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ラッキーオーナーブリーダー2  作者: 秋山如雪
第5章 不屈の闘志
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第25話 バルクホルンの試練

 同年。


 明日香は中学1年生になり、麗衣は小学5年生、麻里は小学3年生になっていた。

 この年もクラシック戦線を賑わせるような優秀な牡馬は、子安ファーム所属の馬では1頭もいなかったのだが、代わりに「ダートの天才」がいた。


 バルクホルンだ。


 3月末のドバイワールドカップで、惜しくも3着に入っていた彼の陣営は、次のレースを6月に大井競馬場で行われる、地方ダートのトップレース、帝王賞に定める。


 そして、その帝王賞において。


 2022年6月29日(水) 大井競馬場 11R 帝王賞(JpnⅠ)(ダート・右・2000m)、天気:晴れ、馬場:良


 圭介たちは、この東京の大井競馬場で行われるレースを見に行かなかった。

 理由は単純で、「彼が勝つ」と信じていたからだ。


 実はこのレースには、「地方の雄」とも目されていた、とある強力な牡馬が参戦していて、それが世間の注目を集めていた。

 実際、オッズではバルクホルンは2番人気だった。


 大井競馬場は、東京都品川区にある。南関東4競馬場(大井・川崎・船橋・浦和)の中で、唯一の右回り競馬場でもあるのがここ大井。2,000mのコースはスタートが直線の奥で、広い外回りを使用することから、他の南関東の競馬場とは違ってコースの半分以上が直線となる。


 直線は長いとはいえ、2,000mの場合は向正面の残り1,000m付近からペースが速くなることで、ロングスパート勝負になりやすいと言われる。求められるのは早めにスパートして、長い直線を乗り切る持続力。内の馬場が極端に悪くない場合は、内である程度脚を溜め、直線で外に出せる馬が有利になりやすい。


 逆に1コーナーまでの距離が遠いことで内枠の馬がポジションを取りやすく、外枠、特に8枠は外外を回らされやすいことで不利になりやすい。


 そして下馬評を覆し、

「バルクホルン、1着!」

 あっさりと、最後の直線で交わして、ゴールイン。


 子安ファームの面々は、歓喜に湧くというよりも、ドバイワールドカップの疲れを感じさせない彼に安堵していた。


 そんなバルクホルンが、次に目指すレースは、10月のマイルチャンピオンシップ南部杯。これは1,600mのダート戦で、日本の秋のダートのマイル最強馬決定戦として定着している。


 当然ながら、ここも当たり前のように勝つだろうと思われていた矢先。


 バルクホルンを預けていた、栗東の清川厩舎から圭介の元に連絡があった。

「えっ。それは本当ですか?」

「はい」

 たまたま、中学1年生の明日香が学校から帰宅した、平日の夕方に圭介に連絡があり、父のそばにいた明日香が、そのただならぬ気配を敏感に感じ取っていた。


「それは残念です。はい、はい。ではよろしくお願いします」

 電話を切った後、彼女は居ても立っても居られないという様子で、父に問いかけていた。


「お父さん。何かあったの?」

「ああ。バルクホルンが」


「バルクホルンが、どうしたの?」

 明日香の顔色が次第に変化していく。圭介は言い淀んでいるというより、話すべきか迷っていたが、娘の目力からは逃れられそうにもなかったので、諦めて実情を明かした。


 それは、バルクホルンが、「屈腱炎くっけんえん」になったという連絡だったのだ。

 屈腱炎とは、腕節と指骨(後肢の場合は飛節と趾骨)をつなぐ腱である屈腱の腱繊維が一部断裂し、患部に発熱、腫脹しゅちょう、つまり腫れを起こしている状態のことを指し、これは「不治の病」あるいは「競走馬のガン」とも称され、腫れあがった脚部の外観が海老によく似ていることから、エビハラ、またはエビとも呼ばれる。


 要は、アスリートでもある競走馬にとっては、致命的な病気で、これが原因で引退した競走馬は数えきれないくらいいるのだ。


 明日香の顔があっという間に蒼白になっていた。

「そんな……バルクホルンが」


「ああ、残念だが、治らなければそのまま引退もありえるそうだ」

「引退なんて、絶対ダメ!」

 珍しく、感情を露わにした明日香が、叫んでいた。


「明日香……」

「屈腱炎が難しい病気なのは知ってる。けど、あの仔は将来のダート界を背負っていく存在だよ。こんなところで終わるなんてありえない」


「明日香の気持ちはわかるが、こればかりは何とも言えない」

「でも、昔に比べて、治療法は発達したんでしょ」

 圭介は驚いていた。

 娘の明日香の成長、というより学習能力についてだ。


 確かに、屈腱炎に対する治療法自体、昔に比べて発達していた。それこそ1990年代以前は、まさに競走馬にとって「死の病」だった屈腱炎。

 しかし、2000年代以降、患部以外から採取した幹細胞を培養し、患部に注入して再生を促す「幹細胞移植」という治療法の研究と技術開発が進み、成果を上げつつあった。

 ただし、幹細胞移植による治療法を用いても復帰するまでに年単位の長い時間を要することや、その間の飼葉代ほかの飼育費に多くの金額がかかることは変わらないため、実際に施術が行われるのは大レースでの好走実績を持つなど、復帰後にもかなり高い期待が持てる馬にほぼ限られているという、厳しい実情もあった。


 ただ、そこまでは知らなくても、「知ろうとしている」明日香の学習意欲に、圭介は驚いたのだ。


「調教師の先生と相談はした。治療はするそうだが、それでも上手くいくかどうかはわからないし、金もかかる。復帰の目途も立っていない」

「復帰までどれくらいかかるの?」


「わからない。1年か、2年か、それもダメならあるいは……」

 その先が聞きたくない様子の明日香は、父の言葉を遮った。


「わかった。お金なら、私がネットで集める」

「どうやって?」


「ドネーション、つまり寄付。クラウドファンディングみたいなものね」

「集まるか?」


「わからないけど、やってみる」

 明日香の思いきった提案、そして行動力に、圭介は驚きつつも、彼女に任せてみることにした。


 早速、彼女は子安ファームが使っている、公式サイトから、クラウドファンディングに近いドネーションを募集。


 最初は、半信半疑で様子を見ていたのか、寄付を申し出る人間などほとんどいなかった。

 ところが、数日経ち、ネットニュースで実際にバルクホルンが屈腱炎になったことが報道ベースで出ると、寄付金が徐々に集まり始め、気が付くと圭介が思っていた以上の額が集まっていた。


(すごいな、明日香)

 純粋に驚くと同時に、彼女の行動力と機転が、バルクホルンの治療費の一部として役に立つことになる。


 バルクホルンの実績が十分なのもあったが、やがて子安ファームには、バルクホルンの復帰を願って、メールでの激励文や、千羽鶴まで送られることになる。


 復帰時期は全くの未定。

 長期休養に入った、バルクホルン。


 彼の運命はまだまだわからない物の、明日香は自ら競馬にたずさわろうとしていた。

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