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尾張名古屋の夢をみる  作者: 神尾宥人
一. 肥前名護屋に水はなく
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(三)

 此度の朝鮮征伐に於いて、氏勝が仕える中村式部少輔(しきぶのしょう)一氏(かずうじ)は出兵を命じられてはいなかった。関東へと入った徳川の抑えとして駿府へ移封されたばかりで、国内の平定が最優先とされたためである。されど名護屋での徳川勢の動向を探るためもあって、繋がりの深い前田家の勢に加わる形で、野一色頼母助義(たのもすけよし)以下五十人ほどを参陣させている。氏勝もその中のひとりであった。

 とはいえここ名護屋に来ても、前田勢は後詰として陣に留まったままで、氏勝らもあまりやることがなかった。ゆえにもっぱら書を読んだり弓の手入れをしたりして、暇を潰しているだけである。

 たださすがに長陣ともなってくると、様々な問題が持ち上がって来る。多くの荒くれどもが、土地を離れてかような場所で、戦に出るでもなく留め置かれているのだ。いい加減鬱憤も溜まってくる頃で、つまらぬことで喧嘩が絶えなくなっていた。さらにこの名護屋には、思いもしなかった深刻な問題があった。水である。

 何しろ十万を超す大軍勢だ。いかな巨城を築いたといえどもすべてを収容することはできず、集まった諸将は城の周辺に屋敷を建て、小屋を建て、それぞれに陣を構えていた。さらにはそれを目当てに、商人や民たちも大挙して集まってくる。そうしてただの(ひな)びた古城と集落があるだけだった土地は、わずかな間に巨大な城下町へと変貌していた。されどこの地には兵糧はともかく、それだけの人の口を満たすだけの真水が足りなかった。ゆえに数少ない井戸と湧水を巡って、各陣の間で諍いが頻繁に起こりはじめていたのだ。

 その日もつまらぬ喧嘩の仲裁を終えて、氏勝は伝右衛門とともに陣へ戻った。おのれよりもはるかに大柄な男たちを抱えて引き離してきただけに、冬だというのにふたりとも汗だくだった。そうして割り当てられた小屋に戻ろうとしたところを、氏勝は伝右衛門に呼び止められた。

「戻ってもどうせ、やることなどないのであろう。それなら我らのところで一杯やらぬか」

「良いのでござるか?」と、氏勝は尋ね返す。「この様子では、今夜のうちにまた呼び出されるやもしれませぬぞ?」

「なに、知ったことではない。次は別の者に行かせればよいわ。暇な者はいくらでもおるであろう」

 それもそうである。氏勝とともに中村家から来た者たちも、このところは暇を持て余して、酒に博奕と遊興三昧だ。おのれが酔い潰れて使い物にならなければ、替わりはいくらでもいる。とはいえ、氏勝はこれまで前後不覚になるまで酒に溺れたことなど一度だってないのだが。

 この伝右衛門は氏勝よりも齢はひと回りほど上、三十半ばと思われる男だった。話によれば末森合戦をはじめとして、多くの戦で武功を挙げた猛者でもあるようだ。されど物腰は若き氏勝に対しても柔らかく、好感の持てるものであった。

「では、遠慮なく」

 氏勝はそう答えて、招きに応じることとする。伝右衛門は顔をほころばせ、前田陣の外れにある小屋へと案内してくれた。

 その小屋はやはり粗末で、とりあえず雨露がしのげればよいといっただけのものだった。三間四方ほどの屋内に、七八人ほどの者が寝泊まりしている。これは氏勝の小屋も似たようなもので、別段変わり映えもない。ただ同室の者は皆気さくで、突然の客である氏勝をにこやかに迎え入れてくれた。

「それにしても……何だ。さっきの連中にも困ったものだ」

 そうしてまだ日も沈まぬうちに酒盛りがはじまると、伝右衛門が愚痴るように言った。

「まあ気持ちはわかるがの。せっかく戦に出てきたのに、かようなところに三月も留め置かれて……海の向こうからは威勢のいい話が聞こえてくるだけに、おのれは何をやっているのだと思うものであろう」

「小野どのも、そう思われまするか?」

 尋ねると、伝右衛門は「……まあの」と苦笑する。「それはきっと、誰しもが思っているであろうよ」

 やはりそういうものなのだろうか、と氏勝は自問する。それではおのれはどうなのだろうと。おのれもやはり戦いたいのか。この腕を揮う戦場を与えられずに、身の裡に鬱憤を溜め込んでいるのか。

 しかしそんな思案などお構いなしに、男たちの話題はまた別のことに移っていっていた。

「されど実のところ、さように足りぬのか……水は」

「それが足りぬのじゃ。先頃も小西どのの陣で井戸が枯れたそうな」

「しかしたかだか水のことで、取っ組み合いの喧嘩などせずとも……」

 口々にそう言い合っているのを聞きながら、氏勝もついぽつりと口を挟む。

(いにしえ)より、水場を巡っての戦などいくらでもありまする」

 その言葉に、一同が「……むう」と唸って口を噤む。そんな重い話を振ったつもりもなかったので、氏勝はわずかに狼狽した。

 実は前田家でも、陣内で井戸を掘ろうと試みたことはあった。されどそれもうまくいかず、現在も徳川家の陣場にある湧水から水を汲ませてもらっている状態が続いていた。

 徳川家の陣場は城の東側、竹ノ丸と呼ばれる高台にあり、海を見渡せる景勝の地であるだけでなく、麓には澄んだ清水の湧く泉もあった。ただその湧水もこのところ出が悪くなってきているようで、だんだん他家に水を分けるのを渋りはじめてもいた。先日はついに水場の前に番屋を建て、汲む量を厳しく管理しはじめたほどである。今日の喧嘩もそれが切欠であった。

 徳川家は諸将の中でも最大の一万五千もの兵を在陣させている。それだけにかなりの兵糧と水を必要としているはずで、気を尖らせるのも無理はない。とはいえそれを断られてしまえば、今度は前田家が干上がってしまう。

「このところ雨も降らぬでのう……あたりに大きな川もなし、困ったものじゃ。太閤さまも何を思ってかような土地に……」

 男たちのひとりがそう言いかけて、慌てて口を噤んだ。殿下の悪口など言って、誰がどこで聞いているかわからない。

 氏勝も、そこは聞かなかったことにする。そうして粗末な椀に注がれた酒をちびりと嘗めながら、目をちらと小屋の外へと向けた。その向こうには、木立を透かして広大な海が広がっていた。

「おかしなものでございますな……水なら、目の前にあれだけあるというのに」

 何の気なしにそうつぶやくと、伝右衛門が「何を申される。海の水は飲めませぬぞ」と相好を崩した。さらに男たちもみな声を合わせて笑う。

「山下どのは山育ちでござるかな?」

「まあ……そのようなところで」

「式部どののご家中で山育ちとなると……やはり、甲斐衆でござるか」

 違うと答えようかともしたが、殊更に否定しなければならないことでもないと思い直し、曖昧に頷くにとどめた。甲斐衆と呼ばれる武田の旧臣の多くは徳川に仕えているが、豊臣方の諸将の元に身を寄せた者も決して少なくない。そのうちのひとりと思うのも不思議ではなかろう。それを否定してしまえば、今度はおのれの来し方を詳しく話さなければならなくなる。それもどうにも面倒に思え、躊躇ってしまったのだ。それにどうせこの者たちとも、駿府に戻れば関わり合うこともないのだ。

「皆さまはずっと、前田家にお仕えなのですか?」

「我らか……?」と、伝右衛門はわずかに言葉を詰まらせる。そうしてどこか気まずげに、隣と目を見合わせた。

「違われたか?」

「違わぬ……いや、違わぬのでござるが」

 言い難そうにしている伝右衛門に替わって、傍らの五十年配の男が氏勝に目を向け、口を開いた。名は慥か、駒井十四郎(じゅうしろう)と名乗っていた。

「わしらは皆、右近さまの家臣だったのよ」

「右近さま……と申されると?」

「木舟城主の前田右近さまでござるよ。大殿の弟君じゃ」

 かの者らの話によれば、現在の当主前田加賀宰相利家は尾張荒子城主・前田縫殿助(ぬいどののすけ)利昌の四男であり、兄である三男・五郎兵衛安勝(やすかつ)と弟の六男・右近秀継(ひでつぐ)のふたりが、重臣として支えていたという。特に秀継の働きはめざましく、末森合戦にはじまる佐々勢との戦でも常に先鋒に立ち続け、その功績を称えられて木舟城と四万石の領地を与えられたとのことだ。

「ですが……家臣だった、というのは如何なる(いい)でございまするか?」

 男はまた、そこで言葉を切った。それからややあって、ぽつりとつぶやくように答えた。

「あの日、何もかもが変わってしもうたのよ。東国のかたはご存じないのかもしれぬの……七年ほど前の大地震のことを」

 氏勝は胸の裡で何かがざわりと蠢くのを覚えたが、それは顔には見せずに黙っていた。そしてそんな内心には気付かぬまま、男は続ける。

「あれはもう、この世が終わるかとも思えたほどのひどい地震じゃった。そして揺れがおさまってから慌てて登城すると、木舟の城は瓦礫の山になっておった。殿もお方さまもその瓦礫に埋もれて、とうとう亡骸(なきがら)を見つけることも出来んかった。家中の主だった者も多くが命を落としたとのことでな、残った我らは途方に暮れるしかなかったものよ」

 そのときのことを思い出しているのであろう、男たちは一様に沈んだ面持ちで目を伏せていた。

「幸い嫡男の又次郎どのは難を逃れ、わしらを含め遺領をそのまま継がれることになった。されど田畑は荒れ果て、逃散(ちょうさん)した者も多くてな。結局は今石動(いまいするぎ)の城に移り、所領も八千石ほどになってしもうた」

「その上若殿は体が弱くてのう……」と、別の者があとを受ける。「この名護屋にも参られておるのだが、もうずっと伏せっておられる。ゆえにわしらはひとまず肥前守(利家の嫡男・利長)さまに預けられたが、すっかり外様というわけよ」

 なるほど、と氏勝は声に出さずにつぶやいた。この者らとて、本来であればひとかどの将であったかもしれぬのだ。されど不遇が重なり、こうして雑兵同然の扱いに甘んじていた。覆すには戦に出て武功を挙げるしかないのだが、それもできずにかような場所に留め置かれている。鬱憤を溜めて喧嘩沙汰を起こす者たちに、共感を抱くのも無理はなかった。

「かような愚痴ばかり零していても酒が不味くなるばかりよ。山下どの、すまぬの。つまらぬ話をしてしもうた」

 伝右衛門はそう言って、申し訳なさげに小さく頭を下げた。氏勝は「……いや」と首を振り、瓶子を取ってかの者の椀に酒を注ぐ。

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