第22話 アスカチャンの帰還
2021年。
高松宮記念を制し、春秋スプリント制覇を達成した、「スプリント女王」のアスカチャン。
しかし、続く秋のスプリンターズステークスの前哨戦である、セントウルステークス(GⅡ)では4着、さらに本戦のスプリンターズステークス(GⅠ)では2着と振るわず。
陣営は、12月に再度、香港に挑むことを決定。
しかし、圭介は同時に、預けていた厩舎からこう告げられてもいた。
「次の香港スプリントで勝てなかったら引退させたいと思います」
と。
圭介は頷くしかなかった。
もちろん、理由としては明確で、調教師たちは「もう上がりはない」と見ていたからだ。
競走馬は競技寿命が非常に短い。
通常、2~3歳でデビュー。
晩成型なら7、8歳まで活躍することも可能だが、陣営はアスカチャンを早熟型と見ているらしい。
事実、今年の高松宮記念を最後に、勝利していない。
衰えが早い馬なら、3、4歳で引退もおかしくはないし、アスカチャンは5歳になっていた。
圭介たちは、香港へ飛んだ。
今回は、アスカチャンの見納めになるかもしれない、と言うことで、結局は前回と同じ取り合わせだが、圭介、美織、明日香の三人で香港へ向かった。
「Bonjour. Vous allez bien?」
当然のごとく、現れたのは、フランス生まれのハーフ馬主秘書、アニエス・大原だった。
「アニエス、久しぶり」
「凱旋門賞以来ね」
二言三言、言葉を交わした後、彼女はレースの展開を予想してきた。
「アスカチャンは26.0倍の7番人気。まあ、前回よりも厳しいかもね」
率直で、遠慮のない意見だったが、圭介も同じように見ていた。
(アスカチャンは、もう十分活躍してくれた)
と彼も見ていたし、今後の繫殖牝馬での活躍に期待をかけたいと、先のことを考えていた。
ただ、もちろん、明日香自体は、
「アスカチャンは、まだまだ勝つよ」
と自信に満ちた表情をしていた。
明日香は、同じ名を持つアスカチャンにだけは、贔屓目に見ていて、目が曇るのか、予測が甘いところがあった。
2021年12月12日(日) 香港・沙田競馬場 5R 香港スプリント(GⅠ)(芝・右・1200m)、天気:晴れ、馬場:良
「スタートしました」
しかし、
「おっとアスカチャンがつまずいたか。後ろに下がっていきます。最後方からアスカチャン」
いきなりスタート直後につまずき、アスカチャンは最後方に下がっていた。
その後、何とか持ち直して、中団まで持ち込むものの。
最終コーナーを回った後の直線でも、切れがなく5、6番手を追走。
そのまま、ゴールしたが、7着に終わった。
「アスカチャン……」
「残念だったね」
露骨に落ち込んでいる明日香とそれを励ます美織。
結局、アスカチャンの香港スプリント制覇はならないまま、帰国。
年末には、引退が正式決定していた。
翌年の1月には京都競馬場で引退式が行われた。
話が少し進んで、2月、子安ファーム。
「アスカチャン!」
細かい雪が散らつく、北海道、日高地方の2月。強烈な寒気の中、喜び勇んで、馬運車を出迎えたのは、明日香だった。
牧場長の結城真尋、厩務員の結城亨、同じく相馬美織よりも早く、一目散に駆け寄って、彼女の首に抱き着いていた。
「お帰り!」
明日香にとって、同じ名を持つこの馬は特別な存在になっていた。
そして、アスカチャンにとっても、人間の言葉こそ話せないが、明日香はお気に入りのようにも圭介の目には見えたし、事実アスカチャンは、明日香に懐いていた。
元々、人懐こく、大人しくて可愛らしい、さらに賢い、牧場にとって、アイドルホースのような存在だった、アスカチャン。ある意味、「手間のかからない馬」と言っていいから、厩務員にとっては楽な存在で、癒し効果すらあったのだ。
アスカチャンは今季からは、正式にこの子安ファームで、第二の馬生を生きることになる。
繁殖牝馬として、新たな競走馬を産み、この子安ファームに富をもたらす存在になるか。
子安ファームのメンバー誰もが、このGⅠ2勝のスプリント女王に大いに期待をかけていたのだ。




