(十四)
茶臼山の頂に翻っていた六文銭の旗が、さざめくように動きはじめた。それとともにどっ、どっ、という低い音が、地を震わすように伝わってくる。松平越前宰相忠直はそれによって、ついに真田の本隊が進軍をはじめたと悟った。
「……ようやく動くか、左衛門佐め」
忠直は怖じることなく、馬上にてほくそ笑んだ。むしろこのときを待っていたのだ。先の冬の陣で前田勢、井伊勢を壊滅させた真田左衛門佐。それを討ち取りさえすれば、この戦の一番手柄は間違いない。さすれば徳川に越前松平家ありと、世に高らかに知らしめることができよう。猛将と謳われ、将軍秀忠をはるかに上回る将器に恵まれながらも、ついに徳川を名乗ることすら許されなかった父・秀康の無念も、少しは晴れるのではないか。
「者ども、あれが真田よ!」軍配を翻し、忠直は吼えた。「迎え討て。首級を上げよ。さすれば我らが一番手柄じゃ!」
おお、という気勢がこれに応えてきた。兵たちにも怯む様子はまったくない。すでに敵先鋒の毛利勢も押し返しつつある。そこへ真田勢が加わったところで、数はまだこちらのほうが多い。
されどそのとき茶臼山の向こう、やはり小高い丘の上に、一団の軍勢が現れた。遠目にはまだ旗印まで見ては取れないが、紀州路を北上してきた浅野勢で間違いなかろう。樫井で大野修理の一隊を撃退したのちは一揆の鎮圧に当たっていたが、その後軍勢を整えて大坂へ向かっていることは知らせが入っていた。
だがその様子がおかしい。事前の軍議では、浅野は大和口に陣を敷いた上総介忠輝(家康の六男)の軍勢と合力して、西から城に圧力を掛けることになっていたはずである。されど現れた一団は陣を整えることもなく、そのままこちらに向けて駆け下りてくる。それはまるで、真田勢のあとに続くかのようで。
「浅野但馬守、逆心!」
どこかから声が上がった。それとともに先ほどまでの気勢が、戸惑いのどよめきに変わってゆく。
「浅野が攻めて来よる。裏切りじゃ!」
「おのれ表裏者め。返り討ちにしてくれるわ!」
「阿呆、とても持たぬわ……退くのじゃ、退け!」
兵たちは口々に、そしててんでに怒鳴り合っている。槍を振り上げて吼える者がいるかと思えば、早くも我先にと逃げ出す者もいる。その混乱が伝わったか、毛利勢に当たっている前線も押し返されはじめていた。
「静まれ……者ども、静まれい!」
忠直は混乱を収めようと、負けじと声を張り上げた。されどその目はどうしても、目の前に迫った真田勢ではなく、その向こうに近付いてくる集団へと向いてしまう。あれは慥かに浅野であるのか。何ゆえこちらに向かってくる。まさかまことに豊臣に同心し、我らに牙を剥こうというのか。聞くところによれば浅野但馬守は、筒井の残党や周辺の国衆を糾合し、二万にも及ぶ軍勢を整えたとのこと。
「静まるのじゃ。隊列を崩すな、持ち場に戻れっ!」
もはやどれほど叫ぼうと、混乱は広がるばかりであった。そこへついに、真田の先駆けがぶつかってきた。それは鋭く尖った錐のように、いまだ混乱から醒めぬ隊列に突き刺さり、食い破り、深く押し入ってくる。




