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尾張名古屋の夢をみる  作者: 神尾宥人
五. 摂津大坂の燃ゆる城
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(二十六)

 岡山口では大野勢の二度目の猛攻を耐え切って、前田勢がいよいよ城への侵攻に入ろうとしていた。その先鋒の中にあった小野伝右衛門は、手傷を負いながらも徒士(かち)らを鼓舞し、隊列を整えさせようとしていた。

「苦しいのはわかる……だがすべてはここからよ。城内への一番乗り、必ずや我らで果たして見せようぞ!」

 そう声を張り上げると、威勢の良い「おうっ」という気勢が上がる。兵の士気も依然として旺盛、まだまだやれると決意も新たになる。

 そのときふと、前方に広がる茶臼山ふもとの窪地に、単騎で駆ける騎馬武者の姿を見た。まるで見えない何かを中心として、大きく円を描くように。目を凝らすと、赤備の鎧に鹿角の兜を慥かめた。それは敵の攻め手の大将格と聞く、真田左衛門佐幸村のものだった。

 だとしても、あのようなところで何をしているのか。まさか味方を見捨てて、ひとり城へ逃げ帰ろうとしているのでもあるまい。ならばいったい……と訝ったところに、離れてもう一騎が見えた。

 やはり同じように、あるいは真田と対となる弧を描きながら、軽やかに窪地の隅を疾駆してゆく。まるで二騎が息を合わせて舞を舞っているようで、奇妙な光景につい目を奪われてしまう。

 しかしあのもう一騎はいったい何者か。馬印らしきものは何も見て取れない。槍は帯びておらず、得物は大弓がひと張りのみ。

 そのとき、伝右衛門の脳裏に遠い記憶が蘇った。闇に包まれた海原の彼方に、ずらりと並んだ無数の篝火。ゆっくりと近付いてくるただ一艘の小舟。その上で大弓を構えるひとりの武者。

「あれはまさか……山下どのではないのか?」

 

 

 その前田勢の左翼には細川三斎忠興(ただおき)の軍勢があり、大坂方の先鋒に当たっていた。ただし本隊は水軍を率いて大坂湾の封鎖にあたっており、ここにいたのはあくまでも嫡子・忠利(ただとし)を大将とする三千ばかりの分隊に過ぎない。それでもさすがは精強で知られる細川家の兵たちだけあって、小勢をもってしても前田勢の脇を良く守っていた。そしてほぼ初陣に等しい忠利を補佐すべく、脇大将として分隊の指揮を任されていたのは、忠興の信も厚い客将・藪内匠正照であった。

 その内匠も、今だけは窪地で繰り広げられている奇妙な舞に見入っていた。目はどこかここではないどこかを見るように細められ、すっかり白くなった髭で覆われた口元には、いかにも愉しげな笑みが浮かんでいる。

「まったく……(かぶ)きよるわ、半三郎め……」

 その口からは、誰に言うでもない言葉が零れ落ちる。隣に控えた嫡子の新九郎は、そんな父の姿を訝しげに見やった。

「あの御仁は……やはり」

 さきほどおのれが誰何した、山下大和守なる将。あの者がまことに味方なのか、あるいは間者なのかはついにわからぬままだった。はたしていったい何者であったのか。そう訝り続けていたところで、当のその者は今、よりにもよってあの真田左衛門佐と一騎打ちを演じている。

「父上は、あの御仁をご存知なのですか?」

 そう尋ねると、内匠はちらと新九郎へ目を向けて、どこか誇らしげに頷いた。

「存じているも何も……わしの、自慢の弟よ」

 

 

 大坂城の西門前にて明石掃部(かもん)全登(てるずみ)率いる守兵と交戦中の浅野但馬守長晟もまた、その一騎打ちを複雑な思いで見ていた。悔恨と、憧憬と、そして奇妙な得心とを抱えて。

 友だと言ってくれたかの男があそこにいるのは、きっとおのれの為でもあるのだろうとわかっていた。されどそれを、(すなお)に喜ぶことができない。何故あそこにいるのがおのれではないのだと、腹立たしくてどうしようもないのだ。そうだ、兵を率いて攻め上がることが全軍を乱してしまうというのなら、あのようにただ一騎で行けばよかったのだ。

「そういうことでござるな、山下どの……」

 さようなこと、おのれには考えることすらできなかった。思い付きさえしなかった。それが、おのれとあの御仁との違いなのだ。立場の差なのか、あるいは器の大きさなのか。

 そして長晟はまた、兄幸長のことを思い出してもいた。朝鮮での働きを聞かされて、いつかおのれもと憧れた幼き日のことを。今ここに兄がいればどうしていただろう。あの御仁のように、あるいは馬を並べて、その身ひとつで敵陣へと乗り込んで行っただろうか。

「……石見よ。我は、兄上にはなれぬな。山下どののようにも……」

 そうつぶやくと、傍らの木村石見守はくすりと笑って答えた。「殿は、殿でよろしいのでございますよ」

 長晟は驚いたように、腹心の顔を見返した。それからややあって、ほっとしたように強張っていた表情を和らげる。

「……そうか。それでよいのか」

 石見守はゆっくりと頷いた。そして目の前の戦場に再び向き直ると、供を連れて馬を進めていった。

 

 

 天王寺口の高台では、逃散しかけた兵たちも再び家康の元に集まり、辛うじて態勢が整いつつあった。眼下では成瀬隼人正の軍勢が、押されながらもまだ持ち堪えている。怒涛の勢いであった敵の先鋒もさすがに疲れが出たのか、その矛先が鈍ってきているようであった。

「隼人には、もう良いと伝えよ。応戦しつつ退き、こちらに合流せよとな」

 そう使番を走らせると、徒手の雑兵たちを前に並べた。投石によって成瀬隊の後退を助けるためである。とりあえず頭数さえ揃ったなら、地の利を生かせるこの場所のほうが守り易い。

「殿……あれは」

 しかし帯刀は何か別のものを見ているらしかった。もちろん家康も、その指差す先にあるものに気付いていた。齢とともにいくらは弱ったとはいえ、まだまだ遠目は利く。

 彼方の窪地にて、演じられている奇妙な一騎打ち。片方はおそらく真田左衛門佐その人であろう。そしてもうひとりについても、だいたいの見当は付いていた。

「……帯刀」されど家康は、険しい声で遮るのみだった。「目の前の戦に集中せよ。いまだ危地には違いないのだぞ」

「そ……そうでございました」

 と、帯刀はすぐに我に返る。そして後方に下がり、兵たちに指示を送りはじめる。その背をちらりと振り返り、家康は目を戦場へと戻した。そうして気付かれぬように目を上げ、依然円を描くように対峙している二騎を遠く望む。

(のう、今与一よ。おぬしもまた、未練があるのか)

 その問い掛けは、もちろん声には出さない。声に出してはいけないとわかっていた。

(生まれてくるのが遅すぎたと悔やんでおるか。この静謐を憎んでおるのか。されど、時はもう戻らぬよ。決して戻さぬ。恨むなら恨むがよい。すべては、徳川のためよ)

 その言葉ははたして、誰に向けてのものなのか。家康自身にもわからなくなっていた。おのれが野で拾い、我が子の傅役にあてがった男に向けてなのか。あるいはそれと対峙しているもうひとりに向けてなのか。

 あるいは、とそのまま天を仰ぐ。脳裏に浮かぶのは、今はもういない好敵手の太々しい面構えであった。その口から出る言葉は何ひとつ信ずるに値せず、戦ともなれば誰よりも狡猾にして強靭。おのれにとって乱世とは、まさしくあの男そのものであった。

(恨むなら恨め、安房守よ)

 そのとき、不意に「おおっ」というどよめきにも似た声が近付いてきた。目を戻すと、左翼のほうから波のように軍勢が押し出してくる。

「あれは……右兵衛か!」

 ひとたびは隊列を崩して後退していった、右兵衛督義利の軍勢であった。されどまるで息を吹き返したかのように、猛然と突進して来る。こうなれば数では圧倒的な差があった。勢いのままに敵先鋒の横腹を突き、そのまま呑み込んでゆく。

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