(二)
「そうですか……右兵衛がそのようなことを」
義利の言葉を伝えると、法衣の女性は目を閉じてわずかに肩を落とす。その様子から、図星であったことが窺えた。
家康の死をもって髪を下ろし、出家して相応院と号したお亀の方である。かの女性もまた義利とともに、駿府より名古屋へと居を移すことになった。その入れ違いに江戸へと向かうことを報告するため、氏勝は城下の高岳院にてお亀と対面していた。
高岳院は元は甲府城下に、仙千代の菩提を弔うために建てられた寺であったが、主計頭親吉によって清洲へと移され、その後名古屋へと移築されてきた。それでお亀もようやく、ここでわが子に手を合わせることもできるようになったというわけだ。
「されど、決してあの子と仙千代を比べていたりなどはしていないのですよ。ただあの子が立派になってゆくのを見るにつれ、ここに仙千代がいたらどうなっていたであろうと……考えずにはいられなかっただけです」
「無理もないことです」と、氏勝も頷く。もちろん、我らが主は実に堂々たる将となった。周りの者が望む以上の成長ぶりを見せていると言っていい。されどその小さな身体に、どれほどの重圧がかかっているかを想像するに、痛ましくさえ思えてしまうのだ。
もしも夭折した仙千代が存命であれば、義利ももう少し伸び伸びと生きられたのではないか。もちろん正信も兄として、また附家老としてよく支えている。頼将や頼房といった弟たちもいる。それでもかの者らでは、支えきれぬ部分もあるであろう。
もうひとりの兄である将軍秀忠とは二十以上も齢が離れており、情を通わせるような機会も持てなかった。それゆえ事実上長兄のような覚悟で、常に気を張ってきたはずである。それを思うとせめてひとり、義利にも頼れる存在があればと思わなくもなかった。
「されどそれも、考えても詮なきこと。右兵衛は十分、立派に育ってくれました。そのことを、心より喜ぶばかりにございます」
まことに、と氏勝も頷く。そして先ほどのお亀の言葉は聞かなかったことにして、墓場まで持ってゆくことにしようと決めた。
「もちろんそれも、そなたの尽力あってのことです。感謝しておりますよ、大和守」
「お方さまにそう言っていただけると、某も報われる思いにございます」
「それならもう少し、報われたような顔をしたらいかがでしょう……まあ、そなたらしいと言えばその通りですが」
そう言って、お亀はくすくすと笑った。さも可笑しげに、そして少しだけ寂しげに。
「某は……お方さまには信じていただけていないと思っておりますゆえ。表向きはともかく、心の奥底では」
何しろ、最初が最初である。面と向かって鬼とも呼ばれた。たとえそれから長いときが経ったといえども、決して忘れてはいまい。氏勝はそう思っていた。されどそれにも、お亀はさらりと笑って答える。
「私はそなたのことを、心から信じておりますよ……そなたの、あの子を思う心に嘘はないと。何度もそう申したではありませぬか。でなければ、大切な我が子を託したりはいたしませぬ」
「慥かはじめに、鬼の子に育てて欲しいとも仰せでしたが?」
「ああ……そのようなことも申しましたね」まるで今まで忘れていたかのように、お亀は小首を傾げた。「あれはあれで、本心でもあったのですが……ですがそのあと、そなたを見る目を改めました」
そのあとに、おのれは何かしたであろうか。氏勝はそう、記憶を遡ってみる。されど何も思い当たる節はなかった。
「まだ五郎太丸と名乗っていたあの子と、はじめて会った折のことを覚えていますか?」
「はっ、それはもちろんのこと」
「そう。目の前で転びそうになったあの子を抱きとめたとき……あの子が、おのれの袖をしっかりと握っているのを見たとき、そなたは笑いましたね。私がそなたの笑みを見たのは、後にも先にもそれきりでございます」
「笑っていた……某が?」
氏勝にはまったく覚えがなかった。驚きに思わず、目の前の尼御前をまじまじと見つめてしまう。
「はい、慥かに笑っておりました。それは穏やかに、また愛おしげに。笑って、そして泣いたのです。あの笑みを見て、私はそなたを信じようと思ったのですよ」
そうしてまだ言葉をなくしたままの氏勝に、「……では、達者で過ごされませ」と続けて、お亀は静かに首を垂れた。




