19.ソリティオ様がいるから
魔の森に入ってすぐ、俺は魔王討伐を諦めて王都に引き返す決意をした。
伝説時代のおとぎ話の勇者も、正式な歴史として実在する数々の勇者達も、魔王討伐を諦めて逃げ帰った者は、長い我が国の歴史において1人もいない。
この国に生まれた民は勇者の物語を聞いて育つ。勇者は強いだけでは無い、その高潔さこそが人々の憧れなのだ。勇者とは魔王討伐において、それが不可能であるならば、すべからく殉職するべきなのだ。
王都に逃げ帰れば勇者の名を汚した罪で極刑だろう。それでも、こんな見捨てられた俺のために来てくれた3人を救えるのならば、歴史の中で永遠に誹られる勇者になってもいい。
俺が処刑台に上がって首を落される自分を想像し、空を見上げていると、エビ味の虫を器用にさばきながらナッソスの気の抜けた声がした。
「ソリティオ様って魔獣探知機だよな~便利だぜ」
「たんちき?」
「そう、ソリティオ様が気分悪くなる方を避ければ、魔獣に会わないってこと」
「なら、魔獣を避けて進むことも可能なのか、ナッソス」
「楽勝だね、この天才ナッソス様が道案内の魔力で、最高の逃げ道を探してやる」
それはいい考えだなあと、頭の中の処刑台から俺は降りた。
もし、その戦略をとって魔獣を避け続けたら、戦わずに魔王城までいけるだろうか……
「相変わらずゼノスはぼーっとするよなあ。それからさあ、ソリティオ様のペンダントだけど、あれの聖なる力で中級クラスの魔物までは寄って来ることができない」
「え? 知らなかった。あのペンダントの力はそんなにすごいのか!!」
ナッソスが説明するには、食事用にエビ味の虫を採りたくてもちっとも見つからない。だから森の奥に入っていったら、もうウジャウジャと虫はいるわ、魔獣はいるわ、恐ろしい光景だったと。
魔の森に入っても、たいして魔獣も出てこないから意外に平和だねと呑気に話していたが、それはソリティオ様のペンダントの力が半径10メートルを聖なる結界で守っていると彼は気づいたのだ。
「あのペンダントは賢者の白魔法が込められた魔道具で……とんでもない魔力が入っている。見せてもらったけど……」
いつも明るいナッソスが、この時だけは切なそうに唇を噛んだ。
「あれを作った人はさ、たぶんソリティオ様を特別に想ってる……あのペンダントの中で命が燃えてる……作るために、残りの寿命の半分は使ってる」
ペンダントの製作者についてソリティオ様に話を聞くと「彼は私と紅茶を嗜む知り合いです。どうしてだか、年に数度私を訪ねてくるのですよ、暇なのでしょうね」とさらりと一言だけ。
ああこの世の非情さよ。俺とナッソスは、寿命を半分捧げて守りたい想い人から、知り合い認定で友人とさえ呼ばれない運命に心で涙した。
そんな悲劇の賢者様が守ってくれるペンダントのお陰で、小物の魔獣は寄り付かず、虫も出ず、野宿でも見張りを立てずに安全に眠ることができた。ナッソスいわく「ペンダントの力を上回る上級魔獣が近づけば、ソリティオ様がゲロを吐いて教えてくれるから、便利だな!」
俺は行けるところまで進んでみようと王都へ逃げ帰るのを先延ばしにした。
顔だけ勇者も悪くない、お陰で吟遊詩人が同行しなかった。勇者の行動をいちいち記録して、後に伝記をかき上げるのが仕事だが、そいつがいないんだ。無事帰れたらみんなが喜ぶ大活躍を適当に語ってやればいい。
ひとたび魔獣と戦わずに逃げることを決めると、戦いを全て避けることはできなかったが、それでも驚くほどにスイスイ魔の森を進むことができた。
自称天才のナッソスだが、事実彼の『道案内』の能力はずば抜けて高かった。
彼はソリティオ様の様子から魔獣の位置を割り出すと、逃げ道を探し出し、難しい時は隠れてやり過ごす、彼の選択には失敗がなかった。
だからゼノス勇者パーティーの唯一にして絶対の不文律ができあがった。
『ナッソスが「まかせとけ」と言ったら、それを信じて彼の背中についていく』
◇◇◇ ◇◇◇
魔の森ではナッソスについて行き、その他はソリティオ様の威光について行く。
なんか俺はただの護衛騎士みたいだな。勇者に選ばれてから、重責に緊張で胃がキリキリとして眠れなかったが、この頃は心が穏やかだ。顔が無駄に綺麗なせいで孤立しがちだった今までを思えば、楽しいとさえ不謹慎にも思えてきた。
気を引き締めねば……と思い始めた頃、俺の気持ちは上へ下へとぎゅんぎゅん振り回されるようになった。
「ソ……ソリティオ……様……ちょっとお話を聞いて頂けますか……実は」
ある日俺は良心の呵責に耐えきれず、罪を告白した。
「お、俺はココの水浴びを……覗いてしまいました! わざとじゃ無いのです。危険がないか守ろうと近くにいて、大きな水飛沫がするから振り返ったら、ココが石の上で無邪気に跳ねていて……それで、その目が離せなくなって」
「そうですか。故意でないのならよろしいのではないですか?」
「でもあの、脳裏から消えなくて……その、あまりに美しくて……だって驚いて、ブカブカのフードの下にあんな、綺麗な……あああぁ」
俺が罪にもだえても、彼は一切感情を表わさず、ただ冷静に「次は見ないように気をつけなさい」と一言で終わった。
それから数日、申し訳なさと不純な妄想を止められない情けなさで、ココの顔を見ることができなくなった。
「ココ殿が、ゼノスさんに嫌われてしまったと落ち込んでいます」
「そんな、俺の方が嫌われて当然の男なんです」
「そんなことはありません。ココ殿も私に罪の告白とやらをしてきますよ。野営の時に必ず隣に来て守ってくれるゼノスさんに、こっそり触っているそうですよ。あなたが寝ている時に、昨日は額を腕にくっつけてしまったと、安心するらしいですよ」
なんという可愛いさ。そんなのこっそりじゃなくて、いつでもしていいのに!!
今度寝たふりをして一晩中起きていようかな。
にやにやが止まらない。
俺はどうしてしまったんだろう、この頃頭の中はココのことばかりだ。それなのに、胸が騒いで、動揺していることを知られたくなくて、そっけなくしてしまう。どうしてココはあんなに可愛いのだろう。
ん?
んん?
「あのソリティオ様、罪の告白をした我々の話を、本人以外に話しているのですか?」
「だめでしたか? 私は神殿でそのような役を担ったことがないので、約束事は何も知らないのです」
あまりの言葉に体がガクガクしてきた、まさか……水浴びの件をこの人はココに……言った?
「あなたがココ殿の裸体を見て忘れられなくなったことはまだ話していませんが、これ以上お二人が気まずくなるのなら、私がココ殿に理由を教えて……」
「あー!!お喋りしてきます。ココと今すぐガンガン目を合わせて喋り続けてきます!」
小さい時に王位継承の争いごとを防ぐ大人の事情で神殿に入れられて、今まで精霊神だけに気持ちを向けてきた世間を知らない人。感情は全く顔にでず、何を考えているのやら、それなのに、俺とココは何かあるとソリティオ様に話を聞いてもらっていた。秘密は筒抜けになりそうで、絶妙なところで相手のことは教えてくれない。天然なのか計算なのか、頼りにならないようで、どしりと俺を支えてくれる大賢者様。ソリティオ様が来てくれたことは大きな幸運だった。