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尾張名古屋の夢をみる  作者: 神尾宥人
四. 尾張名古屋の事はじめ
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(十七)

 そうした肝心なときに限って藤七はなかなか現れず、ようやく屋敷の庭に音もなく姿を見せたのは、それから数日経ってからのことであった。その唐突な訪いようはいつも通りだったが、氏勝はもうそのことに文句を言うこともなく、待ちかねたようにそれを出迎えた。

「それで、肥後守さまはまことに身罷られたのか」

「六月二十四日のことであったそうです。亡骸はすぐに荼毘に付され、墓所に納められたとか」

「風聞では、瘡毒であったとのことだが?」

「そうなのですか。当地では、麻疹との話でございましたが……もっともそれも風聞の類、慥かなことはわかりませぬ」

「おぬしでもわからぬのか?」

 そう重ねて尋ねると、藤七は首を振って「……相済みませぬ」と答える。別に責めているわけではない。つまりこの者でも突き止められぬほど、厳に隠されているということだ。

「仕物であるとも考えられるか?」

「それもわかりませぬ。わからぬということは、あり得ぬことではないということにございます」

「先だっておぬしが言っていた、鹿右衛門とか申す……かの者の手によるとも?」

「それも、あり得ぬことではない……としか」

 籐七はそう言葉を濁す。そうとしか言えないことに、この者も口惜しく思っているらしい。

「京ではあの男の動向を探るよりも、山下さまとそのご一行をお守りすることに気を向けねばならなかったゆえ」

「わかっておる……それを責める気は毛頭ない」

「されどあの男は仕物において、毒を使うを得手としておりました……それも、ひと月ふた月掛けてじわじわと死んでゆく類のものだと聞いておりまする。どう見ても病としか思えぬ死に方で、周りの者はもちろん、当の本人ですら仕物であったことに気付かぬとか」

 剣呑よの、と氏勝は忌々しげにつぶやいた。かような者には、狙われずに済むことを願うばかりだ。

「されどそうであるとすれば、いったい誰の命で動いていたかが問題よ。上さまか……あるいは大御所さまが?」

 すでに民の間には、それを疑う声も上がりはじめていた。二条城での会見に於いて、清正は常に秀頼の傍に控えて護衛を務めていた。一対一で対面したかった家康に、退くように言われもしたが、頑としてその場を離れなかったともいう。豊臣を滅ぼしたい家康としては、その忠節ぶりを怖ろしく思ったのではないかと。

 されど藤七は、「さて、それはいかがでございましょう」と口を挟んでくる。「肥後守が邪魔であったのは、決して幕府方ばかりではございますまい」

「それはどういうことだ……大坂方にとっては、肥後守さまは頼りになるお味方であろう」

「されど徳川にも恭順し、肥後五十二万石もの大禄を与えられ、豊臣との橋渡しをしようともしております。その姿勢に不満を抱いていた者も少なくはないかと」

 むろん、内心ではそう思っておる者もいるであろう。それは氏勝もわかっていた。されど今更戦を仕掛けたところで、徳川に勝てると思っている者もいまい。豊臣の家を存続させるには、幕府とうまく付き合ってゆくしか道はないのだ。そのことは、誰しもわかっているはず。ならばなぜ。

 そう訝ったところで、ふと脳裏に蘇ったものがあった。口惜しげに唇を噛み締め、俯く幼い横顔。この地はもう、我らのものではないのだぞ。そう吐き捨てるようにつぶやく声。

 ああ、そうであった。氏勝もやっと思い出していた。あのときも結局は、若殿こそが正しかった。たとえ屈辱に耐えて膝を屈したところで、どうせ最後には内ヶ島も滅んだではないか。

「屈辱に耐えねばならぬくらいなら、いっそ潔い滅びを。そう思う者もいるということだな?」

「仕官先もなく浪々の身に甘んじている者。長き蟄居に腐されている者。また徳川の風下に立たされ、所領も大きく減らされた豊臣家中の者。そうした者らの目には、徳川から禄を受けのうのうと過ごす肥後守は、許されざる表裏者に映るやもしれませぬ」

 つまり戦を望んでいるのは、徳川よりむしろ豊臣方というわけか。戦をしても勝てるとは思えぬ。されど戦がなければ、どこまでも浮かばれぬままの屈辱が続く。それならば最後に大きな死に花を咲かせてやろうか。そうした心持ちは、氏勝にも理解できなくもなかった。

「されど肥後守さまがいなくなったとて、すぐに戦になるというものでもあるまい。むしろ豊臣としては、ますます仕掛けようがなくなったであろう」

「豊臣方はそうでございましょうな……されど徳川からすれば、これでずいぶんと攻め易くなり申した」

「されど大御所さまには、豊臣を攻め滅ぼす心積もりはなかろう。上さまは……どう考えておられるかわからぬが、もしあったとて大御所さまが止めるはずじゃ」

 もしも家康に豊臣を攻め滅ぼす気があれば、これまでに何度も機会はあった。特に五年前、秀忠の将軍宣下に際しての上洛を秀頼が拒んだときなど、十分に攻める口実はあったのだ。されどその都度家康はおのれから折れてきた。それは決して、清正や幸長の存在あってのみではなかったはずである。

「もちろん、この一手ですぐに戦に向かうとも思えませぬ。されどこれが、単に布石のひとつに過ぎぬとしたら何とします?」

「つまり、まだ良からぬことが起きると申すか?」氏勝は、胸の裡にぞわりとしたものが広がるのを覚えた。「いったいどのような……」

「それこそわかりませぬよ……されど、何が起こっても不思議はございませぬ。どうかお覚悟めされませ、そして何が起きても動じぬよう」

 そうして籐七はまた立ち上がり、闇の中に消えていった。あとにはただ、夜の中を飄々と風が吹いているだけだった。その風はいまだ七月も半ばでありながら、やけに冷たく感じられた。

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