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尾張名古屋の夢をみる  作者: 神尾宥人
五. 摂津大坂の燃ゆる城
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(三)

 家康は慎重に、再度書状によって開眼供養の延期と鍾銘の修正を求めた。そうして豊臣方は供養の延期のみは受け入れたものの、鍾銘の文言については頑なに変更を拒んだ。返書はこれまでの言い分を繰り返すばかりのもので、どうもおのれらのしていることの何が問題なのかもわかっていない節が見て取れた。

 そのことが様々な憶測を呼び、京や大坂の民たちは口々に風説を交わし合った。大御所家康はこの言い掛かりを口実に、ついに兵を動かすつもりだ。いよいよ豊臣を滅ぼしにかかる。大軍が、江戸より押し寄せてくる。そう交わす者たちの目は、迫りくる大戦の恐怖に震えると同時に、わずかな期待も覗かせていた。かの者たちもまた、日の本の中心が江戸に取って代わられたことに対する不満と屈辱を、ひそかに胸の裡に溜め込んでいたのである。

 そしてその空気に背を押されるように、秀頼の側近たちは大坂や堺の商人に命じて、大量の兵糧や武具・玉薬等を城に運び込みはじめた。これは明らかな開戦準備であり、断じて見過ごせるものではなかった。さらに秀頼は豊臣恩顧の諸将に対して、徳川に対して兵を挙げるよう呼びかけた。そして大坂城には、全国から呼びかけに応じた牢人たちが全国より続々と集まってくる。その数はたちまち五万を超え、なおも増え続けていた。

 家康はまたしても、どうしてこうなると呆れ返っていた。徳川としては徹頭徹尾、常識的な対応しかしていない。最初から別に戦などするつもりはないし、そうならぬよう細心の注意を払ってきたはずである。あるいはその対応も、何者かの絵図の通りであったのか。それともこの流れは、最初から避けようがないものだったのか、それさえも、もうわからなくなりつつあった。

 そうしてついには大坂に忍ばせていた伊賀者たちより、大坂方がかき集めた兵たちによって、伏見や近江・伊勢への出兵を計画しているという知らせが入って来た。そこまで至れば、家康としてもいよいよ軍勢を動かさざるを得なかった。

 されどこの時点でも、家康はまだこれが大戦にまで発展するとは思っていなかった。豊臣方が檄を飛ばした福島・毛利・浅野といった諸将たちに、それに呼応する様子は見られない。ならば徳川が兵を動かしさえずれば、簡単に折れるであろうと見込んでいたのだ。

 

 

 そんな中、紀州は高野山麓の小さな村で蟄居していたひとりの男が、浅野家の監視の目をいとも簡単にすり抜けて、煙のように行方をくらませた。そして数日後、十数人のわずかな郎党を連れて、渦中の大坂城に姿を現す。その体躯は骨と皮ばかりに痩せこけ、蓬髪はすっかり白くなっていた。されど両の目だけは、長き蟄居を強いられた怨念を(たぎ)らせるように赤々と光り、まさしく悪鬼と呼ぶに相応しき風貌であったという。

 男は二の丸御殿の中庭にふらりと足を踏み入れると、屋内に入り切れずに屯している牢人たちを目だけで見渡した。ここにいる者たちは牢人の中でも最下層の食い詰め者ばかりのためか、身に着けている鎧兜も粗末なもので、中には戦場で傷付きひび割れたままであったりもする。どの顔も貧相に痩せこけ、目はぶつけどころのない怒りでぎらついていた。さながら、飢えた獣のように。

 男はそれをぐるりと睨め回すと、傍らの男にぽつりと言った。

「悪くない……そうは思わぬか、六郎」

 六郎と呼ばれた男は、低い声で「……はっ」とだけ答えた。内心でなるほどと得心しながら。かの者にも、おのが主の満足はよくわかった。

 ここに居並ぶ者たちの中には、元はひとかどの将であった者、かつての大名家や領主の血を引く者も少なくない。世が世であれば、今でも城のひとつでも構えていておかしくなかった者さえいる。ゆえにいずれの目も、物言わずとも語っている。何ゆえおのれが、かくも身を(やつ)さねばならぬ、何ゆえかような辛酸を舐めねばならぬ、と。ひとりひとりは小さな力でも、その不満、鬱屈が万と集まり、今この大坂には巨大な負の渦が巻いているようにも思えた。これならもしかしたら主の言う通り、忌々しい静謐をひっくり返す力に変えることもできてしまうのかもしれない。

 そのとき庭の隅で蹲っていた巨漢が立ち上がり、身を揺らしながら歩み寄ってきた。髭で覆われた顔の中に、ぎょろりと見開かれた三白眼は、やはり暗い情念で鈍く光っている。

「駿州牢人、御宿(みしゅく)勘兵衛じゃ」巨漢は低い声でそう名乗った。「……御身は?」

 白髪の男は薄く笑い、勘兵衛と名乗った男を見上げた。そして低くひび割れ、それでも奇妙によく通る声で答える。

「真田左衛門佐じゃ。おぬしらの命、しばし預からせてもらうぞ」

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