(十三)
戦の火蓋が切られてわずか半刻足らず。そのわずかな間に、徳川の最前線はすでに崩壊したも同然であった。左衛門佐幸村は茶臼山の頂にて、長く伸びた髭を撫でながら、そのさまを満足げに眺め見ていた。
「ここまではまず、上々でございますな」
傍らに控える海野六郎兵衛も、薄く笑みを浮かべながら言う。とはいえまだこれは序の口に過ぎなかった。
「されどこの先はそうもいかぬであろう。見よ」
幸村が軍扇を振り上げ、戦場の一角を指した。やはり徳川の先鋒の秋田城介の軍勢を蹴散らした毛利勢も、さすがにその勢いが鈍りつつあった。次に相対しているのは、越前宰相忠直の軍勢である。猛将と謳われた結城越前守秀康を父に持つだけあって、兵たちもよく鍛え上げられていた。これを単独で抜くのはなかなか骨が折れよう。
「なるほど……どうなされますか、殿。我らもそろそろ?」
「まあ、待て。頃合いを見るのも大事よ」
朋輩たちの苦境すら愉しむように、幸村は悠然と笑みを浮かべた。そのとき、馬に寄り添うように影が浮かび上がる。
「来たか、才蔵?」
「……はっ」と、影が短く答えた。「浅野但馬守、紀州路を北上してまいります。あと半刻もすれば現れることにございましょう」
幸村はいかにも満悦といった様子で「良し」と頷いた。そしてそこだけ生気で満ち満ちた両目をぎょろりと六郎兵衛へ向ける。
「では六郎、行くがよい。戦を知らぬ若造どもに、何たるかを教えてやれ」
六郎兵衛は「はっ」と答えて手綱を引いた。そうして背後に控える兵たちに、無言で手振りだけの下知を送る。
「して、我はいかがいたしましょう」と、影が尋ねてくる。「越前の小僧……おらねば、大分楽になりましょうや?」
「いや、それには及ばぬ。越前勢は、ほどなくして崩れよう」幸村はそうこともなげに言い、再び軍扇でその先を指し示す。「問題はそのあとよ……本陣を突くまでに、もうひとつ気になる軍勢がおる」
「と、申されますと……鶴翼の左、徳川右兵衛督?」
「さよう。童と聞いておったが、なかなかに統制が取れておる」
「……そうでしょうか」と、珍しく影が異を唱えた。「いささか、整い過ぎているようにも見受けられまするが」
「今は、の。まだ眠っておるようじゃ。されどああいった勢ほど、ひとたび目を覚ませば厄介なものよ。出来得るなら、そのまま眠らせておきたいの」
下知はそれで十分だったようだ。才蔵と呼ばれた影は「御意」と答えると、現れたときと同様、風に散らされるようにかき消えていた。




