(四)
家康が軍を率いて駿府を発したのは、十月十一日のことであった。やがて将軍秀忠率いる六万の軍勢も江戸を出立し、呼応して伊達・上杉・前田といった諸将もそれぞれの所領をあとにする。その総数はおよそ二十万にも及んだという。
家康の本隊には義利と頼将も随伴しており、名古屋を発った尾張の軍勢もこれに合流した。氏勝率いる一番組を先頭に、二番組津金庄七、三番組市辺虎之助、四番組遠山掃部、五番組成瀬内匠がそれぞれ続く。そして竹腰山城守・渡辺忠右衛門が指揮する馬廻・御弓衆・鉄砲衆を加えて、総勢一万五千という構成であった。
義利にとっては、これがまことの初陣である。されどまた弟の前で無様は晒せないと思っているのか、毅然として落ち着いていた。無理をしているわけでもなさそうだ。ただし心ここにあらずといった風情で、何か物思いに耽っているようでもあった。
「何をお考えになられているのですか?」
氏勝は義利の馬に並びかけ、尋ねた。義利ははっと我に返ったように顔を上げる。それでも馬だけは巧みに操っているのだから、ずいぶんと慣れたものであった。
「いや……何でもない。ただかような仕儀と相成って、紀伊守どのはご無念であろうなと考えていたのだ」
どうやらやがては父とも仰ぐことになるはずだった将のことを思い出して、憂鬱になっていたようだった。それも無理なきことかと、氏勝も胸が痛む。
「あの方が生きておられたら、この戦は避けられたであろうか?」
「さて……それはわかりませぬ。もしかしたら、それでも避けようのないことであったのかも」
避けようのないこと、か。義利はまだ釈然としない様子でそう、口の中で繰り返した。それからしばしの沈黙のあと、またぽつりと尋ねてくる。
「のう大和……我はまだわからぬのだ。これはいったい、何のための戦なのだ?」
その問いに、氏勝はすぐには答えられなかった。おのれもまた、その答えをうまく見つけられずにいるからであった。
「勘違いするでないぞ。我は怖気づいているわけではない。もちろん怖ろしいという気持ちもあるが、武家に生まれた以上はやらねばならぬことよ。我は、そう……ただ得心したいのだ」
「……殿」
「どうやら民はこの戦、父上が仕掛けたと思っているらしい。されど父上は、かような戦などしたくはなかったと申される。その言葉は偽りなのか?」
氏勝はそれに対しては、「いえ」と首を振ってみせた。「その通りにございましょう。大御所さまとて、かような戦を望んではおられなかったはず」
その答えに、義利は少しだけ安堵したように険しい顔を緩めた。されどすぐにまた、憂鬱そうに顔を俯ける。
「では何ゆえ、かようなことになったのだ。父上でないとすれば、大坂方が戦を望んだのか。あの右府さまが……」
三年前の二条城での会見ののち、義利は徳川の使者として大坂に赴き、秀頼とも対面を果たしている。顔を合わせたのはその一回きりであるが、ずいぶんと好印象を抱いたようであった。
「右府さまは穏やかでお優しい方であった。人質の役目を果たした我と常陸介に、労いの言葉もかけてくださった。あのお方がかような戦を望んだとは……とても思えぬのだ」
「某にも、慥としたことは申し上げられませぬ……されど」
迷いながらそう口にした氏勝に、若き主は「……されど?」と問い返す。
「されど静謐を良しとするのは、今満たされている者のみなのではないでしょうか。不遇を託つ者、屈辱に甘んじる者……何かが変わることを望む者たちにとってはむしろ、唾棄すべきものなのでございましょう」
おそらく右大臣秀頼自身は、今のおのが身を不遇とは思っておるまい。おのれが天下人の器ではないとわかっていると、以前幸長も言っていた。されどいまだ豊臣の夢の中にいる淀の方や家臣たち、そして大坂に集ってきた牢人たちに担がれて、もはや身動きも取れなくなってしまっているのか。あるいはその優しさゆえ、そうした者たちを放ってはおけなかったのであろうか。
「まずは戦でも起こさねば、何も変わらぬというわけか。されどかような形で兵を挙げたところで、勝ち目などないことはわかっておるであろうに……」
痛々しげにそう続けた義利に、氏勝は「さて、それはいかがなものでしょうか」と首を振った。「この戦、そう簡単なものではありますまい」
「負けるとでも申すのか。我らは二十万からの兵がいるのだぞ?」
「戦は数ばかりではありませぬ。それを誰よりもわかっておられるのが、大御所さまにございましょう」
かつて家康は数で勝りながら、武田の精鋭たちに幾度も苦杯を舐めさせられたものである。あるいは長久手の戦の際は、わずか二万の兵をもって十万の羽柴勢を翻弄し、一年以上も互角に渡り合った。兵の数さえ揃えればそれで勝てるなどと、決して考えてはいまい。
その上関ヶ原のあとは、無理な普請を繰り返して諸将の力を削いできた。貯えも底を尽いた大名たちの中には、武具や玉薬まで処分して対応しているところもあると聞く。兵たちもおそらくは鍛錬も満足に積んではいまい。数こそは間に合わせたものの、そのうちどれだけが戦で役に立つであろうか。
「それに……いえ、これは言いますまい」
「何だ、気になるの……言いかけたことは言うがよい」
そう急かされたものの、氏勝はまた首を振って口を噤んだ。頭を過ったのは、かつて聞いた藪内匠の言葉である。かの関ヶ原の折、かつての主は戦の行方を、「舞台に上げさせられた時点で治部の負けよ」と看破した。それが、此度は逆なのである。家康は何者かによって、上がりたくもない舞台に上げさせられてしまっている。




