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尾張名古屋の夢をみる  作者: 神尾宥人
四. 尾張名古屋の事はじめ
65/99

(二十)

 翌月、長晟は木村石見守らを伴って駿府を訪れた。家督の相続が幕府より(つつが)なく認められ、その返礼としての訪問であった。家康は殊の外上機嫌でそれを迎え、同時に翌慶長十九年には義利と春姫の婚礼の儀を行う旨も確認された。

 その帰途に就いた長晟を、氏勝は普請の完了した名古屋城に招いた。領民たちもそのほとんどが居を移して、あとは主である義利の入府を待つばかりの名古屋は、すでに往時の清洲をも凌ぐ賑わいを見せはじめている。二の丸よりそれを見下ろし、さらに天守を振り仰ぐと、長晟は感嘆の声を漏らした。

「これは……大した城にございますな。大坂にも勝るとも劣らぬ」

「さように言っていただくと嬉しいものですな。すべては肥後守さまや、兄君紀伊守さまのお力添えの賜物にございます」

 そう言い添えると、長晟はいっそう感慨深げに目を細めた。そこにおのが兄の生きた証を見たのであろう。そう思うと、氏勝は胸の裡にちくりとした傷みを覚えた。それは羨望であった。形あるもので、失った人々を偲べるというのは幸福なことだ。おのれが失った人々には、そうしたものは何ひとつ残っていなかった。

「山下どの」と、長晟は目を天守に向けたまま言った。「此度の浅野家相続の儀。お力添えに心より感謝いたす」

「礼など不要にて。某はただ、それが正しきことと思ったまでのこと」

「されど、まことに良かったのでござるか。上さまにあのようなことを申されて……」

 氏勝は木村石見を伴って、江戸にも嘆願に赴いていた。ただし江戸には一部で、浅野家の家督を三男・采女正長重へと継がせようという動きがあるとのことであった。中心となっていたのは宋玉尼(そうぎょくに)(長政正室・ややの方)で、将軍秀忠もいっときはそちらに傾きかけてもいたという。されどもしもそうなっていれば、幕府に近く秀頼とは面識すらない長重では橋渡しなど望むべくもなく、むしろ浅野を完全に幕府に乗っ取られたとして、大坂方に要らぬ猜疑を抱かせていたかもしれなかった。

 ただしそれも、氏勝らの早い動きによって立ち消えとなった。最後の難関とも言えた将軍秀忠も、氏勝のひと言で心を動かしたようであった。そのひと言とはただ、「長幼の序を違えることは、家を乱しまする」というものである。

「良いも悪いもあり申さぬ。あれはまさに、我が主・右兵衛督が日頃より口にしている言葉。それをそのまま伝えたまでのことにございまする」

 秀忠は間違いなく、その言外に込められた真意を読み取ったのだ。それは浅野家のことのみに留まらず、尾張徳川家もまた将軍家を脅かすことはないと、誓いを入れるも同然の言葉であった。

「そもそもあのお方に、さような野心などあり申さぬ。されどそれを上さまにご理解いただく機会もなかなかありませなんだ。つまり此度のことは、我らにとっても好機だったのでござるよ」

 義利の大御所家康や兄である将軍秀忠への敬愛、また徳川家を大事とする心根に嘘はない。ならば一度こうして婉曲的にでもそのことを伝え、あえて借りを作ることによって秀忠の警戒心を少しでも解くことができれば、尾張家としてはむしろ一挙両得とも言えた。

「それはまことで?」

「但馬守さまは、兄君がご存命の頃に浅野家の家督が欲しいと思われましたか?」

 そう問いを返すと、長晟もようやく得心したように頷いた。この長晟も、兄幸長のことを光だと言っていた。ならばそれを蹴落とそうなどと野心を抱いたことはなかったに違いない。それと同じなのだ。

「それに……某は思うのです。幕府など、将軍など、気苦労ばかりで息苦しいものにございましょう。我が主にはもっと、相応しき弥栄(いやさかえ)がございます」

「相応しき弥栄……にござるか。なるほど、それがこの城ということござるな?」

 そうして長晟は、眼下に広がる城下を見下ろした。見渡す限りに家屋敷が立ち並び、すでに多くの町民たちが移り住んでいるが、いまだ材木や瓦を積んだ荷車が走り回っている。こんなものは中途の姿に過ぎぬ。この先も町はどこまでも広がってゆくであろう。

「兄から聞きましたよ。この地に京にも大坂にも負けぬ日の本一の城、日の本一の都を築くのだとか。どうやら本気のようにござるな」

 氏勝はついつい目を逸らした。おのれで言うならともかく、人からそう聞かされるとさすがに気恥ずかしいものがあった。

「されど、ここは城下を囲う堀は築かれていないのですね……江戸にせよ駿府にせよ、またかつての清洲にせよ、徳川の城の考えは基本的に惣構(そうがまえ)であったはず。つまりここは、戦のための城ではないということにございますか?」

 惣構とは、郭だけでなく城下町までをすべて堀で取り囲み、全体をひとつの城と見做した築城術のことである。様々な生産設備やときには田畑まで城内に囲い込めるため、規模によっては一年、二年にも及ぶ長期の籠城も可能になる。それがないということは、この名古屋は攻められることを想定していないと思われたのかもしれなかった。

「さにはありませぬ」されど氏勝はすぐに首を振った。「一見は無防備に見えるかもしれませぬが、戦の構えは万全。まずは木曽川の堤を普請し直しまして、第一にはそこで攻め手を迎え討ちまする」

 木曽川の堤に関しては、幕府も大御所も最重要と考えていたらしい。それゆえ前当主中将忠吉の指揮のもと、天下普請の先駆けとして整備された。その高く堅い堤は御囲堀(おかこいぼり)とも呼ばれており、まさに東西を分かつ防壁とも言えるものに生まれ変わっている。

「さらにこの名古屋に惣構の堀がないのは、多くの兵を広く配置するためにござる。岡崎より直進してくる街道も整えましたので、東海道を進んでくる援軍も速やかに呼び寄せることができまする。そうして十万を超す兵を展開させ、さらに万松寺や大琳寺といった寺社の大伽藍を出城とし、この台地に上がろうとする兵を釘付けにいたす。さすれば攻め手は清洲に陣を敷かざるを得ない。こちらとしては、そこへ誘い込めればしめたものにござる」

 氏勝は城下のあちこちを指差しながら、戦の推移を淀みなく説明してゆく。すべて、頭の中で幾度も繰り返した想定であった。

「そこで五条川、庄内川の河口を堰き止めれば、敵陣は水浸しにござろう。退路も補給路も断たれ、援軍も望めず、敵はただただ孤立いたそう。あとは大軍をもって刈り取るなり、じっくりと干上がらせるなり、どうとでも好きになりまする」

「まさか、城ではなく攻め手を水攻めにしようと申されるか」

「清洲の弱味は、我らのほうが知り尽くしておりますゆえ。それに自然の川を利用し、敵の退路を断ち援軍を遮るのは、古来より行われてきた策であります。古き戦の形にも、使えるものはまだまだあり申す」

 ただしすべては、西からの侵攻にのみ特化した構えと言えた。東に向かっては、まったく無防備な背中を見せているようなものである。これはひとえに堅く防備は固めながらも、幕府に警戒心を抱かせないがための苦肉の策であった。

「されど……」長晟はどこか挑むがごとき笑みを浮かべて問うてきた。「万一事が起きたとき、我らは貴殿らのお味方となるとはまだ限りませぬぞ。そこまで手の内を明かして良いのでござるか?」

「構いませぬ」と、氏勝はまた迷わず首を振る。「それならそれで良し。この城の堅さをご存知の但馬守さまが敵方にいらっしゃれば、よもや無理押しに攻めかかってくることはありますまい」

 長晟はまだこちらの意図を推し量りかねているかのように、小首を傾げる。

「つまりこの城は、戦をさせぬための備えなのでございます。いや、この城だけでなく……関が原以後、大御所さまが進めてきた天下普請はすべて同じ。まことに徳川は、戦をしたくはないのです」

「つまり、天下静謐のための城と。乱世を終わらせ、新しき世を開くための……その先駆けが、この新たな都というわけですな」

「いささか大袈裟ではありますが」と、氏勝は肩をすくめる。それでも家康は、本気でそう思っていることであろう。ために諸侯に財を吐き出させ、牙を抜き、獣の群れを飼い馴らそうとしている。たとえその目的が徳川の天下を確固たるものにするためであっても、かような未来に望みを持つ者もきっと多いことであろう。

「兄が貴殿を気に入っていた理由がわかった気がいたします。夢語りを夢語りに終わらせない御仁だと、兄は申しておりました。我も半ば疑っておりましたが、こうして目の当たりにすると、決して夢とも思えなくなってくる」

 長晟はそう言って、またどこか痛みを堪えるかのように目を細めた。

「そう……誰もがそう考えられたなら、戦など起こらぬのだ。されど……」

 その言い淀んだ言葉が気になって、氏勝は「……されど?」と問いを返した。すると長晟は小さくため息をついて首を振る。

「いや、大したことではござらぬ。山下どのの夢に異を唱えるわけではない。ただあの戦乱の日々を、いまだ忘れられぬ者は少なくありませぬ。戦でしか身を立てる術を知らず、浪々の身に甘んじながら、この静謐が崩れ去るのを待ち望んでいる者も……」

 慥かにそうした者たちも、いなくなったわけではないであろう。最後の戦となった関が原から、まだ十と三年しか経っていないのだ。武功を上げれば足軽から大将にも成り上がることができた時代を、良き記憶としていまだ抱いている者もまだ多いはずだ。

「肥後守さまや兄の死で、戦の臭いを嗅ぎ取ったのでしょうか……さような者たちが、大坂に集まりはじめておりまする。我らの元に仕官を求めてきた者もいる。まったく困ったものよ。されど我にはかの者らを、愚かと笑うこともできぬのです」

 そう言って長晟はおのれの大きな掌を開き、目を落とした。

「もしかしたら我もまた、そのひとりなのかもしれぬゆえに。初陣の折に感じた、あの恐怖と歓喜。おのれの血がはたして、怖気に凍っているのか、あるいは闘気で滾っているのか……どちらともわからない。まったく、何とも言えぬ心地にございました。できることなら今一度、あれを味わってみたいと思っているおのれもまた、慥かにいるのです」

 そんなおのれのような者がいる中で、まことの静謐など訪れるのか。はたしてすべてが過去のものになるまで、力づくで押さえつけておくことができるのか。言葉にせずとも、そう続けようとしていることは氏勝にもわかった。ゆえにそれ以上の問いを重ねることはなく、ただ黙って隣に並び、赤らみはじめた空の下に広がる城下町を見下ろしていた。

 長晟の言う牢人たちは、きっとおのれともそう違わないのではないか。氏勝はそう気付いていた。この夢語りにしたって、そもそもは負け惜しみなのだ。力なきゆえにろくに戦えもせず強者に膝を屈し、その口惜しさに震えていた若き主を慰めたくて、咄嗟に広げた大風呂敷がはじまりだ。

 口にしたときは、おのれでも実現できるなどと考えてはいなかった。されど様々な巡り合わせによって徳川で禄を食むことになり、思いもかけずこうして今、築かれつつある夢の都を見下ろしている。これはただひとえに、おのれが数え切れぬ幸運に恵まれたゆえのことであろう。もしもこの巡り合わせがひとつ違えば、きっとおのれは今でもあてどない牢人か、一介の雑兵に過ぎなかったはずだ。

 もしもそうであったなら、おのれはいったい何を望んでいたであろうか。それは今でも忘れた頃に心の中を吹き過ぎてゆく、乾いた風に問いかければわかることだった。

 眼下に無数に立ち並ぶ家屋敷の数々。それが不意に煽られた砂埃に霞んで、ゆらゆらと揺らいで見えた。まるですべては幻であったかのように。氏勝は小さく首を振り、目を(しばた)かせる。それでも胸の裡に沸いてきた不安を振り払うことはできなかった。今のおのれがどれほどの幸運に恵まれていようと、そのすべては簡単に失われてしまう。突然に、そして一瞬ですべてを奪われる。氏勝はそれを身をもって知っていた。

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