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尾張名古屋の夢をみる  作者: 神尾宥人
五. 摂津大坂の燃ゆる城
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(十八)

 和歌山よりひたすら駆けてきただけに、誰もがとうに疲れ切っているはずだ。それでもなお兵たちの士気は高く、馬でさえそれに伝染したかのごとく、力強く斜面を駆け下りてゆく。敵の背はまだ遠く、濛々と立ち籠める土煙の向こうに霞んでいた。されど必ず届く。そう信じて、長晟は叫び続ける。

「左衛門佐が首、必ずや我らが挙げるのじゃ。進めぇっ!」

 どよめきのような「おう!」という声がそれに応える。茶臼山近辺に残っていた大坂方の兵が散発的な抵抗を見せてきたが、それも物の数ではなかった。先鋒の石見守が攻めかかれば鎧袖一触、瞬く間に散り散りとなって逃げて行く。やはり敵は真田ただひとり。他はまるで統制の取れていない烏合の衆であった。

 これなら行ける。そう確信してなおも進む。そうしてついに、越前勢と交戦中の真田勢の姿をその目が捉えた。されどそのとき、不意に兵たちの足が鈍るのがわかった。

「どうした、何ゆえ止まる!」

「いえ、木村さまが……」

 どうやら先頭で何かがあったらしい。されど声も、また槍を合わせる音も聞こえない。ならば伏兵に遭ったわけでもなさそうだった。

 長晟は苛立ちを覚えながらも、数名の供を連れて石見守のもとへ走った。そして困惑したように立ち尽くしているかの者の傍へ馬を寄せると、「どうしたというのだ!」と怒鳴りつける。

「殿、あれは……」

 と、石見守が前方を指さした。するとその先に、土煙を割って疾駆してくる騎馬が見えた。後続はなく、ただの一騎のみである。ただしその面差しには、慥かに覚えがあった。

「あれは……山下どのではありませぬか。いったい何ゆえ……?」

 遠目の利く石見守が、まだ戸惑ったように言った。目を凝らすとやはり間違いはない。先に名古屋で語り合ったあの御仁であった。されど槍は帯びていないようで、背に大きな弓をひと張り負ったのみである。

「我にもわからぬ……さて」

 そうこうするうちにも、単騎の鎧武者はすぐに目の前まで駆け寄ってきて止まった。おそらくはずいぶんな距離を駆けてきたはずだが、馬も息の上がった様子はない。なかなかの駿馬であるようだ。

「どうにか間に合い申した。但馬守さま、お久しゅう……はございませぬな」

 その声も、やはり右兵衛督義利の傅役、山下大和守氏勝のものだった。やはりここまで全速で馬を駆ってきたとは思えぬ、いつも無表情なこの男らしい淡々とした口調である。

「山下どの……そなたの陣はずっと向こうであろう。かようなところまで、いったい何をしに来られた?」

 氏勝は馬を降りると、負っていた弓を傍らに置き、その場に跪いた。そうしてわずかに目礼し、変わらぬ声音で言った。

「但馬守さまの御存念を慥かめさせていただくためにございます」

「存念、とな。何のことやらわからぬが……」

「ただ今徳川の陣中では、但馬守さま逆心との報が飛び交っておりまする」

 その言葉に、長晟は「……何と」と言ったきり絶句した。その隣では、木村石見守が血の気の引いた顔で「あり得ぬ!」と叫んでいる。

「我らがさようなことを……今寝返るくらいなら、はじめから大坂方に付いておるわ。殿がいったいどのような思いで、右府さまを敵に回すことを決意したと思われるか!」

 氏勝は即座に頷いて、「わかっております」と答える。「これすべて、真田の計略に間違いなく。されど惑う者も多く、その混乱を突かれる形で大坂方に押されておりまする」

「おのれ真田……どこまで我らを愚弄すれば気が済むかっ……」

 長晟はようやく、喉の奥から絞り出すような声でそう吐き捨てた。堪えがたき憎悪と怨嗟が色濃く滲んだ、灼けるような声であった。

「それで山下どのは、我らにどうせよと申されるのだ?」

「ひとまずは兵を退かれて、大和口を固めるか、城の西をお攻めいただきたく存じます」

「我らに……下がっていろと申されるか。さような濡れ衣を晴らすためにも、我らは真田を討たねばならぬであろうに!」

「されどこのまま進まれましては、越前勢と同士討ちになる恐れがございます。さすればますます、真田の思う壺」

 長晟は歯を軋むほどに噛み締めて、じっと目の前の男を見つめていた。それからようやく、「……できぬ」とつぶやく。

「それはできぬ。真田は……真田だけは、我がこの手で討たねばならぬのだ」

 氏勝はついと目を上げて、声の主を見上げた。

「何ゆえに……やはり、紀伊守さまを(あや)めたのが真田だからでございますか?」

 その問いには答えなかった。答えないことが、その推察を肯定していた。氏勝ははじめて端正な顔を歪め、痛みを堪えるかのように眉根をきつく寄せた。

「どのようにしてそれを掴まれたのか……はお訊きしませぬ」

 それぞれの家が、どこへどれほどの間者を忍ばせているか。それは謀の根幹であって、どの家にとっても秘中の秘であった。同じ徳川方にあっても、ここで明かすことはできない。氏勝もそのことは理解しているようだった。

「されどそれを掴ませることもまた、真田の計略のうちであったとは考えられませぬか?」

 長晟が「……ぐっ」と低く唸るような声を漏らした。この状況を見れば、それもまた考えられぬことではなかったからだ。

「あの者の狙いは、この地に阿鼻叫喚の地獄絵図を描くことにございます。誰もが獣心を剥き出しにし、敵味方問わず食らい合う……その上で大御所さまを討ち、再び世を戦乱へと引き戻さんとしておるのです。そのためには右府さまがどうなろうと、他の方々がどうなろうと、知ったことなどないのでしょう。もちろん但馬守さまや我々のことなども」

 されど、そうはさせるものか。そう小声で続けて、氏勝は肩越しに戦場を振り返った。なおも立ち籠める土煙のせいで、戦況がどうなっているのかはよく見て取れない。されど依然として激しく両軍がぶつかり、互いに命を削り合っているのだけはわかっていた。

「それでも……」長晟は、なおも食い下がる。「それでも、我は行かねばならぬのだ」

「行かせはしませぬ」

 氏勝も、負けじと繰り返す。静かであったが、固い決意の籠もった決然とした声であった。

「行ってしまえば、勝っても負けても浅野はただでは済みませぬ。たとえ濡れ衣は晴れても、お味方を混乱させた責は負わねばなりますまい。お家のお取り潰しもあり得まする。さようなことになれば、紀伊守さまに面目が立ちませぬ」

「兄上に……だと?」

「はい。かような某に、恐れ多くも友として接してくださった紀伊守さまのためにも、ここをお通しするわけには参りませぬ」

 その言葉に、長晟はくしゃりと顔を歪ませた。まるで小さな童が、零れ落ちそうな涙を堪えるかのように。

「我のことは、友と思うてくださらぬのか……山下どの」

 険しかった氏勝の顔も、ようやく少しだけ緩む。そうして小さく息をひとつつき、また静かに目を伏せた。

「思うておるからこそにございまする。どうか、堪えてくださいませ」

 長晟はその巨躯を震わせて、おう、と呻いた。おう、おう、おう、と。それはしゃくり上げる嗚咽にも似て、もはや言葉にもならないようであった。

「……殿」

 石見守はおのが主と氏勝とを比べ見て、やがて自身も言葉を失った。されど氏勝へと向けられたその目は、恨みがましいようであって、同時にどこか感謝が籠もっているようにも見えた。

 ややあって、長晟は何も言わずに背を向けた。そうして地を揺らすように足を踏み鳴らし、自陣へと戻ってゆく。その背を、馬を連れた兵が慌てて追っていった。氏勝は跪いたまま頭を垂れ、じっとそのうしろ姿を見送った。

 

 

 長晟の大きな背中が兵たちの間に隠れると、氏勝は静かに立ち上がった。そしていまだなお土煙の立ち籠める戦場を振り返る。

 目的はどうやら達せられたらしい。ならば一刻も早く、おのが主の元に戻らねばならなかった。されど何であろう、胸の裡に燻っているものがある。我のことは友と思うてくれぬのか。そう言って、童のようにくしゃくしゃにした顔。おそらくは目に焼き付いて,いつまでも消えることはないであろうと思った。

 友にあのような顔をさせてしまっては、ただで帰れまいの。氏勝はそう、声には出さずに独り()ちた。そして傍らの弓を拾い上げて背に負うと、『白髭』なる名の黒鹿毛の首をそっと撫でた。どうやらもうひと走り、付き合ってもらわねばならぬ駿馬の首を。

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