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ラッキーオーナーブリーダー2  作者: 秋山如雪
第3章 鮮烈のスプリンター
11/19

第11話 明日香の目と快速少女

 話は同年夏にさかのぼる。


 2020年夏。


 子安ファーム期待の牡馬がデビューする。

 バルクホルンだった。


 2020年7月26日(日) 新潟競馬場 6R 新馬戦(芝・左・1400m)、天気:曇り、馬場:良


 圭介たちは、見に行くことはなかったが、執務室で圭介、明日香、そして相馬美織がネットのレース中継を見ていた。


 しかし、3番人気に推されていたバルクホルンは、レースではあっさり敗北。4着だった。

 かろうじて掲示板入りを果たしたものの、そのレース内容からも決して強さは感じられない。


 そんな淡々としたレースだった。


 ところが、長女の明日香の目は違っていた。

「パパ」

「ん?」


「この仔は、ダートの方が走ると思うよ。あと、距離はもうちょっと長い方がいいかな」

(相変わらず、何でそんなことがわかるんだ?)

 と、我が娘ながら圭介は不思議に思うのだが、実は圭介はほとんど知らなかったが、彼女、明日香は幼いながらも、いや幼い故の学習能力があったため、よく坂本美雪から競馬について教わっていたのだ。


 つまり、彼女の「相馬眼」の源は、坂本美雪の目ということになる。それに自分の独自の目、つまり考えも養いつつあった。


 圭介にとっては、いちいち美雪に聞くよりも、明日香に聞いた方が便利かもしれない、というメリットはあったが、その目が正しいかどうかは、もちろんまだ未知数だった。


 そして、同時期。1頭の牝馬が、地方戦線を賑わせていた。


 デビュー2戦目のダートを制した後、どうにもパッとしない成績で、オープンクラスに上がってからはなかなか勝てずにいた、アスカチャン。この年、4歳になっていた。


 7月の函館スプリントステークス(GⅢ)、そして8月のキーンランドカップ(GⅢ)を制していた。

 さらにその前の、4月の阪神牝馬ステークス(GⅡ)も制していたので、これで一気に重賞3連勝となり、さらにキーンランドカップを制したことで、秋のスプリント頂上決戦、GⅠ、スプリンターズステークスの出走が決まっていた。


 これまで、圭介たちの所有馬で、マイル戦線に強い馬はいたが、これほどスプリント戦線で活躍する馬はいなかった。


 そのキーンランドカップを見に、札幌競馬場に、明日香を連れて、圭介が行った時のこと。


 2020年8月30日(日) 札幌競馬場 11R キーンランドカップ(GⅢ)(芝・右・1200m)、天気:小雨、馬場:重


 小雨が降るあいにくの天気だったが、熱心に視線を送る、自分と同じ名前の牝馬に、もちろん彼女は自身を重ねるように、凝視していた。

 このレースで、アスカチャンは1.8倍の圧倒的1番人気に推されていた。

 そして、ゴール前。


「アスカチャン、抜けた。アスカチャンか、ゴールイン!」

 見事にレースを制していた。


 それを見て、明日香は目を輝かせていた。


「パパ、見た? アスカチャン、女の子なのにすごいね」

「ああ。スプリンターズステークスでも期待できそうだ」


「うん!」

 明日香が弾けるような、眩しい笑顔を見せていた。


 そして、その時はやって来た。


 2020年10月4日(日) 中山競馬場 11R スプリンターズステークス(GⅠ)(芝・右・1200m)、天気:曇り、馬場:良


 アスカチャンは、このレースで単勝11.8倍の3番人気。5枠10番に入っていた。鞍上は、クラシック戦線でエルドールに騎乗している岩永祐二騎手が務めた。

 1番人気は、海外からの参加馬で、ロケットボーイ。単勝1.5倍の圧倒的1番人気だった。3枠5番に入る。


 このロケットボーイ。シンガポールの馬で、海外の短距離走を総なめにしたという、短距離王者でもあった。騙馬せんば(=去勢された牡馬)の6歳だった。


 そのため、アスカチャンの前評判はそれほど高いものではなかった。ただ、馬体は大きく馬体重が485キロもあり、ほとんど牡馬と変わらないサイズだった。


 圭介は、今回も明日香と美織を連れて、中山競馬場に向かった。妻の美里は、育児が忙しいらしく、今回も不参加だった。


 その中山競馬場で、彼らは意外な人物と再会する。


「あら、子安さん」

「長沢さん……」


 長沢春子。

 かつて、子安ファームがまだ小さい頃、繁殖牝馬を譲ってもらったり、お金を貸してもらったり、しかしその裏では子安ファームを目のかたきにしていた、あの腹黒い長沢春子。


 しかし、彼女もまた50歳を迎え、以前よりも柔らかく、丸くなるような印象を与える女性になっていた。

「お久しぶりです。どうしたんですか? このレースに長沢牧場の馬は出ていなかったはずですが」

 出走表が載っている新聞を見ながら、圭介は怪訝な、警戒するような目を向けたが、長沢は笑顔だった。


「ええ、確かに出ていません。ですが、あなたの馬、アスカチャンが出ているでしょう。それにロケットボーイも見たかったので」

 その答えに、圭介は尚も警戒しながら、


「そうですか」

 と適当に頷いていたが、明日香の目は、子供故に純粋に真実を見抜いていた。


「あのね。私も明日香って言うの」

 無邪気に声を出した、彼女。


 長沢は、わざわざしゃがんで、彼女に目線を合わせてほほ笑んだ。

「あら、そうなの? あなたが明日香ちゃん? はじめまして、長沢春子です」

 実は、だいぶ前、圭介は明日香が産まれた時。一応、義理から長沢春子に年賀状も送って、報告していたのだが、圭介自身はほとんど忘れていた。

 もっとも、その後、一度も会いに行ってはいなかったし、明日香を連れて行ったこともなかったから、実は二人は初対面だった。


 明日香を、優しい目で見つめながらも、長沢は何かに気づいたかのように、圭介に視線を送った。

「なるほどね。それでアスカチャンですか。いい名前ですね。期待してます」

 そう告げて、彼女は去って行った。


 残された彼ら3人。

 明日香は、

「長沢さん。また会いたいなあ」

 などと無邪気に言っていたが、圭介には長沢の腹の底はまだ見えていなかった。というよりも必要以上に警戒していた。


 中山競馬場、芝・1200mは、外回りの向正面に入った坂の頂上部分からスタートする。最初のコーナーまでの距離は275mと短いが、3コーナーのカーブが緩く、ゴール前の坂の下までおよそ4.5mを一気に下っていく。

 最後の直線はローカル場並の310mと短く、最後に中山名物の急勾配の坂が待ち受ける。直線が短いため基本は先行馬有利だが、オーバーペースで先行した馬はこの急坂で脚が止まり、差し馬の餌食となると言われる。


 そして、ファンファーレの後、レースが始まる。


 スプリンターズステークスは、春に行われる同じく短距離の高松宮たかまつのみや記念と合わせて、国内スプリントの頂点を決める決戦と言える。


 距離が1200mと短く、高松宮記念同様に「電撃の6ハロン(1ハロン=200m)」とも称される。


 つまり、人間の陸上競技で言えば、100mか200mの短距離走に近い感覚だ。

 勝負は一瞬で決まると言っていい。


(さあ、アスカチャンがGⅠウィナーになれるかどうか)

 圭介は内心、案じていた。


 相手が世界的な短距離王者でもある、ロケットボーイだけに圭介は内心では不安な気持ちの方が大きかった。


 ただ、競走馬にとって、「GⅠを勝つ」かどうかで、その後の人生、いや馬生が左右される。牡馬なら種牡馬、牝馬なら繫殖牝馬として、GⅠを勝っていれば、それだけ価値が上がる。


「スタートしました」

 アスカチャンは、やや後方気味にスタートしていた。


 最初から嫌な展開だと圭介は内心、思っていたが。


 ところが、最終コーナーを回った、直線。

 馬群の中から、抜けてきたのは、アスカチャンだった。


「アスカチャン、アスカチャンが追い込んでくる。残り200mを通過した」

 実況の声が次第に興奮気味に上ずってくる。


「ロケットボーイは、馬群の中だ」

 見ると、1番人気の海外馬、ロケットボーイは文字通り、馬群の中に沈んでいた。


「アスカチャンだ、ゴールイン!」

 そして、堂々と、アスカチャンが先頭でゴールインしていた。芦毛の綺麗な馬体がゴールゲートを先頭で通過する。しかも2番手に1馬身半も差をつけ、上がり3ハロンは33.6秒を計測していた。


 喜びの声に満ち溢れる、圭介たち子安ファーム陣営。

 特に明日香は、

「アスカチャン、おめでとう!」

 自分のことのように、大喜びだった。


(こいつは、想像以上に強いな。海外も行けるかも)

 圭介は、密かに思っていた。


 つまり、「いずれ強い馬が出てこれば、海外のレースに参戦したい」と。

 その先にあるのは、もちろん世界最高峰のレース、フランスの凱旋門賞だったが、いきなり凱旋門賞は無理がある。


 その前に、別の海外のレースで「慣らして」おきたいという思惑があり、このアスカチャンを試験的に使うことも視野に入れ始めていた。


 アスカチャン。4歳牝馬として、GⅠ、スプリンターズステークスを見事に制した。


 SNSでは、彼女のことが話題に上り、トレンドに「快速少女」という項目が上がっていた。あだ名は「快速少女」。今、快速少女が覚醒した。

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