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世界の狭間で、貴女と永遠を。  作者: クレセント
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七章 神様

 彼女と会えなくなって、一週間がたった。あの蒸し暑かったころはとっくの昔の出来事になっていて、今はクーラーの風が寒いくらいだ。私は相変わらず、教室にいるときも弁当を食べるときも一人でいる。きっと、彼女も一人なのだろう。そう思うことで、少しだけ気が和らいだ。

 ある時、電話がかかってきた。その時はちょうど原稿を描いていて、その章のクライマックスに差し掛かっていた時だった。静かな部屋にけたたましく鳴り響いた電話の着信音。私は文字通り飛び上がって、慌ててスマホを机の上からひったくった。

 「は、はい。」

 「あら、佐々木さんですか。」

 三十代くらいだろうか、少し大人びている女性の声がスマホから聞こえた。聞いたことない声だが、でも聞き覚えがある。まあ、私の番号を知ってるくらいだから、知り合いなのだろう、と勝手に決めつけた。編集者の誰かかも。そして、私はその声の主を記憶の中から引っ張り出そうと努力をした。しかし、その必要はなかったようだ。

 「私、まおの母です。」

 まお。彼女の名前だ。私はその声が彼女に似ていることに、今更気が付いた。挨拶を社交辞令として交わしている間、私はなぜ電話がかかってきたのか、ひたすらに考えを巡らせていた。しかし、またその必要はなかったようだ。

 「まおのことでお話したいことがありまして、今から私たちの家に来てもらえる?」

 そう、彼女のお母さんはそう訊いてきた。しかし、その言葉はひとりでに歩き出しそうなほどの強い意志を持っており、私は半ば強制的に了承をせざるを得なくなった。私は頷いたが、電話越しに話していることに気が付いたので、上ずった声で返事をした。

 彼女の家に行ったことがなかったが、お母さんから伝えられた住所をスマホのマップアプリに登録をして、ぼさぼさ髪にしわよれたシャツと黒いズボンというパジャマそのままの格好で、家を出た。そのころには日が沈みかけており、街灯がちらほらと点灯していた。道の途中にある神社は、暗いせいでなんだか少しだけ気味が悪い。鳥居がくすんで見える。私は街灯に沿って、マップの指示通りに歩みを進める。

 驚くことに、彼女の家は、私の家から十分ほど歩いたところにあった。意外と近かったんだな。アパートのような小さなマンションの角部屋で、なぜか彼女の家があるそこの空間だけ、妙な空気を纏っていた。まるで職員室のような、近づいてはいけないような雰囲気があった。

 私はその空気に負けて帰ろうと思い、踵を返したその時、玄関の扉が開いて一人の女性が出てきた。身長は百七十センチ前後で、やせ細っていて、本当に、骨と皮しかないような人物だった。そのやつれた顔は若干彼女に似ていた。その女性は無理やり笑顔を作って、その奇妙な空間に私の腕をひぱって引きずり込んだ。ああ、私どうなるんだろ。


 「来てくれてありがとうね。」

 温かいお茶が私の前の小さな机の上に置かれた。私は床に置いてあった小さな座布団に腰かけて、辺りを見渡す。電気はついているのに心なしか暗く、狭いキッチン、小さなテレビ、お情け程度に敷かれたよれよれのカーペット、端っこに積まれた生乾きの洗濯物たち。見るからに、彼女の家は貧乏そのものだった。知らなかった、彼女の生活なんて。いつもニコニコ笑って、おいしそうにお弁当を食べていて、真剣に勉強をして、という姿の裏にはこんな現状があるなんて思わなかった。

 「さっそく本題なんだけど。」

 その骸骨のような女性は、口を開いた。その瞬間、この家の独特な緊張感が、糸を限界まで引っ張った時のように張り詰めた。私はごくっとつばを飲み込んだ。

 「まおはご存じのように肺がんです。もうステージ四に進んでいて、もう手術をしても手術台が飛ぶだけで、無駄な状況です。うちは貧乏だから、手術をして治るのであっても、手術の費用が払えないので手術はできなかったと思います。もちろん、手術をしないということはまおも了承しています。」

 ここまでスラスラと話し、その骸骨は息を吸った。手術、という単語が連呼されていたが、骸骨から発せられるその単語にはなんの重みも感じなかった。まるで、目に見えないカンペを読み上げるように、骸骨は淡々と話した。きっと、彼女のことを愛していないのだろう。そう読み取れた。

 「うちはまおの父がヘビースモーカーでね、まおが生まれる前からたくさんの副流煙を吸わせてしまったの。もちろん、生まれた後もそうよ。」

 なにがもちろんなんだろう。少しイラっとした。確かに、この家の白い壁紙は黄色く黄ばんだところが多くみられる。私はベランダを一瞥した。その小さなベランダで吸うという選択しはなかったのだろうか。

 「それでね、まおは今週で命が消えてしまうの。」

 その言葉を聞いた途端、私の心の三画目がするっと抜け落ちた。信じたくなかった。彼女が死ぬなんて。私は最後に見た彼女の顔を思い出した。悲しそうな顔、病気で白くなった肌。その顔は、この骸骨に顔が似ていた。

 私はティッシュのような自分の服をぎゅっと握りしめた。突然、涙が止まらくなった。涙は白いTシャツに染みをいくつも作っていく。骸骨は内臓だけでなく、心もないらしい。一つの涙も見せずに、私に何かを話し続けていた。しかし、その言葉の一つも私には届かなかった。

 私はここの空気、骸骨、生乾きの洗濯物のにおいのすべてが嫌になった。そして、私は人生で初めて逃げ出した。まるで、親にこっぴどく怒られた後の子供のように。靴を乱暴に履き、ドアを体当たりするようにこじ開けて、暗闇へと突き進んだ。家への帰り道を全速力で走り抜ける。私の火事場の馬鹿力で走る足が速すぎて、足が付いてこない。なにか後ろから叫ぶ声が聞こえたが、もつれる足と同様に無視をして進んだ。

 「うっ…。」

 ちょうど不気味な神社の前で、私は転んだ。転んだ時に胸を強く打ち付けたので、息ができない。かはっと肺に残った最後の息を吐き捨て、私はよろよろと立ち上がった。私は神社の鳥居に縋るように体を預けて、その鳥居の足元に腰を下ろした。すーはーと呼吸を整える。

 その時、何かの気配がした。ちょうど、神社の方で、私はこの気配の正体が神様だと、勝手に解釈をした。私は涙で潤んだ視界で、神様の方を見つめた。

 「ああ、神様。どうか、彼女を救ってください。」

 息ができなくて苦しくてろれつが回らない。転んだ痛みで両腕が震える。その両腕を前に組んで、乞うポーズをした。涙と汗が石の道にまだら模様を作っていく。神様の気配は、まだ消えなかった。私の方を見ているような気がした。きっと、蔑んでいるんだろう。

 「私が生きているよりも、あの子が…まおが生きている方がみんな幸せです。私より、彼女の方が生きる価値があります。まおを生かしてください。お願いします…お願い。」

 そこまで祈って、私は意識を失った。意識を失う前に、神様の気配はすでに消えていた。

読んでくれてありがとう。

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