第38話 自業自得
「あった、これだ。じゃーん、人魚薬~」
今ここにある中で一番不味い薬、それがこれだ。
一目で飲みたくないと思わせるドロドロした深い藍色の液体。
私はそれを見せつける様に掲げた。
「何だそれ……」
どうやらルークはこの薬を知らないらしく、警戒した険しい顔で聞いてきた。
仕方ない、説明してやろう。
「知らんのか。名前の通り、飲むと人魚――まぁセイレーンみたいな姿になる」
セイレーンは海に生息する魔法生物だ。
上半身は人間に近く、下半身は魚の様で大きな尾鰭。その見た目から人魚だなんて言われている。
積極的に襲ってくる事は無いけど、決して油断出来ない敵だ。魔法を扱う故に、普通に強い。
あと海上で歌う様に鳴いているのをよく目撃されるけど、何してんのかは知らん。
「人間が水中で自由に活動出来る様になる、現状一番まともな方法なんだけど……あんまり使われないから知らなくても仕方ないかもな」
「え、そんな重要な物なのか……なんで使われないんだ?」
こんな薬を態々買う奴は少ないだろう。
私は無いより有った方がマシだと考えて持っているだけだ。
念の為に常備している船もあるけど、実際に使う事はまず無い。
「使い勝手が悪過ぎる。ただそれだけだね」
その理由はこの一言に尽きる。
まぁそれじゃあよく分からないだろうから、ちゃんと説明すると……
クソ不味い薬の中でも一際味が酷い。
しかし充分な量を飲まなければ効果は表れず、体調を崩すだけで終わる。
そして下半身を丸ごと変化させるのだから激痛を伴う。
しかも下手に藻掻いたり足を開いていると、左右に別れた鰭になってしまう。
そんな変化の過程故に、ズボンや靴や下着を履いていられない。
余計な物があるとちゃんと変化出来ないのだ。精々がスカートとか、布を巻くくらいになる。
吐き気を堪えて飲み切り、下を全て脱ぎ、脚を揃えて激痛をじっと耐える。
その最悪な時間は、個人の体質やその時の体調で大きく変わる。
それどころか効果時間さえも不安定だ。
数十分で効果が切れる事もあれば、用が終わったのに数時間もそのままなんて事もある。
ちなみに首に鰓が出来て呼吸が可能になる訳だけど、こっちも激痛だ。
勿論戻る時も激痛。こっちは藻掻いても構わないけど。
「何だそれ……」
長々とそれを聞いていたルークは、さっきと同じ表情で同じセリフを呟いた。
しかし意味は全く違うだろう。
本当に何なんだろうな、この使い勝手の悪さは。
「これが一番まともな手段だっていうんだから、海ってのは怖いもんだよ」
大抵の場合、問題が起きてから飲んだってもう遅い。
しかしこんな物を予め飲んでおくなんて無理だ。
というか、そんな予想が出来るなら回避するべきだし。
だからこそ人間にとって海と水棲生物は脅威になる。
そもそも変化した体を動かす事に慣れなきゃ戦闘どころじゃない。
「痛みは抑えられないのか? 麻酔薬とかは……駄目か」
「それやると数日間、とんでもなく体調を崩すらしいぞ。一応治癒魔法で痛みを和らげるくらいは出来るけど……それでも痛い」
痛みを消して体を動けなくさせる麻酔薬は便利だけど、それも同じ魔法薬。
基本的に魔法薬は併用してはいけないとされている。効果が混ざって何が起きるか分からないとかなんとか……
「他の方法ってのは?」
「単純に鰓が出来るだけの薬か、手足の先を水搔きの様に変化させる薬だな」
随分と勉強熱心な奴だな。
なんだかんだ真剣に疑問を解消しようとしてる。
なら一応これらも説明してやろうか。
この2つは使い勝手以前の問題だ。
「呼吸が出来たって素早く泳げなきゃ意味が無い。手が変化したら武器が持てない。だから使われない」
「なるほどねぇ……」
つまり実用に至らない程度の効果という訳だな。
使われなさ過ぎてその辺の店には無いだろう。
ルークは納得がいった様に頷いている。
ちゃんと学べた様で何よりだ。
じゃあ話を進めようか。
「さて、長々と説明してやったし……飲め」
「え」
人魚薬を突き出してやると硬直した。
薬について学んだんだ、次は体験しないとな。
「罰だと言っただろう。飲め」
「本気で言ってた……?」
「ああ。飲め」
突き出したままジリジリと詰め寄る。
別に全然本気で言ってないけど、そういう事にしておこう。
その方が面白そうだし。
「――っ」
「あっ」
するとルークは無言で逃げ出した。
凄いスムーズに立って走ったな。素早い。
まぁ逃がさないけどな。
「痛っ……おぉぁぁ、痺れっ……ぐへっ」
軽く雷を飛ばして転ばせる。
そして仰向けにさせて、ドカッと上に乗った。
軽いから苦しくは無いだろう。
さぁ、飲め。飲みたくないなら飲ませてやる。
「ほら口開けろ。あーん」
「んーっ!」
両手で口を押さえて頭をブンブン振っている。
滅茶苦茶必死だな、そんなに嫌か。
全く、これじゃ私が悪者じゃないか。
「んなもん、飲んで堪るかっ」
「わっ」
何が何でも飲ませたい訳じゃない。
だからほんのちょっとだけ止めてあげようかと悩んでいると、その隙にルークが全力で体を起こした。
上に乗っていた私は転ばない様に素早く退避。
そして空いている手で押さえようとしたけど、逆にその手を掴まれた。
「危ないな、零れるだろ」
「そりゃ悪かったな。絶対飲まないからさっさと蓋しろっ」
ルークは薬を持っている方の手も掴み、必死に抵抗を続ける。
そう言われても両手を掴まれてちゃなぁ。
力比べでもしようってか?
今は全然力入れてないけど、私に勝てるとでも――
「「あ」」
私が振り解こうと力を入れる直前、船が大きく揺れた。
しかも揺れの向きが良くなかった。
まぁつまり、必死なルークに私は押し倒された。
全く、男に押し倒されるなんて嫌な経験をしてしまった。
なんて冗談言ってる場合じゃない。
私の手には口の開いた薬が――
「もがっ!?」
素晴らしく奇跡的な角度で、私の口に瓶が突っ込まれた。
そしてとんでもない味のするドロドロの液体が流れ――ゴックン。
「おぇぇええっ……飲んじゃったじゃないかっ!?」
「自業自得だと思うけど、ごめん」
本当に最悪だ。なんで吐き出さなかったんだ私は。
そもそも、船が大きく揺れたからって押し倒されるなんて情けない。
ただふざけてただけで、力を入れてなかった。そんな今更な言い訳は無意味だ。
「うぇ……ぐっ、おえぇぇっ」
「めっちゃ不味そう……危なかった」
不味いとかいうレベルじゃない。劇物だこれは。
口にはもう残って無いのに、ずっと味がする。
今すぐにでも腹の中の物を全て吐き出したい。
「エルちゃん、部屋で吐かないでね」
「……分かってるよ。うぷっ……」
ずっと黙っていたアリーシャに、私が言った事をそのまま返された。
そうだよな。さっきああ言った手前、ここで吐くのは余計に情けない。
「呑気かよ。お前も心配しないんだな……」
「楽しそうで何より」
「ああ、うん。お前らが仲良い訳だわ」
見なくても分かる。アリーシャの奴、笑ってるな。
どんどん私に似てきた気がする。




