第14話 覚醒の兆しと短距離決戦
人の一生とは、どこで才能が覚醒するかわからないものだが、それは馬、特にサラブレッドにとっても同じだ。
明日香が「強くなる」と評していた、栗毛の牡、バルクホルン。
2020年7月にデビュー。それから約半年。
年が明けて、令和3年(2021年)。
新馬戦は芝・1400mで負け。その後、未勝利戦をダート・1800mで勝ち、オープンクラスに上がった初戦、同じくダート・1800mを勝って、初の重賞挑戦。
3月に行われる毎日杯(GⅢ)に出走したのだが、バルクホルンはあっさり負けて、7着。掲示板を外していた。
いまいち勝ちきれない彼に、圭介はかつて娘の明日香が、
「この仔は、ダートの方が走ると思うよ。あと、距離はもうちょっと長い方がいいかな」
と言っていたのを思い出していた。
まだ幼い少女が言うことなので、もちろん彼は全幅の信頼を置いているわけではなかったが、試しに彼は預けている厩舎に電話をして、
「出来れば、これからはダートでお願いしたいんですが」
一応、控えめに提案したところ、先方の調教師は、
「わかりました。実は我々も、バルクホルンはダート向きじゃないかと見ていたところです。これからはダート一本に絞ります」
と、あっさり受け入れてくれた。
そして、これによって、彼、バルクホルンの「道が開ける」ことになり、そこから息の長い活躍をすることになる。
その頃、前年暮れの香港スプリントで勝てなかった、期待の短距離快速少女、アスカチャンが次なる挑戦をしようとしていた。
春秋スプリント制覇。
つまり、秋のスプリンターズステークスを勝ったことで、次は春の短距離戦、高松宮記念を制すれば、これが実現する。まさに「短距離女王」になれるかどうかの決戦になる。
その前に、陣営は高松宮記念の前哨戦として、3月に開催される、オーシャンステークス(GⅢ)に挑んだ。
ここで、勝てば勢いがつく。
しかし、結果は奮わず、4着に終わる。
不安を残したまま、ついに決戦を迎える。
2021年3月28日(日) 中京競馬場 11R 高松宮記念(GⅠ)(芝・左・1200m)、天気:晴れ、馬場:良
秋のスプリンターズステークスと共に、芝・1200mの「電撃の6ハロン」とも呼ばれる、短距離レース。
アスカチャンは、前走の成績から、単勝2番人気。4.0倍。5枠9番に入る。ライバルは次世代の短距離エースと目され、デビュー以来連勝していた馬だった。
内心、不安な気持ちを抱えながらも、圭介は「大一番」ということで、いつものように相馬美織と明日香を連れて、名古屋へ飛んだ。
中京競馬場・芝1200mは、向正面の半ばからスタート。緩やかな上り坂を進むと、その後は直線を向くまで下り坂となる。3~4コーナーも下りで、スパイラルカーブ。長い直線で末脚勝負に目が向くが、逃げ馬も複勝率52.5%と粘り込んでいるという実績がある。
圭介が、パドックを見て、わかりやすいくらい表情に不安な気持ちが出ていたのだろう。
隣に立つ、11歳の明日香が、父の手を握って、優しい声をかけていた。
「大丈夫だよ、パパ」
と。
それが、何の意味の「大丈夫」なのか、圭介はわかっていなかったが。
一方、相馬美織もまた、パドックの様子を見て、感慨深げに呟いていた。
「馬体重が482キロ。相変わらず、女の子なのに大きいですね」
そう。アスカチャンは、牝馬にしては大柄なのだ。
通常、牝馬だと牡馬に比べて小柄で、一回り近く小さい馬もいる。これは人間の男女でも変わらない。
ところが、アスカチャンは、牡馬に負けないくらいの体重があった。それでいて、普段は人懐こくて、可愛らしい馬でもあったから、明日香を始め、子安ファームのメンバーからは好かれていた馬だ。
いよいよファンファーレの後、スタートとなる。
「スタートしました。揃いました。好スタートを切りました」
中年の男性の実況で始まった、レース。
「そして、アスカチャンも早めに行って、2番手」
全体的に塊のように、馬群が一つになっている中、アスカチャンは早めに仕掛けていた。
1コーナーを回り、あっという間に、最終コーナーを回って、直線。
残り400m付近。
「さあ、先頭はアスカチャン」
実況の声が大きくなる。アスカちゃんがここで先頭に立っていた。
「アスカチャンが先頭。坂を上った。200mを通過した」
「アスカチャン、並んでゴールイン!」
最終的には、直線で外から伸びてきた、3番人気の馬に並ばれようかというところで、粘ってゴールイン。
歓声が中京競馬場にこだましていた。
これで、アスカチャンは秋のスプリンターズステークス、春の高松宮記念を制し、牝馬として史上3頭目の春秋スプリント制覇となり、GⅠを2勝したことになる。
「さすがだね、アスカチャンは」
同じ名を持つ、明日香が喜色満面になっていた。
一方、美織は、
「とてもいい仔に育ってくれました。馬主孝行ですね」
と、別の観点から圭介を持ち上げるように微笑んでいた。
こうして、アスカチャンは春秋スプリントを制し、牝馬の短距離女王として君臨。引退後の繫殖牝馬としての価値を高めた。
しかし、これがアスカチャンにとって、ある意味「ピーク」でもあった。