二章 驚き
明けましておめでとうございます。
今日の運勢って、なぜか信じてしまいますよね。
今日も、寝坊した。
原稿のせいだ。原稿が迫ってくるせいだ。
徹夜で原稿を書こうと思ったのに、気が付いたら寝ていた。
そのせいで頬には机の跡が付いているし、眠いながら描いた原稿はぐちゃぐちゃだし。
今日は、占いは最下位のはずだ。絶対に。
いつも通り教室に入り、私にお似合いな隅っこの座席に座り、頬の後を隠すように頬杖をついた。
私は、昨日の女の子を無意識に探す。
いた。ばっちりいた。
安堵とともに、強烈な不安が私を襲った。
昨日のイラスト、あのグループの誰かに見られていたらどうしよう。
そう思うと、彼女から自然と目をそらしてしまった。
私はまたノートを取り出し、落書きするページを開いた。
そこには昨日、彼女が破いたノートの切れ端が残っていた。
その切れ端を、指でゆっくりなぞる。
丁寧に、無駄なく割かれている。
彼女の性格が出るな、と思った。
彼女はギャルのような見た目であるが、丁寧で平等で、優しい。
こんな陰キャにも話しかけてくれるんだもんね。
そう思って、私はノートの右ページの隅っこに、推しのイラストを描き始めた。
授業中にずっと落書きし続けていると、気が付けばお昼休みになっていた。
経緯はよく覚えていないけど、いつもとは違うところにいた。
そして、肩が触れ合うほど近くに、人がいた。
そう、彼女だ。昨日の。
彼女はピンク色の弁当箱に色とりどりの具が入った、おいしそうなお弁当を細い太ももの上に広げていた。
「食べないの?」
彼女は私の顔を覗き込み、そう訊いてきた。
その顔は、小さくて丸っこくて、小動物を思い出す顔であった。
私は慌ててお弁当を広げて、その中身の差に驚愕した。
昨日の残りのから揚げ、煮物、白米、コロッケ、卵焼き。うん、茶色。
突然、彼女の隣にいてはいけないような気がして、恥ずかしくなる。顔が熱い。
こんなブスで馬鹿でモテないような人間が、こんなかわいくて頭が良くてモッテモテの神様の隣に並んでもいいのだろうか。
いいわけがない、いいわけがない。どうしよう。
いただきます、という彼女が呟く声が聞こえて、ようやく正気に戻れた。
私は昨日のように箸を落とさないように気をつけながら、煮物をつまんだ。
私が黙々と食べ続けるから、彼女はきっといたたまれないだろう。
そうは思っても、話しかける勇気は私にないので、黙々と食べ続けるしかないのだ。
「ごめんね、急に呼び出して。」
彼女の少し高めな声が、私の耳の中で響いた。
安心するような、とても心地のいい声。一体どれだけの人を、その声で魅了してきたのだろう。
彼女の方を見ると、彼女は申し訳なさそうに眉を下げながら、薄い笑みを浮かべた。
煮物を食事中のゴリラのように必死に噛みながら、彼女の次の言葉を待つ。
そっか、私が話さないといけないのか、と思った矢先、彼女の口の方が早く動いた。
「仲良くなりたいなって思って。」
その時、私は夢の中にいるんだと思った。
だって、私みたいな最底辺の人間が、こんな最上級の人に仲良くなりたいなんて思われるわけがないと思ったから。
夢なら早く覚めてくれ、と思いながら、煮物を入るだけ口に詰め込む。
頬の内側を噛んだ。痛い。思わず声が出た。
彼女はクスリと笑い、
「昨日もらったイラストが、私の好きな漫画家さんに似ていたから。」
と言った。
彼女はスマホをササッと操作して、その画面を私に見せた。
私はぎくりとした。その画面には、私の漫画が映っていたからだ。
この子が、私の漫画を読んでいるなんて。とても衝撃だった。
喜びというより、不安の方が強かった。
「ほ、本当ですネ、ににに似てますね。はは。」
冷や汗をだらだらたらしながら、私はそう返事をした。
気づかれないといいな、それしか思えなかった。
ご飯の味は、あまり覚えていない。
授業中、彼女のことで頭がいっぱいだった。
彼女の見せてきた漫画は、私のデビュー作だった。
一年前にデビューして、そこから今までずっと描いてきている。
今描いているものでちょうど十巻目になる、私にとっては長編の作品だ。
彼女は「一巻から今出てる九巻まで、全部揃えてるんだ。特典もしっかりもらってるし。」と、とてもうれしそうに語った。目の前にいる作者に。
私は、昨日のほくろ事件と同様に、嫌な気がしなかった。
逆に、少しだけうれしかった。
ファンレターやメッセージはよく読むけれど、それより、比べ物にならないくらいうれしかった。
禿げ頭の先生が三角関数を一生懸命説明している。
その声は、私に一切届いていなかった。届くはずがない。
私は今、私の世界にどっぷり浸かっているから。
私の世界は、現実からかなり遠く離れていて、私しか入国することはできない。入ったら心地よくて、一生出たくないと思ってしまう。
しかし、その国はとてももろい。現実の言葉が聞こえた瞬間、その国は消えてしまう。次のパスポートが現れない限り、入ることはできない。
「はい、今日の宿題は教科書三十八ページの問いです。しっかりやってくること。」
その声が聞こえ、私は現実に戻された。現実に戻ると同時にチャイムの音が聞こえ、クラスが動き出した。
クラスメートの男子の肘に私のノートが当たり、そのまま連れていかれた。
ノートは床に大の字に広がって落ち、さっきの授業の落書きのページが開いた。
「何描いてんだよ、気持ちわりぃ。」
クラスの男子に乱暴にノートを拾い上げられ、パラパラとページをめくられた。
私は抵抗もできずに、されるがままになった。怖くて丸まった大きな背中が、なんかダサい。
泣きそうなほど恥ずかしくなっていると、目の前で組んでいた両手の指先に、スカートが当たった。
「ちょっと、やめてあげなよ。」
それは彼女だった。彼女は男の子からノートを奪うと、ページを閉じて私に渡してくれた。
ごめんねといい、彼女はその男子とともに廊下へ出ていった。また救われちゃった。
今日の占いは、最下位ではないだろうが、一位でもないだろう。
読んでくれてありがとう。
次話から場面が展開されますので、ご期待ください。
今年もよろしく。