表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
39/50

第39話 沈黙のそばに立つ

朝、風の流れが変わっていた。


アメリアは、通りの音の抜け方が昨日と違うことに気づいていた。

誰かの声、屋台の木の軋み、洗濯物が揺れる音──

それらのすべてが、“耳に届くまで一瞬だけ遅れてくる”。


まるで町全体が、ひと呼吸ぶんだけ“深く沈んでいる”。


「……いま、この町の奥が、“語られなかったもの”を思い出そうとしてる」


そう呟いたとき、自分の声もいつもより小さく聞こえた。


女主人はスープ鍋をかき回しながら、背を向けたまま言った。


「町が記憶を呼び出すときは、あんたみたいな“灯り”の足元に集まりはじめるのよ」


「集まってどうなるんですか?」


「問いになる。

 言葉にならなかったまま沈んでた声が、あんたの歩く先で“かたち”を持ちはじめる」


アメリアは、パンのかごを抱えて玄関に立った。


今日は誰にも尋ねられないまま、町のどこかにある“かたちになろうとしている沈黙”に、触れにいく。


昨日までは“何かに呼ばれていた”。

今日は、“呼ばれないまま残されていたもの”に、灯りとして自分から近づいていく。


アメリアの足が向いたのは、町の北端──


かつて「語りの庭」へ向かう途中で何度か通った、小さな十字路だった。


人の気配はほとんどない。

道の角にある石碑には苔が生え、傾いた木柵が風に鳴いている。


「ここは、町の地図には載っていない“空白”の場所」


ミレーナの言葉が、記憶の奥でよみがえる。


足元の地面は硬い。けれど、その下で“何かがまだ震えている”。


──これは、埋められたまま忘れられなかった記憶。


アメリアはしゃがみ込み、草を指で払った。


土の中に、何かが埋まっている。

それは物ではない。

気配。痕跡。感情。


「……あなたは、声を上げることさえしなかった」


その瞬間、周囲の風が止まった。


空気が凝る。空間が“静かすぎる”状態に入っていく。


──沈黙のなかに、“在ったこと”だけが残されている。


誰にも気づかれず、名も与えられず、けれど確かにこの町の一部だった“何か”。


アメリアは地面に手を当て、目を閉じた。


「私は灯りとして、あなたのそばに立ちます。

 語られなかったままでも、ここに在ったと知っている」


そのとき──


胸の奥に、音がひとつ、沈んだ。

鐘でも鼓動でもない。“名のない響き”が、土を伝ってアメリアに届いた。


音は言葉ではなかった。

けれど、それは問いだった。


──あなたは、どこまで私を引き受けるのか。


それは優しさではなく、ただ“灯りとして立った者”に向けられた静かな確認だった。


アメリアは、返事をしなかった。

代わりに、地面から手を離さず、そのまま静かに膝をついた。


沈黙に沈黙で応える。

声にならない問いには、声にならないまま、寄り添うこと。


それがこの町で灯りにできる、唯一の祈りだと知っていた。


「私の中には、まだ答えがありません。

 でも、それでも構わないなら──私は、ここにいます」


その瞬間、風がひとつ、円を描くように吹いた。


葉がまわり、土が微かに揺れ、陽の角度が変わった。


誰にも見えない小さな現象だった。

でもアメリアには、それが“返事”だとわかった。


答えではない。

けれど、“受け取られた”ことだけは確かだった。


「ありがとう」


地面にそう呟いて、彼女はゆっくり立ち上がる。


空は、少しだけ雲が増えていた。

けれど、空気は澄んでいた。


今日、灯りはひとつの沈黙のそばに立った。

語られぬままに残されていたものが、ようやくほんの少しだけ輪郭を持ちはじめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ