8.2つの腕輪
ナッソスさんと2人で王都を訪れた。
乗合馬車の終着駅は、様々な行先の馬車が集まっている。王城行きの馬車に乗り換えることにしたが、馬車が来るまで時間があったので、待合用の建物で座って待つことにした。
多くの人がベンチに座っている、ナッソスさんが座れる場所を探してキョロキョロしている横で、それが目に飛び込んできて、私は驚きと恐怖で棒立ちになった。
乗合馬車の待合い小屋の壁に、張り紙がしてある。お尋ね者の犯罪者の似顔絵が張られて、賞金が掛けられている。それはよく見る光景だったが、その中に自分にそっくりの似顔絵が貼られていた。
張り紙の見出しには人物の特徴が書かれている。
小さな体に短い癖のある薄茶の髪、若草色の瞳、そして……
頭には2本の角がある女。
「魔王の子。いずれ邪悪な魔物となる者が王都に隠れ住んでいる。見つけ出して捕らえた者には報奨金を与える』
似顔絵は私の特徴をよくとらえている。でも角はとても大きく、ひどく邪悪な目つきをしていた。
張り紙の前で、外套のフードを深くかぶり直した。けれども恐怖で足がガクガク震える。
これは私にしか見えない。
私は王都でお尋ね者なの?
どうしよう、どうしよう、何が起こっているの?
ナッソスさんが後ろにきて「どうしたココ」と明るく声を掛けてくれたけれど、彼もすぐに張り紙に気付いて「なんだこれ!」と大声を上げた。
ナッソスさんが怒って張り紙を剥がそうとするのを必死で止めた。
「これを剥がすと、罪に問われます。お願い騒がないで、私見つかって捕まっちゃう……」
この場所に貼られているということは、王都中にお訪ね者としてこの似顔絵が至る所に貼られていることを意味していた。1枚剥がしたところでどうしようもない。
ナッソスさんは「なんでこんなおかしなことになってんだよ。王様に問いただす」と庶民の私達には、とてもできそうにないことを言った。
王城行きの乗合い馬車の中で、私は硬くフードの端を握り、絶対に外れないようにして縮こまっていた。
「もうすぐ聖女様と勇者様の結婚式だね」
「王都をパレードしてくれるそうだよ」
「王女様きっとお美しいだろうねえ、楽しみだねえ」
馬車の中で、アナタシア様とゼノスさんの結婚式の話しがあちこちで聞こえた。
王城前の門に着いた。
ただの庶民が城の中に入ることは不可能ではと危惧したが「魔王討伐の英雄ナッソス様が王様への目通りを願う」とナッソスさんが堂々と申し入れると、門衛はすぐに中に取り次ぎ簡単に城に入ることができた。
そして衛兵たちが大挙してやってきて私達を取り囲み恐ろしい言葉を放った。
「アナタシア王女様にお知らせろ、魔王の子を捕らえたとな」
私はあっという間にナッソスさんと引き離された。
◇◇◇ ◇◇◇
牢獄の中は臭くて薄暗い場所だった。
私が何の抵抗もしなかったので手荒なことはされなかったが、流れるような手際の良さで私は王城の地下にある牢獄に入れられてしまった。途中何度も「聖女様のご指示の通りに」と話す声が聞こえた。私が王城に来たら聖女の指示で捕らえることが決まっていたのだと思われた。
錆びた鉄格子の他は冷たい石で囲まれた狭い部屋で、悔しくてぴょんぴょん跳ねた。
『魔王の子』なんて、どうしてそんな扱いを受けるのか訳が分からない。
何故こんな仕打ちを受けなければいけないのだろう。
硬い石の床で跳ね続けて、すぐに足が痛くなった、けれど止めなかった。
陽が落ちたのだろう、小さな灯り窓の光も届かなくなり、牢獄は暗闇の中になった。
どれくらい跳ねていただろうか、もう体を動かすこともできないほどに疲れ果てて、牢獄の隅に少しばかり敷かれた藁の上で横になり、倒れるように眠った。
◇◇◇ ◇◇◇
「勇者様なんて呼ばないの! ゼノスでいいよ、俺もココって呼ぶからさ」
出会ってすぐに勇者様に繰り返し言われて、とうとう根負けしてゼノスさんと呼んだ。出会った日から、彼はいつも優しく微笑みかけてくれた。
魔王討伐の旅が始まって、目指す場所は魔王城がある魔の森だった。本来なら騎馬や馬車で向かうところを、私達は徒歩だった。村々を通って魔の森にたどり着くまでは、ほのぼのとした道中だった。
王弟であり高名な神殿で大賢者と呼ばれる51歳のソリティオ様は、庶民3人との貧乏な旅にけして不満をおっしゃらないどころか、顔にも出さずいつも平静だった。けれどさすが高貴なお方で、世間知らずなことを度々言って私達を驚かせた。
朝目覚めて、紅茶が運ばれてこないと不思議がったり、野宿なのに湯あみをしたいと言ったりした。私が返答に困っていると、ナッソスさんが「あ、それ無理っす」とスパッと言い放つ。
ナッソスさんは道案内の力を持つ23歳の背の高いお兄さん。誰に対しても気さくに話しかける人で、旅先でもすぐにいろんな人と仲良くなる。ふざけているようで面倒見がよく頼りがいがある。彼のお陰で私たちは笑いの絶えない陽気な仲間になった。
ゼノスさんは21歳の騎士様。お仕事中とそれ以外がはっきり切り替わる人で、戦闘モードになると鬼神のごとく近寄り難い殺気を放つ。でも普段は、ほわーっと穏やかなのんびり屋さんだった。
旅の始めの頃、隣を歩いていてもあまりにゼノスさんが何も喋らないので、気まずくなったことがあった。思い切って何か気に障ったか聞いてみたら「うーんとね、あの雲がドーナッツみたいだなあと眺めてた」と子供みたいに笑った。
私はドーナッツを食べたことが無いと言ったら、彼はそこからドーナッツがいかに素晴らしいお菓子であるかを延々と語り聞かせてくれた。特にチョコレートが掛かっているのは最高なのだそうだ。
「魔王討伐が終わったら、ココにたくさんドーナッツを食べさせてあげる。色んな味を半分こして食べよう。俺がまわりを食べるから、ココには真ん中をあげる」
1時間ほど歩いてから「あ! ドーナッツの真ん中は穴で何にもないのでしょう? 私食べられない。ゼノスさんずるいです!」と大きな声を出したら、ナッソスさんに「ココ気づくのおせーよ」と突っ込まれ、ソリティオ様の初めての笑い声を聞いた。
当たり前のようにココと名前を呼んでくれて、勇者パーティーの一員として必要とされることが、神殿で独りぼっちだった私にとって、かけがえのない時間となった。ふざけ合って笑うことが幸せ過ぎて、ずっと魔王を倒せずに旅が続いたらいいのになんて馬鹿なことさえ願ってしまった。
でも……
魔王を倒し戦いが終わった今でも、脳裏には血を流し傷ついたゼノスさんの姿が蘇る。
あの人は何度血を流しただろう。骨を砕かれ、体を引き裂かれ、それでも1人で魔獣と戦い続けた。
勇者パーティーで戦闘ができるのはゼノスさんだけだった。
勇者として選ばれた者は聖女様から『勇者の証』なる魔法をかけられる。
『勇者の証』を得た人間は、常人ならざる強さと強靭な肉体を持つことができるのだという。事実、ゼノスさんは普通の人間なら絶対に死んでしまうような衝撃を受けても立ち上がり戦うことができた。
彼はたった1人で戦い、そして魔王を倒したのだ。
けれど、いくら勇者の証の魔法に守られていても不死身ではない。致命傷を負えば死んでしまうし、ひどい怪我を何度もした。彼は死にそうな痛みにのたうち苦しんだ。
彼の傷を治せるのなら、私の命が無くなってもいい、だからどうか彼を助けてくださいと、心のなかで叫びながら必死で治療した。けれど私の治癒の力は弱くて、時間がかかってしまうことも多かった。
私の体力が回復するまで、治療の途中でゼノスさんを待たせることが何度もあった。
自分が情けなくて涙がこぼれてしまうと、横たわったままのゼノスさんが、痛いだろうに微笑んで「ココ、チョコチップクッキーをくれ」と口を開ける。
クッキーなんて持っていないのを知ってるのに、私が泣くといつもそうやっておやつをねだる。
私が口にクッキーを入れる真似をすると、「おいしい」と言って「次はバニラクッキーだ」と食いしん坊の真似をして和ませようとする。
どんなに痛くて苦しくても、ゼノスさんは私を気遣ってくれた。それなのに、あまりに私の治癒の力は弱くて……
でもある日、ゼノスさんは本当に死にかけた。
聖女様から得た『勇者の証』の魔法をもってしても、あまりの出血量にゼノスさんはみるみる白くなっていく。私は全身全霊をかけて己の力を爆発させようとした。
その時、「その腕輪から力が流れ出している」とソリティオ様が気づいたのだ。
腕輪は熱く溶けそうになっていた。
『道案内』の魔法の力を持つナッソスさんは、様々な魔道具を使ってダンジョンの宝箱を開けたり、仕掛け扉を見つけ出すことができる。彼が魔道具を駆使して魔法を使い、私の腕輪を外してくれた瞬間、雷光のように私から光がほとばしって、そのまま気を失った。
目覚めたら元気なゼノスさんがいた。
「ココが一瞬で俺を治してくれたよ、ありがとう」
15歳の時に神殿ではめられた腕輪は、私の治癒の力を安定させるために必要だと説明され1度付けられると外すことができない物だった。けれど、腕輪を外してもらってから、私は信じがたい程に強力な治癒の力を手に入れた。
今までは泉から桶で水を汲んで、その限られた水をゼノスさんの体に掛けていたと例えるならば、腕輪を外した私は、泉そのものになったような感覚だった。体力の続くかぎり、絶え間なく水を注ぎ続けることができるようになった。
ソリティオ様は「腕輪によってココ殿の治癒の力が盗まれていたのではないか?」と怒りを露わにした。
「神殿で他に腕輪ををしている者は居なかったか」と問われた。対となる腕輪に力が流れていたに違いないとソリティオ様は疑っていた。
◇◇◇ ◇◇◇
牢獄で一夜を明かし、目覚めても目に入るのは冷たい石の壁だけだと気づいた時、これから自分がどうなってしまうのか恐ろしさに身を縮こまらせた。
人の声がして何人かの足音が近づいてくる。顔を上げると、鉄格子の向こうに、護衛の騎士と衛兵を引き連れた人物が現れて、嬉しそうな笑みを浮かべて見下ろしてきた。
私と対となる腕輪をしていた人、アナタシア様がそこに居た。