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尾張名古屋の夢をみる  作者: 神尾宥人
五. 摂津大坂の燃ゆる城
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(二十二)

 渡辺忠右衛門守綱は、三河松平家譜代家臣の家に生まれ、その系譜は平安、嵯峨源氏の将・渡辺(つな)へと遡ると言われている。若くして家康へ仕え、永禄五年の三河八幡の合戦にて大いにその名を轟かせた。

 されど敬虔な一向宗の信者でもあり、一揆の際には本多弥八郎正信らとともに門徒衆へと身を投じ、家康に背いていた。のちに(ゆる)されて帰参したが、その恩義に報いるため、以後の生涯を徳川のために尽くしてきた。そしてほとんどの戦で先鋒を務め、満身創痍となりながら多くの武功を挙げ、ついには徳川十六将のひとりに数えられるまでになったという男であった。

 されどその守綱も、すでに齢七十四。これが最後の戦と覚悟していた。されどその戦で、まさかかような晴れ舞台を与えられようとは。老将は思わず感涙に咽びそうになるのを堪えながら馬上に跨り、ぐるりと兵たちを見渡した。

「前段より、退がりながら列を整えよ。そうだ!」

 年月とともに擦り切れたような、嗄れた声が響き渡る。戦場にあって六十余年、ただ命じられるままに身を粉にし、ひたすら突撃だけを繰り返してきた身である。計も策もろくに知りはしない。されど今この場にあって、さようなものは必要なかった。

「どうだ、おぬしら。口惜しいか。歯痒(はがゆ)いか。仲間を(なぶ)られ、旗を踏み躙られ、おぬしらはそれでいいのか?」

 周囲に集まった者たちからは、しわぶきひとつ上がらない。されど誰もが、このままでいいとは思っていないのはわかっていた。まるでぎりぎりと、奥歯を噛み締める音が聞こえてくるようだ。

 大丈夫、と守綱は確信した。いまだみな、心までは折れておらぬ。ただ身の裡に溜め込んだものを、どう吐き出せばよいのかわからぬだけだ。ならばそれを力に変えて、ひとつに束ねればよいだけだった。

「どうだ。尾張徳川家、こんなものだと見縊(みくび)られたままでいいのか。さような屈辱を抱えたまま、この先を生きてゆくつもりか?」

 真田の本隊が、いよいよ越前勢の壁を抜けて迫り来るのが見えていた。敵の先鋒はそれを待っているのだろう。ひとまず攻め手を緩め、息を整えているようであった。されどひとたび合流すれば、一気呵成に雪崩れ込んでくるはず。ただ待ち構えているだけでは、もはや圧に耐え切れなかろう。ならば、行くのみだ。

「ふざけるなっ!」

 守綱の一喝に、兵たちが一斉に俯けていた顔を上げた。ある者は決然と、またある者は恥辱に身を震わせながら。

「我らはこんなものではないぞ。かような有り様のまま終わりはせぬ。終わってなるものか。牢人ども、負け犬どもを、いつまでもいい気にさせておくものかっ!」

 そこではじめて、「……おう」と低いどよめきが上がった。守綱はいったん言葉を切ると、背後に控えた義利を振り返る。

「では殿、ひと言お願いいたします」

「……何を言えば良い?」

「何でも宜しゅうございます。殿の、ありのままの言葉をお聞かせくだされ」

 義利は一瞬迷いを見せたものの、やがてひとつ頷いて、息を大きく吸い込んだ。

「……皆の者ぉっ!」わずかに声が裏返った。されど、気にせずに続ける。「か弱き我に、力を貸してくれっ!」

 次の瞬間、一斉に雄叫びが上がった。それは地を震わすほどに激しく、まるであたりが突然燃え上がったかと思えるほどであった。

「良いかっ!」と、守綱が負けじと吼える。「我らが殿に、指一本触れさせるでないぞっ!」

 おう、と再び地を突き上げる怒声。守綱は槍を振り上げ、馬の腹を力強く蹴った。

「続けぇっ!」

 その声とともに、一万五千の兵が一斉に動き出した。そしてまさに山津波のごとく、勢いを増しながら斜面を雪崩れ落ちてゆく。義利もそのあとに続かんと、強く手綱を引いて馬首を返した。

「止めるなよ、小伝次。案ずるでない、みなが我を守ってくれよう」

 正信も苦笑して、小さく頷いた。「わかり申した。では、ともに参りましょうぞ」

 そうして駆け出そうとするふたりの背後に、ひとりの雑兵が音もなく近付いてゆく。するすると滑るように。そして手の中に隠した暗器を、馬に跨った義利の脚へと突き出した。

 されどその切っ先は、わずかに覗いた具足の隙間を貫く直前で遮られた。貫いたのは、脇から突然差し出されてきた掌のみであった。そしてどこからともなく現れた、やはり陣笠姿の雑兵が、掌を貫いた暗器を離さぬように固く握り込んだ。

「そうはさせませぬよ、鹿右衛門さま。何しろ、頼まれてしまいましたからね……」

 正体がすでに露見していたことを悟った雑兵は、相手の手の中に暗器を残したまま、その場から離脱すべく地を蹴って飛び去った。そしてもうひとりもまた、瞬きひとつほどの間にその場から姿を消していた。

 当の義利は、おのれの背後で何が起こっていたのかに気付きもしなかった。いや義利のみならず、そこで起こった小さな出来事に目を止めた者など、誰ひとりいなかったのである。

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