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尾張名古屋の夢をみる  作者: 神尾宥人
五. 摂津大坂の燃ゆる城
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(十五)

「浅野但馬守、逆心じゃ!」

「浅野が我らに攻めかかってきよるぞ!」

 その動揺は、鶴翼左に構えた右兵衛督義利の陣にも広がっていた。あちこちで兵たちが不安と、怒りと、困惑とに声を上げている。その中で馬上の義利は、きつく手綱を握り締めながら「……あり得ぬ」とつぶやいた。

「あの但馬守どのが……あり得ぬわ」

 その隣では、正信もまた動揺を露わにあたりを見回している。何かを言わなければならないことはわかっているが、何を言えばいいのかわからないといった様子だ。

 おのれの持ち場に戻ろうとしていた氏勝は、思い立って馬首を返し、義利の隣に並びかけた。そうして淡々とした声で言う。

「その通り。あり得ませぬな」

 その言葉に、義利は少しほっとしたように顔を上げた。そして縋るような目で氏勝を見つめ、続く言葉を待つ。

「見ようによっては弟君である采女正さまの敗走を目の当たりにして、堪らず真田の背後を突こうとしているとも受け取れまする。慥かに大御所さまの下知とは違いましょうが、戦は生き物。咄嗟にそうした判断をされることもあるでしょう」

「そ……そうよの。そうに決まっておる」

 されど氏勝は、険しい表情を崩すことなく続けた。

「ただ、これは良くありませぬな。越前さまの勢に明らかな乱れが見えます。おそらく我らと同じように、但馬守さま逆心との声が兵の間に広まっておるのでございましょう。このまま浅野勢が近付けば、同士討ちの恐れもあります」

 背後ではまた、「浅野じゃ、浅野が攻めて来よる!」と叫ぶ声が聞こえた。もしもまことにそうであったとしても、動揺の広がるのが早過ぎる。どうやら兵の間に、意図的にそう扇動しようとしている者が紛れ込んでいるようだ。おそらくは大坂方の間者であろう。

 つまりはこの状況も、すべて計算ずくということだった。敵のはずの但馬守長晟の軍勢をも操り、まるで味方に付けてしまったかのようだ。このままではすべてその手の中で、徳川の軍勢同士が相()む地獄絵図が繰り広げられよう。これが真田安房守直伝、左衛門佐幸村の軍略。げに恐ろしきと言わざるを得ない。

「では叔父上、どうしたらよいのでありましょうか」

 そう正信が尋ねてくる。氏勝はしばしの思案ののち、意を決したように深く息をついた。そうして馬上にて小さく頭を下げ、言った。

「殿……某を但馬守さまのところへ、伝令として遣わしてはいただけませぬか」

「伝令だと?」義利はまた困惑したように、形のよい眉をひそめた。「いったい何をする気じゃ、大和」

「むろん、但馬守さまをお止めするのでございます。当初の下知の通り大和口を固めるか、あるいは城へと攻め寄せるようにと」

「……まさか」と、正信はまたわなわなと目を見開く。「この戦場の中を突っ切るおつもりですか?」

「もちろん茶臼山を迂回して、お味方の陣を抜けて行きまするよ。間に合うかどうかは際どいところでございましょうが」

 おそらく岡山口の前田家の陣を抜けてゆくのが、もっとも近道となろう。それでも乱戦の中を突っ切るのに比べれば遠回りとなり、浅野勢が越前勢にぶつかる前に追い付けるかは難しいところだ。ただし茶臼山にもいくらかは残兵がいるはずなので、浅野もそこでいくらかは足止めをされるはず。

「であれば、御使番の誰かを遣わしましょう。何も叔父上がみずから向かわずとも……」

 なおも反駁する正信に、氏勝はゆっくりと首を振る。その脳裏に浮かんでいるのは、先日会ったときの長晟の様子であった。きつく、掌から血が滲むほどに握り締められた拳。今まさに鬼神のごとく突進してくる浅野勢には、あのときの長晟の姿が重なって見えるのだ。

「おそらく今の但馬守さまには、生半(なまなか)の者の言葉では届かぬ気がするのです。されど某の言葉であれば、きっと耳をお貸しいただけるはず」

 義利はじっと無言のまま、氏勝の真意を窺うようにその顔を見つめていた。されどやがて、何かを得心したように小さく頷いた。

「わかった。行け、大和」

 そう言って、やにわに馬を降りた。そうして手綱を引くと、ぐいとその首を氏勝に向ける。

「父上からいただいた駿馬、『白髭(しらひげ)』じゃ。使うがよい」

「勿体なき限りにございます。では、お言葉に甘えて」

 義利はそこではじめて、にっこりと笑みを見せた。誰もが、その眩しさに陶然とするような屈託のない笑みを。

「必ず返すのだぞ」

 だから氏勝も、堪らず目を伏せて「……はっ!」と答えるしかできなかった。そうして馬を乗り換えると、槍と腰の大小を正信に預ける。急ぐのであれば、少しでも荷を軽くした方がいい。

「某の一番組は、ひとまず竹腰どのにお任せいたす。室賀半之丞(むろがはんのじょう)なる者、なかなか目端が利きまする。脇に控えさせるとよろしいかと」

「あいわかりました。ところで叔父上、この槍は要らぬのでございますか?」

「どうせ不得手ですからな。某には、これがあれば十分」

 氏勝はそう言って、背に負った黄櫨(はしばみ)の大弓を指し示す。思えば、故郷を離れてからの日々は常にこの弓とともにあった。生まれ育った飛騨の地を偲ぶものは、今となってはこのひと張りだけである。

 馬首を返して走り出すと、傍らを陣笠姿の雑兵がひとり駆け並んできた。そうして息を切らすこともなく語りかけてくる。

「大事なお役目、ご一緒したほうがよろしいですかね?」

 藤七であった。氏勝は頼もしさを覚えながらも、「……よい」と答える。

「こちらは心配無用よ。それよりも殿を頼む。お護り差し上げてくれ」

 籐七は陣笠の下からちらりと目を覗かせて、どこか訝しげに尋ねてくる。

「頼む、でございますか?」

「そうだ、頼む」

 すると小柄な忍びは何が可笑しかったのかひひっと笑い、足を止めた。それを確かめると、氏勝は馬の腹を蹴って一気に加速させる。

 

 

 遠ざかって行く雇い主の背中を見送ると、籐七は陣笠を深く被り直し、困ったように唇を歪めた。

「頼む、でございますか……簡単に言ってくれるもんでさぁ」

 そうして背後を振り返り、義利の陣容を眺め渡す。浅野の裏切りの噂にも動揺はさして見られず、隊列に乱れはない。よく鍛えられたものだ。

 ならば敵は、次に何を仕掛けてくるか。おそらく氏勝も、それを案じていたのであろう。だからこのおのれを陣に残した。されどそれがどういうことかまでは、考えが回らなかったのかもしれない。

「やれやれ……逃げそびれてしまいました」

 籐七はため息とともにつぶやいた。その声も、すぐに戦場の風に散って消えてゆく。

「まあ、頼まれちまったものは仕方ありませんやね」

 そうして手にしていた粗末な槍を握りしめた。とはいえこんな槍はあくまでも、雑兵を演じるための小道具でしかない。これから相対することになる男には、こんなものはものの役にも立ちはしないのだ。

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