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31.誠の聖女として

 私は背筋を伸ばし、一歩、また一歩と進む。

 体の中から内臓が飛び出して吐き出してしまいそう。震えに歯がカチカチ鳴るのを抑え込むために、力いっぱい奥歯を噛みしめた。

 あと数歩でゼノスさんに手がとどく場所まで来て立ち止まった。


「そこを……」

 声が震える……ふがいなさにうつむきそうになる。やっぱり無理とくじけそうになった時、虚ろにこちらを見ている藍色の瞳が目に飛び込んできた。

 

 ゼノスさん、どうか私に力をください。


「そこをどきなさいアナタシア! 聖女は私です!!」


「キャー!!! 魔王の子よ、角を生やした魔王の子が襲って来た。助けて!」


 儚げな少女のような声が響き渡る、アナタシアはゼノスさんに抱きついた。


「近衛兵何をしておる、アナタシアを守れ」


 国王陛下の一喝に、近衛兵達は動こうとしたが、すでに圧倒的に数の多い王国騎士団に阻まれて、彼らは動けなかった。


「カロロス、これは反逆か? 私に歯向かうか!」


 カロロス騎士団長は私の横に進み出ると、ゼノスさんの前で跪いた。


「私の指揮官は勇者ゼノス様でございます。ゼノス様は今だ『勇者の証』をお持ち、すなわち魔王討伐が終わっていないのです。王国騎士団は全てゼノス勇者パーティーの『戦士』であります。戦いの最中にあっては、勇者様の命令にのみ従います。国の守りのために戦う我らに反逆とは陛下御乱心ですか?」


「ふざけるなカロロス! 団長の任を剥奪する、今すぐこやつを牢へぶち込め」

 国王陛下は唾を飛ばして錯乱したように叫んだ。

 横に座っていた王太子が怪訝な顔で立ち上がり「カロロス」と冷静な声で問いかけた。


「勇者の証が解かれていないのか? 何故今だ勇者は戦わねばならぬのだ、魔王は倒されていないのか?」


「王太子殿下に恐れながら申し上げます」

 堂々としたナッソスさんの声が場を制した。


「勇者ゼノスは、アナタシア王女から結婚しなければ勇者の証を解除しないと脅されました。彼が逃げると私の村の全員を皆殺しにするとさらに脅され捕らえられ、今は黒魔術で意思を奪われております。お疑いであれば、操り人形にされているゼノスをよくご覧になってください」


 王太子は宰相に命じ、ゼノスに呼びかけたが返事は無くされるがままに立っているだけなのを確認した。彼は控えていた黒魔法師団筆頭を呼ぶと、直ちに解除せよと命じた。


 最強と名高い黒魔法師筆頭がゼノスさんの前に立ち様子を窺がう。『死ぬことが決まっている討伐には行かない』と宣って、勇者パーティーに参加しなかった男を私達は冷ややかな目で見守った。

 黒魔法師筆頭は、慎重にゼノスさんのチョーカーを外すと、意外にも謙虚に額を床に付けて詫びた。


「これは隷属の黒魔法に間違いございません。このような危険な魔法の許可をわたくしは誰にも出してはおりませぬ。規則を犯した者をすぐに見つけだし処分いたします。実は、カロロス様に連日調べるように要請されておりました……しかし、勇者様にお会いできなかったのです……アナタシア王女殿下の許しが出ず……」

 

「おまえアナタシアに罪をなすりつけるなど、許さぬぞ」

 怒声を上げる国王を手で制しながら、王太子殿下がアナタシアに近づいた。


「アナタシア、そなたが勇者を脅し、さらに許しもなく黒魔法で隷属させたのか?」


 アナタシアは膝を付き、今だ意識を朦朧とさせて横たわるゼノスさんを膝に抱くと、ぽろぽろと涙をこぼした。疑いに顔を強張らせていた王太子殿下の表情が一瞬にして崩れた。


 幼い女の子がそこにいた。力なく肩を震わせて、この世の悪いことなど何も知らないような無垢な目が涙に濡れて、兄に助けを求めた。


「私……ずっと恐ろしくて……ゼノスと私は恋人同士だったのに……この魔王の子に誘惑されて狂わされてしまったの。私は聖女として魔王討伐に同行したかった……けれどゼノスの命を人質にとられたら何もできなかった……だから、私は祈ることしかできなかったの……祈りの聖なる力で彼を守ってきたのです」


 ゼノスさんが目を開いた。アナタシアに抱かれていることに気付くと驚きに声をあげて押し返し、後ずさった。カロロス様が、後ろから支えるようにゼノスさんを抱き止めた。


「お兄様、どうかこの魔王の子である女をお調べになって。邪悪な気でゼノスばかりかカロロスまで狂わせているの。お願い助けてください。ゼノスを私に返して!」


 王太子が私に恐ろしい目を向け、何かを言おうとしたとき、カロロス様が叫んだ。


「私を狂っているとお疑いならば、どんな調べも受けましょう。ですがどうか、ゼノス様の勇者の証を今すぐ解いてください。我が国を救った英雄の命が消えてしまいます。どうかお願いいたします!」


 ゼノスさんを近くで見守っていた宰相閣下も続いた。


「わたくしからもお願い申し上げます。勇者の証の解除を引き換えに従わせるなど、あってはなりませぬ。そのようなことが後世に伝われば、証を受けてくれる者などいなくなります。勇者がいなくなれば我が国は魔王に滅ぼされますぞ!」


 へたり込んで悲し気に泣く幼子のようなアナタシアに王太子は優しく声を掛けた。

「アナタシア、おまえの言葉を信じぬ訳ではない。だが勇者の証は今すぐ解除しなさい。勇者に甚大な負担を強いる魔法だと、掛けたそなたが1番分かっておろう? 恋人の命を案ずるならば、さあ聖女の力で解くのだ」


 アナタシアはイヤイヤと首を振り、泣きじゃくった。

「騙されているのです。お兄様、狂った者達の声を聞かないで。これはゼノスを守るためなのです」


「もしや、アナタシア殿下はできないのではないのか? ならば真の聖女であるとまずは証明してみせよ!」


 カロロス団長は立ち上がると己の剣を抜き、勢いよく自らの左腕を切った。

 貴族達の悲鳴が上がると同時に、真っ赤な血がドクドクと流れ出した。


「聖女様、どうか聖なる癒しのお力で治療してください」

 動脈が切れている、噴き上げるごとく血が失われていく。彼はすぐに蒼白になり周りの部下に体を支えられた。


 驚きに人々が騒然とする中で、王太子がアナタシアを強引に立たせる。早く治療せよと急かされて、嫌々と彼女はカロロス団長に手をかざす、けれど何も起きなかった。


「そこをどきなさいアナタシア!」

 私の厳しい声に、騎士の1人が彼女を下げてくれた。すぐにカロロス様の傷に手をかざす。


 ゼノスさんの悲し気な瞳が「そんなことをしたら、聖女だとばれてしまう」と言っている。


 いいのこれで……私はもう逃げないと決めたから。


 力を解放すると聖なる光がほとばしった。カロロス様の傷はみるみるふさがり、白い顔に生気がもどり、彼は力強く起き上がった。


 人々からわあと歓声が上がった。

「あの方こそ誠の聖女様だ!」

 皆がアナタシアに向ける目が一気に疑いへと変わった。


「騙されてはなりません! 私はこの者に力を奪われているのです。これが邪悪な魔王の子のなせる恐ろしい力、今すぐこの女を捕らえなさい!!」


 国王陛下の声がアナタシアを守るがごとくすぐに続いた。

「アナタシアの言う通りである。聖女の力は常に我が娘の物だった。おかしいではないか、突然聖女になれるはずがない、アナタシアから力を奪ったとしか思えぬ。この偽物を捕らえよ!」


「お待ちください陛下」

 王太子の冷静な声に、その場で動く者はいなかった。


「聖女の力を奪うことなどできませぬ。今目の前で聖女の力を持っていると証明したのは、こちらの癒し手だ。アナタシアはカロロスを救えなかった」


 アナタシアはなおも泣き叫び、立ち上がると片腕を高く掲げた。

「この腕輪で、私は聖なる力を盗まれています。ゼノスを人質にとられて誰にも打ち明けられませんでした。私の力はこの邪悪な女に……」


「力を盗んでいたのはアナタシアの方だ!!」

 ナッソスさんが外した腕輪を放り投げると、床に当たってカキンと金属の音がした。


「聞いてください皆様! この2年間、この国の人々を私は癒し続けて参りました。病弱な私は、人々を救う陰で血を吐くほど衰弱することさえありました。けれど聖女として生まれた私の務めであると、泣きながら尽くしてきたのです。こちらにいらっしゃる騎士の方々、お忘れですか? 戦いに傷ついたあなた方を救ったのはこの私です、病に苦しんでいた貴族の方々、私の聖なる光を見たでしょう? 私こそが聖女です。この偽物に騙されてはなりません」


 心に迫るアナタシアの声は、精霊のごとく清らかで美しい声だった。彼女に偽りの欠片も見えない、純粋な光で輝くエメラルドの瞳は神々しく美しかった。


「さあ、捕らえるのです。この魔王になる邪悪な女を!」

 すぐ目の前にいる騎士に、アナタシアは慈悲の微笑みを浮かべ命じた。



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