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尾張名古屋の夢をみる  作者: 神尾宥人
四. 尾張名古屋の事はじめ
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(十三)

 慶長十六年三月。氏勝は義利とともに京にあった。それまで幾度も延期されてきた御陽成帝から後水尾帝への譲位が決まり、その儀に臨席するため、弟の常陸介頼将(よりまさ)とともに初の上洛を果たしたのである。そしてこの儀に合わせて、大御所家康と右大臣秀頼の会見が二条城にて行われることとなっていた。

 このとき義利と頼将のふたりには、徳川家の一員としてはじめての大役が与えられていた。秀頼の出迎え役である。随行したのは加藤肥後守清正・浅野紀伊守幸長・池田武蔵守輝政・藤堂和泉守高虎といった、豊臣との橋渡しとなった諸侯たち、そして平岩主計頭・竹腰山城守・成瀬隼人正・安藤帯刀といった附家老たちである。それに対して秀頼は、織田有楽斎・片桐市正(いちのかみ)・大野修理(しゅり)ら三十人を同行させ、さらに加藤・浅野の三百の兵に守られながら、淀川を楼船で遡上してきた。

 そして義利らは京の片桐屋敷にて衣装を整えた秀頼を伏見上鳥羽(かみとば)にて迎えると、そのまま二条城まで随行し、そののちは加藤・浅野の兵たちとともに東寺にて待機する。出迎えと言えば聞こえはいいが、その実は秀頼の身の安全を保障するための人質であった。

 この段取りに対しては、お亀の方も頼将の生母であるお万の方も強く反対した。万一のことあらば我が子の命がないのだから、当然といえば当然である。それを押し切ることができたのは、当の義利たちの強い言葉によってだった。これぞ武門に生まれた者の務めと、正面から毅然と言い放たれては、どちらの母親も渋々受け入れるしかなかったようだ。その後お亀は氏勝に、「あちらの母御前のお気持ちがわかりました」とぼやいていた。どうやらすっかり、悪母とも噂される淀の方にも肩入れしてしまったようだった。

 そうして義利と頼将は、東寺の書院にて会見の終わるのを待っていた。成瀬隼人と安藤帯刀は家康の護衛として二条城へと向かい、付き添ってきたのは氏勝と正信のみだ。義利はこのとき十歳、頼将に至ってはまだ九歳である。緊張に顔が強張り、血の気も引いて見えるのは致し方のないことだった。

「怖しいか、常陸介」

 長い長い沈黙を破って、義利が頼将に尋ねた。頼将はしばし迷いながらも、「……はい」と答える。

「兄上は怖しくないのでございますか」

「怖しいに決まっておろう」と、それでも威厳を漂わせた声で義利は答えた。「されど怖気を見せてはならぬ。わかっておるな?」

「わかっております」と、頼将も気丈に頷く。この若殿も立派なものだ。傅役である直次の薫陶もあるのだろう。

「これは戦と思え。つまり、我らの初陣よ。恥ずかしき様は見せられぬ」

 されど我らが殿も負けてはおらぬ。氏勝はその立派な姿に誇らしさを覚え、満足げに頷いて目を細めた。それは正信も同じだったようで、嬉しそうに顔を綻ばせて言った。

「戦であるならば、なおのことご安心なされませ。我らが盾となり、おふた方の前に立ち塞がってみせましょう。さようございますな、叔父上」

 氏勝も「……無論」と頷く。それで少しは勇気付けられたのか、頼将もほっと表情を和らげた。

 そのとき、静かに近付いてくる足音が聞こえた。やって来たのは紀伊守幸長であった。そうして幸長は書院に入ると、ふたりの若武者に深く頭を下げる。

「右兵衛督どの、常陸介どの。まことにご不便おかけいたします。なにとぞ、もう(しば)し堪えてくだされ」

「構いませぬ、紀伊守さま。それより、二条城におらずによいのでございますか?」

 慥かに予定では、幸長も清正とともに会見に同席し、警護に当たることとなっていた。されどそう尋ねても、幸長はどこか悪戯っぽく笑って答えてきた。

「あちらは肥後守どのがおれば大丈夫にございましょう。そもそも大御所さまは、我らが同席することにもいい顔はしておられませんでした。ゆえ、体調を崩したことにして抜けてきた次第にございます」

 また大胆なことを、と氏勝は驚いていた。されど義利は何かを察したように、小さく頷いて言った。

「もしかしたら……万一のことあらば、我の介錯をするために来てくださったのでは?」

 幸長は参ったというような顔をちらりと見せ、そしてひと言答えた。「……ご迷惑ですかな?」

「有難きお申し出にございます。されどそのときは、この大和に頼むつもりでおりますゆえ」

 その答えに、頼将がまた顔を強張らせた。されど当の幸長はこともなげに、「さようでございましたか」と答えるのみであった。

「それに我は父を信じております。どうぞご心配なく」

「大御所さまともあろうお方が、卑怯な騙し討ちなどはしないと?」

「いえ……必要とあらばするでしょう。父はそういう人にございます。されど今ここで、右府さまを討つようなことはいたしますまい。さように愚かな人ではないと信じておるのです」

「愚か、ですかな……徳川にとっては、右府さまと豊臣家は目の上の瘤なのでは?」

 幸長とて、家康を信じていないわけではないのであろう。ただ今はこうして義利の考えを聞くのが楽しくて、あえて論を挑むような物言いをしているようであった。

「……で、あってもです。さように卑怯な手に出れば、今は仕方なく徳川に仕えている豊臣恩顧の諸侯たちを、完全に敵に回すことになります。肥後守さまも……紀伊守さまもそうでございましょう?」

 それは主君の弔い合戦である。大義は向こうにある。ことによっては、古くから徳川に仕えている者たちからも離反が出るかもしれない。しかも誰もが、まさに身を捨てて立ち向かってくるであろう。むろん今の徳川であれば、そのすべてを武力で押さえつけることも可能かもしれぬが、多大な犠牲を支払うことになるのは間違いない。それは愚かなことだ、と義利は考えているのであろう。

「ゆえ、父は右府さまを丁重に持て成すことでございましょう。何も心配はございません。豊臣の存在は、天下の静謐に不可欠なのです」

 また、徳川と幕府の権威を絶対のものに高めるためには、乱世の(ことわり)を完全に過去のものとすることが不可欠であった。乱世の理とは、すなわち下克上である。力あるものが主をないがしろにし、その座を簒奪することをも良しとする理。それを否定するためにも、徳川はかつて主と仰いだ豊臣を滅することができない。それも氏勝が語って聞かせたことであったが、聡明な義利は(しっか)りと理解していた。

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