、当然、続く有馬記念でも圧倒的な1番人気に推されていた。

 単勝オッズが驚異の1.2倍。


 菊花賞の時の、1.0倍には及ばないものの、中山競馬場に詰めかけた、大観衆は誰もこのデアフリンガーの勝利を疑いもしていないように、圭介の目には映っていた。


 一方で、子安ファームから唯一、出走する馬は、ファイアフライ。牡の4歳の馬だ。4番人気だったが、オッズとしては単勝17.2倍と、デアフリンガーから相当離されていた。オッズだけで見ると、勝ち目がないようにすら見える。

 実は彼の戦績で目立つのは、「2着」。


 GⅠで言えば、日本ダービー、大阪杯、宝塚記念、そして前走のジャパンカップ。いずれも2着でファンからは「シルバーコレクター」と呼ばれていた。


 まだGⅠを1勝も勝っていなかった馬だが、実は秋の天皇賞から騎手が、キール・オベールというフランス人騎手に変わっている。

 そして、そのキールが「上手い」という噂はあった。


 それに、預けていた栗東の内山厩舎の関係者からは「放牧が明けて秋になると、春とは別の馬のように馬体が成長した」というコメントもあった。


 そんわけだが、圭介自身はそんなに期待していなかった。

 今回、圭介は娘のうち、騎手を目指すという中学1年生の次女、麗衣を連れて、中山競馬場に乗り込んだ。

 お供をするのは、いつもの相馬美織だった。


「まあ、このレースはデアフリンガーで決まりのようなもんだし、騎手を目指すお前にとっては、つまらないかもしれないな」

 少し投げやりな気持ちで、圭介は娘に発していたが、その麗衣は、パドックからファイアフライを見つめ、彼とは違う感想を述べるのだった。


「そうでもないと思うよ、お父さん」

「何故だ?」


「競馬は、走ってみないとわからない。最後まで何が起こるかわからないのが競馬。だから面白いんだよ」

「大番狂わせが起こるってことかしら?」

 美織の問いに、しかし麗衣は首を横に振った。


「それはさすがにわからないですけどね。でも、私の目から見る限り、ファイアフライの調子は良さそうに思えるんです」

 相変わらず、どこか男の子のような口調、そして中学生に思えないくらい、達観したような言葉で、麗衣は呟いていた。


 そして、彼らは馬主席に向かい、巨大なスクリーン越しからレースを眺める。


 派手なファンファーレの後、出走。

「史上初の無敗の4冠馬、誕生なるか。さあ、デアフリンガーのスタートは!」

 もはや実況からして、デアフリンガーが当然勝つかのように声を張り上げる中、始まった、暮れの風物詩、有馬記念。


 しかし、レースは意外な展開を見せる。

 圧倒的1番人気のデアフリンガーは後方に下がり、最後方へ。


 そして、特徴的だったのは、これまで「追い込み」戦法を使うことが多かった、ファイアフライが先行策を取っていたことだった。

(思いきって戦法を変えたな)

 圭介の目から見ても、明らかだったが、恐らくこれはベテラン騎手のキールの思い付きだろう。


「おおっ、なんとファイフライが3番手」

 実況が驚くように、いつもは後ろの方にいるはずの、ファイアフライが先頭集団に近い3番手を進んでいた。


 3コーナーに入り、4コーナーに向かう途中。

「さあ、デアフリンガーはどこで動く?」

 実況の声と、そのデアフリンガーを推す、無数の観客の大歓声が重なって、中山競馬場には異様な雰囲気が流れていた。


 4コーナーを回って、ハナを奪っていたのは、何と誰もが予想していなかったはずのファイアフライだった。

「外からデアフリンガー!」

 予想通り、最後の直線で猛烈な末脚を発揮して、上がってきたのはデアフリンガー。


 しかし、

「デアフリンガーが捕らえる、捕らえる。しかし、先頭はまだファイアフライだ」

「ファイアフライ先頭、しかしデアフリンガーが迫る。デアフリンガー、しかし何とファイアフライだ!」

 ゴール板を先頭で駆け抜けたのは、圧倒的1番人気ではなく、4番人気の伏兵、ファイアフライだった。


 その瞬間、場内にはほとんど悲鳴に似たような声が溢れていた。

「マジか!」

「ありえねえ!」

「何でファイアフライ!」

 ほとんど「怨嗟えんさ」の声に近いくらい、1着になったファイアフライに対する祝福の声はなかった。


 誰もが、圧倒的な走りを見せた、3歳無冠の帝王の勝利を疑いもしていなかったのだ。

「デアフリンガー、敗れる!」

 歓声と悲鳴が混じり、混沌とした状態の中山競馬場。


 しかし、ファイアフライの騎手、キールは手を上げて、歓声に応えていた。

「勝ったのは、ファイアフライ。悲願のGⅠ初制覇!」

 大歓声と、混乱したような声に包まれる中山競馬場のターフを上から眺めながら、圭介は声にならない声を上げていた。


「え、マジで勝ったの?」

「お父さん。だから言ったでしょ。勝負は最後までわからないって」

「それにしても見事ですね、キール騎手」

 圭介の声に、麗衣と美織が応じていた。


 勝ったのは、ファイアフライ。

 無冠の帝王、無敗の三冠馬をまさに「大番狂わせ」で勝ったファイアフライ。

 このファイアフライが、後に種牡馬として、名を上げることになろうとは、この時、誰も思ってはいなかった。


 そして、キール騎手は、これが日本での初重賞制覇と同時に、初GⅠ制覇だった。世間がこのキール・オベールという名騎手のことを知るようになるきっかけにもなるレースになるのだった。

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