表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラッキーオーナーブリーダー2  作者: 秋山如雪
第4章 凱旋門賞の走り
19/19

第19話 栄光への前哨戦

 2021年9月初頭。


 圭介は、渡仏した。

 長女の明日香は、最後まで、

「私も行きたい!」

 と駄々をこねていたが、圭介と美里が、


「学校があるでしょ」

「そんなの休む」

「ダメ」

 とやり取りをして、結局、居残ることになった。


 今回、渡仏したのは、圭介と美里の夫婦のみ。

 他の子安ファームのメンバーは、全員日本で待機となった。


 そして、フランスにて。

Bienvenue(ビアンヴニュ)、ようこそ、フランスへ!」

 彼女がシャルルドゴール空港まで出迎えてくれるのだった。


 アニエス・大原が、普段着のようなラフな格好で、彼らを出迎え、彼女の手配で滞在先となるコンドミニアムまで案内してくれた。

 コンドミニアムとは、ウィークリーマンション的な施設で、中長期の滞在を目的とし、キッチンがついているマンション風の宿泊施設兼アパートメントでもあり、パリの16区、オートゥイユの辺りにあった。

 何しろ、圭介たちはこれから凱旋門賞までの約1か月間、パリに滞在するためだ。ホテルに泊まるよりは安くつく。


 荷物をコンドミニアムに入れて、明日からの調教師とのプランを見直しながら、くつろいでいると、美里は目を細めて睨むように告げてきた。


「ふーん。アニエス・大原さんね。あなた好みのボン・キュッ・ボンの女優さんみたいな人ね」

「何言ってんだ、お前。アニエスさんとはそんなんじゃ」


「どうだか」

 あっという間に妻の機嫌が悪くなっており、圭介はその機嫌を直すのに苦労するのだった。


 結局、気晴らしと観光を兼ねて、パリの街に繰り出し、近くのセーヌ川の川岸を散策したり、エッフェル塔を見に行ったりしたのだった。


 そして、しばらく過ごした後。


 2021年9月12日(日) パリ・ロンシャン競馬場 6R フォワ賞(GⅡ)(芝・右・2400m)、天気:晴れ、馬場:良


 圭介たちはこのレースを観戦することになった。


 付き添ったのは、フランスで馬主秘書をしている、アニエス・大原。そして、彼女の父で、世界的な大馬主でもある、クレマン・ルゴフも姿を現していた。


 初対面ということで、アニエスが仲介して挨拶を交わす、圭介と美里、クレマン。


 クレマン・ルゴフという男は、皺が多い、初老の男で、白髪交じりの髭面の大男だった。アニエスからは想像もつかないほどに、厳つい雰囲気の男だったが、彼はフランス語しかしゃべれず、日本語はほとんど話せないため、アニエスが通訳をした。


 その結果、

「エルドールは、悪くない」

 とのことだった。


(悪くない、か)

 圭介としては、その一言が引っ掛かるのだった。

 決して、「いい」とは言われていないからだ。


 今回のフォワ賞は、5頭立ての少数頭で行われた。

 フランスの、というよりも海外の多くの競馬場では、日本のように派手なファンファーレ演奏などはない。


 いきなり唐突にレースが始まる印象で、初めて見る日本人は驚く。


 レースでは、エルドールは、最後方で待機。全体的に超スローペースになったことで道中で行きたがる素振りも見せていたが、現地の騎手がそれを抑え込んでいた。


 そして、最後の直線では開けた、最内さいうちを一気に追い上げ、GⅠを3勝している現地の馬を突き放し優勝していた。


 そのことに、

Félici(フェリシ)tations(タシオン)!」

 大げさなくらい喜びの声を上げていた、娘のアニエスに対し、その父のクレマンは渋い表情を崩していなかった。


 その後、せっかくなので、ロンシャン競馬場を案内してもらい、軽い昼食を摂ることになった。

 彼らの案内で、街、つまりパリに出て、シャンゼリゼ通りにある有名なカフェに入った4人。


 話は、当然、この先の10月に行われる、凱旋門賞のことに及んだ。

「エルドールは、勝てると思いますか?」

 圭介は、通訳のアニエスを通じて、クレマンに尋ねていた。


 彼は、相変わらず渋い表情で、コーヒーの口に含み、その後、間を置いて、とある日本の馬の名を挙げた。


「リヒトホーフェン」

 圭介にも聞き取れていた、その名前。


 20数年前の凱旋門賞に挑み、日本勢初、そして唯一の2着という好成績を収めた、名馬だが、彼はそのことを語り出したのだ。


 以下、アニエスの通訳による説明になる。

「リヒトホーフェンは、速かった。何しろ、ジョッケクルブ賞(=フランスダービー)、アイルランドダービー、ニエル賞を制した、あのフォンクをあと一歩のところまで追いつめたのだ。あんな馬は、私の人生で他に見たことがない」

 そう絶賛していた。


 フォンクというのは、当時、アイルランド産まれ、当時フランスで活躍していた、3歳馬で、リヒトホーフェンのライバルと目されていた馬だ。


 そして、圭介自身も思い出していた。

 20数年前のあの熱狂を。


 当時、圭介はまだ22歳の大学生。

 あの宝くじで1億円を当てて、馬主になることを決め、忍従の4年間を過ごしていた時だ。


 日本馬として、何度目かになる凱旋門賞の出走。

 しかし、この時の雰囲気は明らかに違っていた。


 人気では、1番人気を2.5倍のフォンクに譲って、4.6倍の2番人気だった、リヒトホーフェンだったが、現地では、評判が高く「リヒトホーフェン対フォンク」の一騎打ちだとみなされていた。


 実際、この時の日本の報道も過熱しており、まだインターネットが現在ほど普及していない当時、深夜特別番組まで編成し、「日本馬として史上初の凱旋門賞制覇なるか」、と異常なほどの盛り上がりを見せていた。


 圭介ももちろん、深夜に生放送を見ていた。


 そして、

「リヒトホーフェン来た! リヒトホーフェン、強い! 凱旋門賞は目の前だ!」

 日本人のアナウンサーが、レースに合わせて叫んでいた。

 もちろん、現地でも報道され、現地アナウンサーがリヒトホーフェンと叫んでいた。

 凱旋門賞の最後の直線、残り400m付近。リヒトホーフェンは後続に2馬身もつけていた。


(勝った!)

 誰もが思った、瞬間。


 ゴールまで残りたったの50m付近で、外から来たフォンクに抜かれ、わずか半馬身の差で、2着。


 日本の夢は潰えたが、現地では拍手喝采で、


「チャンピオンが2頭いた」


 と言われたという。


 それほどまでに、すごい馬だったのが、リヒトホーフェンという馬だった。


 つまり、大馬主でもあるクレマンの脳裏にも、日本での最強馬、リヒトホーフェンのことが残っていたのだ。


 圭介は聞きにくいことだとは思いつつも、彼に尋ねてみた。

「では、リヒトホーフェンと比べてエルドールは、どうでしょうか?」


 それに対し、初老の男、クレマンは視線を遠くの空に向けて、静かに語るのだった。

「今回、ヨーロッパの有力馬が出走を回避している。だから、勝ち目はある」

 と。


 圭介にとって、それは微妙にも思える回答に思えた。


 何しろ、

「有力馬が出ていないから、勝ち目がある」

 ということになるからだ。


 裏を返せば、

「有力馬が出ていれば、勝てない」

 ということになる。


 事実、この年の凱旋門賞では、ヨーロッパが誇る世界的な名馬の何頭かが、様々な理由から凱旋門賞の出走を回避していた。


 有力と言われていたのは、イギリス2000ギニー、イギリスダービー、アイルランドダービーを制し、勢いに乗っていた、イギリス産、アイルランド調教馬のスコフィールドという馬だった。


 凱旋門賞まで、残り2週間あまり。

 決戦が始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ