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尾張名古屋の夢をみる  作者: 神尾宥人
四. 尾張名古屋の事はじめ
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(二)

 右兵衛督義利は読んでいた書から目を上げると、氏勝と正信の姿を認めてぱっと顔をほころばせた。齢八つを数えて、顔付きも徐々に凛々しさを漂わせはじめている義利だが、このふたりに会うときだけは、齢相応の無邪気さを見せる。

「大和ではないか。それに小伝次も……待っておったぞ!」

「殿、竹腰どのは山城守という官位を賜りました。どうぞそう呼んで差し上げなされ」

 氏勝がそう言うと、義利は思い出したようにうんうんと頷いた。「そうであったな。されど小伝次は小伝次じゃ。山城など、どうも呼び難くてしっくりこぬ」

 正信も「それで構いません」と、にこやかに頷いた。この者もまだ、突然下賜された御大層な官位に戸惑っているようだ。そういえば、と氏勝も思い出す。おのれも信濃守を拝領したあとしばらくは、据わりが悪くて困っていたものだった。

「それよりも聞いたぞ、大和。そなた、主計と喧嘩しているそうだな?」

「喧嘩などしておりません。ただ、平岩さまのご理解をいただくのに少々手間取っているだけにございます」

 どうやら遷府のことで親吉と激しく論戦を戦わせたことが、この義利の耳にも入っていたようであった。この主に伝えるのは、正式に話がまとまってからと思っていたのだが。

「小伝次から話は聞いておる。新たな都を築くのだったな?」

「はい。そのつもりでおります。殿に相応しき城と城下を築き、尾張にお迎えいたしたく存じます」

「胸が躍るな。このところ、徳川は悲しい話ばかりであった。そなたの献策に勇気付けられた者も多いことであろう」

 義利はそう言って、にっこりと笑った。その言葉に、正信も嬉しそうに顔をほころばせて言った。「では、殿もご同意いただけまするか?」

 しかしそんな正信に向かって、義利は静かに首を振った。それからまるで逆に教え諭すように、穏やかな声で続ける。

「されど我は、この件について旗幟を明にするわけにはいかぬのだ。許せよ、大和」

 はい、と氏勝は頷いた。義利がそう答えることはわかっていた。ゆえ、今までおのれの口で伝えようとは思わなかったのだ。されど正信は、その答えが信じられなかったらしい。

「何ゆえでございますか、殿。殿が良しと言っていただきさえすれば……」

「で、あろうな。我がそう答えれば、主計とて否とは言わぬであろう。そしていかな無理を押してでも、我の命を果たそうと励むに違いない。ゆえにそれはできぬ。なせなら我にはまだ、何の力もないからだ」

 参ったな、と氏勝は首を振る。我らが主は、想像していた以上に聡いお方であった。まさに神童と呼ぶに相応しい。

「我はまだほんの童で、政務については主計に頼り切りよ。そんな我が、この件についてのみ我儘を申しては筋が通らぬ。我が存念を口にすることができるのは、大和の献策も主計の反対も、そのすべてを理解した上でなければならぬ。それだけの力を身に着けてからでなければならぬ。さもなくば、童の戯言でしかない」

「殿には、すでにそれだけのお力は備わっていると思われますが」

 氏勝がそう言うと、義利もはにかむように笑った。

「そう言ってくれるのは嬉しい。されど、実が伴わねば同じよ」

 正信も義利の言葉の意味が呑み込めたのか、口惜しげに拳を握り締めていた。その若さゆえに、肝心な場ではお飾りのように軽く扱われているのは、この正信も同じだからであろう。

「今はまだ堪えてくだされ、殿。そのために、傅役の某がおるのでございます」

「わかっておる。されど大和、あまり無理はするでないぞ。我のためにそなたの立場が悪くなるようなことは、決して望んではおらぬのだ」

「畏まりました」と、氏勝は頭を下げる。「されど某は、何も無理などはしておりません。どうかご案じめさるな」

 その言葉にも、義利はまだ不安げな色を目に浮かべながらも頷いた。

 

 

 夜になって屋敷に帰ると、氏勝はすぐに自室に閉じ籠って絵図を広げた。そうして揺れる蝋燭の火の下で、すでにびっしりと描き込まれた図にさらに墨を入れてゆく。描いているのは当然、これより築く城下の町割りであった。

 城正面、馬出の前は商人や職人が住む町人町となり、六十間正々方々の碁盤割とする。これは交通の便を易くし、商いの発展を促すためでもあるが、それだけではない。鉄砲が戦の主役となった昨今、城の防御においても恐ろしい仕掛けとして機能するのだ。ここまで突破してきた敵を見通しの良い碁盤割に誘い込んで包囲し、三方から一斉に射撃する。進路は限定されているので死角はなく、数千の軍勢であっても一瞬で殲滅することさえ可能な、まさに必殺の構えである。発想の元となったのは、あの山中城の畝堀であった。

 そこから台地の縁に沿って広がる一帯には、清洲城下の寺と社をすべて、伽藍の配置もそのままに移築する。万松寺や大林寺など各宗派の最大のものは、城下に十万余の兵を展開させる際の陣となる。いわばそれぞれが出城であった。そしてすべてを取り囲むように武家町を配置する。

 さらに鎌倉街道の拡充して、岡崎からの援軍を直截城下に招き入れられるようにする他、三本の街道を整備してそれぞれ東海道・中山道・伊勢道へと直結させる。さすれば那古野はそれぞれの街道間を繋ぐ近道ともなり、多くの旅の者も引き寄せる地となる。

 そこまで構想したところで、氏勝はひとつ迷っていることがあった。最後に残った問題、水運である。近郷を流れる庄内川から堀へ水を引き込むのはいいが、それをまた同じ川に戻すのでは、海から上がってくる舟が大きく遠回りすることになる。それを解決する最良の策は、城から堀を真っ直ぐ南へ、それこそ熱田の湊まで伸ばしてしまうことだが、さすがにかなりの大工事となる。人手も金子も掛かり、親吉らがますます渋い顔をするだろう。

「何やらお困りのご様子ですね」

 と、声に気付いて振り返る。いつの間にか襖が開き、お松が湯漬けを用意して来ていた。

「今宵はまだ何もお口にしていないかと思い、お持ちしました。少し、お休みになられてはいかがですか?」

「……うむ、(かたじけな)い」

 そう答えると、お松は少し驚いたような顔を見せた。いったいどうしたのかと見やると、今度はくすくすと笑い出す。

「家人にいちいちそうした言葉をかける殿御は珍しいと思いますよ」

「そうであろうか?」

「はい。相変わらず、旦那さまは変わったお方でございます」

 しかしそれも、氏勝の偽らざる本心であった。何しろ尾張から戻って以来、ずっとこの調子なのだ。長子の萬壽丸はすでに四歳になり、下に娘もふたり生まれている。その子らのことも、もう少し目を掛けてやりたいと思っていたが、なかなかそうもいかずにいた。それでも何も言わずにいてくれるお松が、今はただただ有り難かった。

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