紫陽花の花が咲く頃に
紫陽花の花が咲いたにも関わらず、僕はワイシャツの袖を捲らなかった。重たい灰色の空は、今にも雨が降りそうだ。6時間目も終わる頃、皆んな目をうつろうつろさせているなか、僕は窓の外をぼーっと見ていた。
「ねえねえ、何見てるの?」
隣の席の凛が囁く声で話しかけてきた。
「なにも。」
僕は目を合わせずに言った。
凛は中一の頃から同じクラスの女子だ。明るく、誰からも好かれる人柄って皆んなからは思われてるけど、僕はそうは思わない。本当は繊細でどこが寂しさを感じる。何となくそう思う。
「拓海くんってさ、いつも外見てるよね」
「そうかな?」
「そうだよ!いつも見てるじゃん。そんなに楽しいの?」
「別に」
「去年も同じクラスだったけど、未だに拓海君って何考えてるか分かんない」
本当は外を見るのなんか楽しくない。外を見てないと心が落ち着かないんだ。黙って先生の話を聞くというのが、自分にはどうしても出来ない。胸が詰まったように苦しくなる。
ホームルームの後、帰ろうとした僕に担任が迫って来た。いかにも体育系の分厚い体は少し威圧的だった。
「ちょっと鈴木君いいかな?」
「はい。」
「話がしたいんだけど、後で職員室まで来れる?」
「あ、分かりました。」
もちろん、嫌だと言える訳もなく、仕方なく放課後、職員室に向かった。
職員室にいる先生達は授業のときと全く違う。皆んな死んだ様な目をして、パソコンの前に座っている。僕は小さなため息をついた後、職員室のドアをノックした。
漂ったコーヒーの匂いの中から、やはり分厚い体の先生が来た。
「あ、鈴木君。ごめん、あともうちょっと待っててもらってもいい?」
「分かりました。」
職員室の前の廊下は、何とも言えない嫌な雰囲気があり、学校の中で一番嫌いな場所だ。それ故、職員室の前では、何をしても不正解な様に感じた。遠くからは友達同士でふざけ合う、いかにも中学生らしい声が、一人廊下に立つ僕の所に聞こえた。僕は黙って窓の外を見た。
視界の外から重たいドアが開く音が聞こえた。
「あ、鈴木君。待たせてごめんね!」
「全然大丈夫です。」
「ちょっと話がしたくてさ。早速だけど、あの、、鈴木君、二年生になってから学校休む事が増えたじゃん?何か理由とかあるの?」
「いや、別に何もないです。」
「そうなの?クラスの人が嫌とかじゃなくて?」
「いや、ほんと何もないです。」
「そっかそっか。特に理由とかはない感じかな?」
「そうですね。」
「そうか。なんかクラスの人が嫌とかなのかなって思ってたよ。それならよかった。学校は楽しい?」
「普通ですかね。」
「普通か〜。嫌いとかではない?」
「そうですね。」
「そうかそうか。まあ皆んな鈴木君に会いたがってるから学校来なよ。」
「はい。」
「うんうん。まあ無理はしないでね。なんかあったら先生話聞くから。」
「ありがとうございます。」
先生は満足した顔で職員室へ戻っていった。ドアが閉まると同時に、一つ小さなため息をこぼした。最初から、こんな事だと思っていた。こんな会話しても何も意味ない事もわかっていた。
少し疲れた僕は、鞄を取りに教室へ向かった。すっかり、生徒の影も見えなくなり、聞こえてくるのは、グラウンドからサッカーボールを蹴る音と廊下を歩く自分の足音だけだった。いかにも楽しそうな学校生活を送っているサッカー部を僕は直視できなかった。なにか負けた様な気がしそうで怖かった。
教室のドアを開ける前に気付いた。教室の中に誰かいる。凛だ。凛は教室の窓からひとりで外を眺めていた。ゆっくりドアを開けると、凛は振り替えり、僕と目が合った。