(十三)
今にも雨滴を零しそうな重い雲が、見渡す限りの空に低く垂れ込めている。されど目に映る光景がすべてくすんで見えるのは、そのせいばかりではないようにも思えた。
尾張国、清洲城。氏勝がこの城を訪うのは、実に八年ぶりであった。かの会津征伐の折、宿営地として立ち寄って以来である。そのときは行軍の途中ともあって、城の中を見て回るほどの余裕もなかったが、此度は違った。慶長十二年九月、この尾張は正式に徳川右兵衛督義利の所領となった。氏勝はその名代として、城の受領にやって来たのである。
応対に出てきた城番たちの表情は、やはり一様に沈んでいた。無理もないことだ。旧主である忠吉を慕っていた者も多いであろうし、これからおのれはどうなるのかと案じてもいるはずだ。
かの者らもきっと、数年前まではこのようなことになるとは思ってもいなかったであろう。主が関が原で手傷を負いながらも武功を挙げ、嫡男の秀忠は決戦の場に遅参したのを聞き、ともすれば次の将軍にとの期待に胸躍らせてもいたはずであった。
ちなみに忠吉の死の翌四月、越前では家康の二男・結城宰相秀康がその生涯を閉じていた。死因は唐瘡(梅毒)であったという。それもあってか、氏勝は相次ぐ悲報を果たして偶然か、まさか中納言秀忠がと疑いもしたが、藤七によればそれぞれの死に不審なところはなかったらしい。
「無事に将軍の座を継がれた今、上さまがおふたりを恐れる理由もなくなりました。今さらどうこうしようなどと考えるはずもありませんや。むしろおふたりの死をもっとも痛手に思っているのは、上さまかもしれません」
言われてみればその通りではある。無事将軍職を継いだ今となれば、越前結城家も尾張松平家も幕府にとっては有力な旗本である。その存在を頼もしく思いこそすれ、邪魔とするはずもない。殊に忠吉の生母は、秀忠と同じ西郷の局である。つまり忠吉は秀忠にとってこの世でただひとり、父母を同じくする兄弟であったのだ。その悲嘆に暮れるさまは痛々しいほどで、決して偽りとは思えなかったという。
そんな空気にあてられてか、氏勝とともに尾張へやって来た者たちの顔も暗い。我らが主もこれで五十二万石の大大名となったわけだが、単純に喜ぶこともできない。かような大所帯、はたしておのれらで切り回して行けるのかという不安も募るばかりだ。
傍らの小伝次正信も、可哀想なくらいに顔を強張らせている。この者も義利の元服に伴って五千石の加増を受け、さらに山城守の官位も与えられた。そしてこの城を拝領し、義利が正式に尾張の国主となった暁には、小姓頭から附家老へと格上げされることも決まっている。されどいまだ齢十六の若者には、重荷に過ぎる役目であろう。
「そう気負いなさるな、竹腰どの」気休めでしかないことは承知で、氏勝はそう語りかける。「当面の間は、これまでと大して変わりますまい。実質的な国主は平岩さまじゃ。今は殿とともに学びなされ」
「それはわかっておりますが……いずれはすべて引き継いで、我らのみでやっていかねばならぬのでしょう。はたして務まりましょうや」
「大丈夫です。それに間もなく幕府からも、新たに家老を遣わしてくれるとのこと。何もかもおひとりで背負われることもありませぬぞ」
「聞いております。成瀬どのと申されましたか……いったい、どのような方でしょうかね」
幕府から新たに派遣されてくるもうひとりの附家老の名は、成瀬隼人正正成といった。これまで幕府の政務に携わり、特に朝廷への将軍宣下の働きかけにおいて功のあった者だという。またかつて長久手の戦で初陣ながら多数の首級を上げた猛者でもあるとのことで、武においても大きな力となるであろうと期待されていた。
されどそのことも、正信には逆に気が重いようだ。若輩者ゆえ見縊られないかと不安なのであろう。そうした不安は、いくら口先で宥めたところで消えぬものだ。おのれでひとつひとつ経験を積み、自信を付けていくしかない。
「ところで叔父上は、これよりどうされますか。城の皆さまは、今宵はこちらに逗留するように勧めてくださっていますが」
「もちろんそのつもりでおります。されどその前に、少し城下を見て回りたいですな」
その言葉に、正信は少しだけ顔を綻ばせて答えた。「では、お供させていただいてよろしいですか?」
氏勝は頷いた。元より、正信の気鬱を少しでも晴らしてやりたくて言ったことだ。どうにも雰囲気の暗い城を出て、賑やかな城下でも見て回れば、いくらかは明るい気分にもなれるというものであろう。




