(二十三)
戦場の騒擾もいくらかは遠まった樹上で、藤七は掌に刺さったままであった暗器をゆっくりと引き抜いた。身の裡に、どうやら良くないものが巡りはじめているのもわかっていた。当然、何かしらの毒であろう。
かような戦場での仕物に使うのであるからして、鹿右衛門が得意にしていた、ひと月ふた月掛けてじわじわ死んでゆく類の毒ではないはずだ。おそらくもっと回りは早い。只人であれば、せいぜい四半刻と持たぬ代物であろう。これでも里にいた頃に、何度も泡を吹いて倒れながらも毒に慣らされているので、たいていのものなら耐えられる身にはなっている。だがあの鹿右衛門が、そんな半端なものを使うとも思えなかった。
はたして、あとどれくらい動けるものか。半刻か、あるいはもっと短いか。ともあれその間に片を付けなければならなかった。それが出来なければ、他の者にこの男が止められるとは思えない。
「まったく……割が合わないにも程がありますや、山下さま」
おそらくはもう会うこともない雇い主にそうぼやき、藤七は脇差を抜いた。そうして邪魔にしかならない大太刀は、さっさと抜いて下に放り捨てる。
「……やはりおぬしであったか、佐助。久しいの」
やがて声が聞こえた。遥か遠くから聞こえてくるのか、あるいは耳元で囁かれているのか。どちらとも取れそうで、位置も距離も測れない。
「今は藤七と名乗っておりますがね。それにこちらはそう久しくもありませんや。鹿右衛門さまのお姿は先だって、京でお見かけしております」
「なるほど。あれはやはりおぬしであったか」くすり、と笑う気配。「それとわしも、今は才蔵という名を戴いておる」
この稼業、名など何の意味もない。わかってはいても、互いに拘らずにはいられないようであった。まったく妙なものである。
「それにしても武田忍びだったおぬしが、今は徳川の飼い犬か。堕ちたものよの」
「飼い犬なんてほどのものでもありやせん。所詮は日銭稼ぎの流しでさ」
「……ほう」と、才蔵がようやく姿を現した。目の前の小枝に鳥の羽のごとく軽やかに舞い降り、そのままふわりと立つ。ほとんど重さがないように見えて、それでいてあたりの気が凍り付いたかのような重圧が伝わってきた。
まったく、何も変わっていなかった。藤七が若き頃に見知っていたままの、人ならぬ怪物だ。かような相手と本気で命の遣り取りをせねばならぬとは、つくづく割に合わない。
「その、たかが日銭稼ぎのために……わしとやり合うというのか」
「流しには信用ってもんが大事なんですよ。途中でお役目を投げ出せば、明日からはおまんまの食い逸れでございますゆえ」
「死んでしまえば、信用も糞もないであろうに……愚かなことよ」
ええ、愚かなものです。おのれでも、そのくらいはわかってまさ。されど。
「頼まれちまいましたから……ねっ!」
声に出すともなくそう続けて、藤七は脇差を手に跳んだ。相手はあらゆる暗器の扱いに長けていて、距離を取ったらまず歯が立たない。されどただひとつ、刀の業だけなら互角に持ち込めるはずだった。勝機を掴むなら、とにかく離れないことだ。
才蔵もそれをわかっているのか、即座に間を取るべく背後に跳び退さった。されど離されては堪るものか。至近距離から放たれる暗器を刀で弾きながら、藤七は必死で神業めいた動きに付いてゆく。




